苦しみの根源は何。贅沢したい。夢を叶えたい。この「たい」が成せた時はいいが、成せなかった時は全て苦しみに変わる。苦しみたくなければこの「たい」を必要以上に望まんこと。うんこ、しっこが出る。ご飯が食べれる。この当たり前と思っている事が出来なくなった時こそが本当の苦しみ。欲は程々に。
家康、秀忠、家光の三代に仕えた天台僧天海が100歳の時柿を食べ城内に種を蒔いた。家光が「和尚は桃栗3年柿8年を知らんのか。実がなっても食べられんぞ」と。そこで天海が一喝。「この柿も昔誰かが植えたもの。後世の誰かが食べればよい。そんな考えで政が出来るか」と。108歳で食べて逝った。
「前世はあるか」と問われ「どうかね」と。「ただ、生まれた途端目の前に地獄、極楽が。戦争の国、平和な国。金持ちの家、貧乏な家。情深き親、虐待の親。五体満足、不満足、と。生まれた時点が命の原点なら何故そこに差が。『人はした事、やった事だけが結果』がこの世の習い。そう考えると、ね」と。