社員旅行で鹿児島の長崎鼻に行ったと言う爺様に「あんた馬鹿か。長崎県にあるから長崎鼻言うんじゃ」の婆様の言葉に怒り狂って外へ。夕方勝ち誇った顔で買ってきた地図を開き「見ろ、鹿児島じゃろうが」と。婆様は地図を見ようともせず「あんたがそう思うんなら思えばいい」と。やっぱ女性は一枚上手。
信州長野の善光寺には本堂下に戒壇院という目を閉じても開いても変わらん真っ暗な所が。そこを歩く時誰かがふざけて「段差が、壁が」と嘘の声を。人は疑えば不安な心が湧き上がってくるもの。人は目が見えているようで全く見えていない。1分先さえも何が起こるか予想も出来ん。じゃ如何なる心構えを。
大分県の天ぷら屋さん。当時店主は92歳で現役。奥さんが体調を崩し入院。毎日夜中3時に起床、仕事を済ませ昼から病院へ。これが半年も。「大変だね」と言うと「いや、この歳まで一緒におれただけでも。今はご飯を食べさせに顔を見に行くのが何よりの幸せ」と。この姿を見て病院で何人の人が手本に。
葬式の会葬者の中には「早よ終わって。坊主の法話長い。葬式って必要」と義理で来ている方々が。皆さんにも身に覚えがあるでしょ。しかしその中には必ず子供が親を送る姿を真剣に見つめている方々が。その方々が今後の遺族の支えになる。その方々が「何だこの送り方は」と心が離れていく葬式はあかん。