1分で読める小さなお寺の法話集

子育て、人材育成に関する法話を実話と歴史から紐解いて書いております。

【2254話目】臨終前の人に拙僧、立ち会う事、少なからず。これまでに葬式のお手伝いは900人以上。意識朦朧の中、手を差し伸べて「お母さん」と呼んだ人は数人。「お父さん」と呼んだ人は、不思議といないな。

2021-09-04 18:08:17 | 法話
拙僧、檀家爺様の入院する病院に。「住職、先に逝って本当に浄土があるか、わしが確かめて来てやる。皆、口では『信じてない』と言うが、本音は望んでるはず。不安だから。長野善光寺の戒壇院参拝、覚えてるか。全く見えない真っ暗の洞窟の先に、一筋の光が見えた時のあの安堵を。恐らくあの感覚だよ、浄土は」と。

【追伸】
この爺様に「浄土の有無を確かめて来たあと、その報告は、どうやってすんのよ。こっちに帰って来れんでしょ」と拙僧。「昨日と一昨日、2日続けて、お袋と女房が、笑いながら夢の中に立った。こりゃ、近いな、と思ったから、住職、あんたを今日、呼んだんだよ。わしがあんたの夢の中に立ってやるよ」「恨めしや〜、で立つんじゃなかろうね」「人を化け物扱いすんな。あんたに恨みなんぞ、これっぽっちもないわい。この姿のまんまで、立ってやるわい」と。それから間もなく、爺様が他界を。また1人、この様な会話ができる人が旅立って逝かれた。寂しいね。ところが、1周忌、3回忌と、待てども、暮らせども、あの爺、一向に報告に来やがらん。あの嘘つき爺め。余程、向こうが住み良いんで、報告に来るのを忘れとる様だ。来年、7回忌だから、その時には「しまった。約束を忘れとった」と慌てて夢の中にでもやって来るかな。