檀家爺様が「わしは『なんでも鑑定団』のファンだが、昨今、思う所があってな。何百年も残っているお宝だが、当初は普通の生活品扱いだったはず。ゴッホの絵もまた、当時は誰も見向きも。そこに、先見の明を持つ者が『生き残らせるに価値あり』と判断を。で、後世に。住職が度々説く、縁というを感じてならん」と。
【追伸】
この爺様が「人間の価値観というを考える時、まず思い浮かぶは、豊臣秀吉公、千利休、納屋助左衛門の一世一代のやり取り。そこら辺に転がっとる壺を、千利休が高価と査定。すると、我楽多が黄金に。これで、納屋助左衛門は、一躍大富豪に。秀吉公は物の価値を一定にするを天下統一の基盤に置いていた。よって、利休が邪魔になった。で、切腹させた。その我楽多壺は、残すに値する品でないから、元の我楽多に逆戻り。何百年も残っている物は、知らず知らずに守っていく者(継承者)が充てがわれていく。人間が気付かぬうちに、何百年もの間。本物は残り、偽物は消える。縁を感じずには、おられん」と。