昨日は、10年に至る山口県光市の母子殺害事件、最高裁から差し戻し
(死刑回避に足りる特に酌量すべき事情が見当たらないとの理由)で広島
高裁は「死刑」判決を下したとの報道でした。
当時18歳といえば善悪の判断は出来得るはずです。18歳であるが故に、
少年法が適用され、刑が軽く扱われることもままあります。昨日の広島高裁
の判決には多くの人が、納得の思いだったことでしょう。(死刑廃止論者は
別として)
毎日の如くに少年による犯罪が報じられ、しかも最近ではネットによる
殺人や、ただ「誰でも良い、人を殺したかったから」と衝動殺人も増えて
います。
この子たちにも親兄弟はあるだろうに、犯罪者を出した家は社会から、
どんな目で見られるだろうか、考え及ばないのだろうか・・・その前に小さい
時からの家庭教育のありかたが問われるでしょう。
犯罪をもたらす要因として、今では携帯電話、インターネットの出会い系
サイト・漫画やテレビ等による犯罪シーン・また学校でのいじめ、自分の思う
ようにならない不満のはけ口等、わたし達の子供の頃には思いもよらない
事柄です。
少子化で子どもを自由気ままに育て、子どもの言うままになっている親
もあり、何もかも平等が正しい、差別はするなと社会全体もこうした風潮を
良しとしている結果、我慢ができない、自己主張だけは立派??な子ども
が育っているのです。
最もやらねばならない家庭での幼児の教育(躾)が出来ない情けない
家庭もあります。志摩市の学校でさえ、給食時、食べ終わっての
「ごちそうさま。」の言葉さえ、
「給食費を払っているのになぜ感謝しなければいけないのか。」
とさえ言う児童がいるそうで、何おかいわんや・・・です。
またわたしの方の学校でも先生を「先生」と呼ばせず、「○○さん」と
呼ばせているとか、同和教育のせいでしょうか。先生と生徒(児童)は
平等でないと言いたいわたしです。
これからもこんな子ども達が育っていって、如何なる世の中になるか
懸念せざるを得ません。
田植えの終わった 我が家の前の水田