96歳の高齢だったそうです。森繁久弥さん、老いても時々森繁節
をうならせ親しまれていました。偉大なる芸能人(役者)でした。
1991年には文化勲章を受章されていますがその前に1984年に
文化功労賞を受賞されています。その年、わたしは志摩観光ホテルで
受賞後のクリスマスディナーショーに行き、トークと歌を聞かせてもらい
ました。「船頭小唄(俺は河原の枯れススキ・・・)」の歌など得意の森繁
節で歌われま した。何とも言えぬ味がありました。
森繁さんとご一緒されたのは神津善行さん親子(娘はづきさん)
でした。
志摩観光ホテルのディナーショーは当時随分お高く(何しろシェフの
料理あわびのステーキが売りで)さすがの森繁さんも「僕のショーより
ホテルの食事代の方が高いでしょう。」と笑わせていました。
( ちなみに45000円ぐらいはしていました。)
ピアノ伴奏は神津善行さんがしますから、森繁さんは歌とトーク、
はづきさんは踊りを見せてくれました。
森繁さんといえば「知床旅情」の歌が浮かびますが、これもわたし
には思い出があります。昭和35年頃でした。北海道10日間の旅
で(青函連絡船の頃)網走まで行ったとき、バスガイドさんが歌って
くれた歌が「知床旅情」でした。遥か彼方知床半島を望みながら・・・
当時はこの歌は旅に来られた森繁さんが即興に 作られたとかで、
まだまだ世に出ていませんでした。 誰もが知らなかった歌でした。
テレビすらあまり普及していない 時代でしたから、この歌が電波
に乗ったのはかなり後になってからでした。わたしは以前から知って
いたと得意になって歌ったものでした。
映画に芝居、そしてテレビ・歌と大活躍でした。少しエッチで女性
をよくからかっていましたが、笑いで済ませられるキャラクターの
持ち主でした。
”天寿全う” ご冥福を祈ります。
「知床旅情」 は今では加藤登紀子さんの持ち歌としていつの時代
層にも歌われています。
知床旅情 作詞・作曲:森繁久弥
知床の岬に はまなすの咲く頃
思い出しておくれ 俺たちの事を
飲んで騒いで 丘にのぼれば
はるかクナシリに白夜は明ける
旅の情けか 飲むほどにさまよい
浜に出てみれば 月は照る波の上
今宵こそ君を 抱きしめんと
岩かげに寄れば ピリカが笑う
別れの日は来た ラウスの村にも
君は出てゆく 峠をこえて
忘れちゃいやだよ 気まぐれカラスさん
私を泣かすな 白いカモメよ
白いカモメよ
森繁さんらしい詩(ことば)です。