夕映えに

陽が落ちるまで輝きたい、くさぐさの記録(日々の出来事、読書、スポーツ、友だち)

森繁久弥さん 逝く ー芸能界巨星墜つー

2009-11-11 07:14:12 | Weblog

   96歳の高齢だったそうです。森繁久弥さん、老いても時々森繁節
   をうならせ親しまれていました。偉大なる芸能人(役者)でした。
          

   1991年には文化勲章を受章されていますがその前に1984年に
   文化功労賞を受賞されています。その年、わたしは志摩観光ホテル
   受賞後のクリスマスディナーショーに行き、トークと歌を聞かせてもらい
   ました。「船頭小唄(俺は河原の枯れススキ・・・)」の歌など得意の森繁
   節で歌われま した。何とも言えぬ味がありました。 
      
森繁さんとご一緒されたのは神津善行さん親子(娘はづきさん)
    でした。

   志摩観光ホテルのディナーショーは当時随分お高く(何しろシェフの
   料理あわびのステーキが売りで)さすがの森繁さんも「僕のショーより
   ホテルの食事代の方が高いでしょう。」と笑わせていました。
         
( ちなみに45000円ぐらいはしていました。)

   ピアノ伴奏は神津善行さんがしますから、森繁さんは歌とトーク、
   はづきさんは踊りを見せてくれました。

   森繁さんといえば「知床旅情」の歌が浮かびますが、これもわたし
    には思い出があります。昭和35年頃でした。北海道10日間の旅
   で(青函連絡船の頃)網走まで行ったとき、バスガイドさんが歌って
   くれた歌が「知床旅情」でした。遥か彼方知床半島を望みながら・・・
       当時はこの歌は旅に来られた森繁さんが即興に 作られたとかで
   まだまだ世に出ていませんでした。  誰もが知らなかった歌でした。

   テレビすらあまり普及していない 時代でしたから、この歌が電波
   に乗ったのはかなり後になってからでした。わたしは以前から知って
   いたと得意になって歌ったものでした。

   映画に芝居、そしてテレビ・歌と大活躍でした。少しエッチで女性
  をよくからかっていましたが、笑いで済ませられるキャラクター
   持ち主でした。
    ”天寿全う”  ご冥福を祈ります。

   「知床旅情」 は今では加藤登紀子さんの持ち歌としていつの時代
  層にも歌われています。 
            
          
 知床旅情     作詞・作曲:森繁久弥 

     知床の岬に はまなすの咲く頃
     思い出しておくれ 俺たちの事を
     飲んで騒いで 丘にのぼれば
     はるかクナシリに白夜は明ける

     旅の情けか 飲むほどにさまよい
     浜に出てみれば 月は照る波の上
     今宵こそ君を 抱きしめんと
     岩かげに寄れば ピリカが笑う

     別れの日は来た ラウスの村にも
     君は出てゆく 峠をこえて
     忘れちゃいやだよ 気まぐれカラスさん
     私を泣かすな 白いカモメよ
     白いカモメよ

    森繁さんらしい詩(ことば)です。