ドラマ「下剋上受験」を観て、桜井親子の中学受験の様子を追い続けているうちに、自分自身の受験について、「どうだったかなぁ・・・」と、思い出していました。
前述のブログに書いた通りですが、こと受験に関して言えば、「ひどい親だ」とずっと思っていました。
けれど、あの頃の両親の年を超えて、親となった立場から振り返ると、「そうではなかった」と思えてくるのです。
もうすぐ6年生になる息子は、発達障害やその特性のせいなのか強迫性障害などの不安障害を起こし、人より学校生活が送りにくいところがあります。
通常学級か支援学級かと、いつも悩むのですが、どちらもしんどいところがあり、今は、しんどい時は通級教室でお世話になりながら学校に通っています。
息子は、学力的には問題ないようですが、先生の言うことが耳に入りにくかったり、勉強以外の所でみんなとの違和感を感じているようです。
「通常学級ではしんどいから、体が不適応を起こしているのか?」
そう思う時もあるのですが、息子が通常学級でみんなと学習することを望んでいるので、もし、説得して支援学級に通わせたとしても、今度は自分の意に添わないと、学校自体に通えなくなるのではないかと心配しています。
「息子にとって一番いい方法を」と思っていても、果たしてそうなっているのか、本当のところ自信はありません。
私の両親も、本当は、「私にとって一番いいように」と、思ってくれていたのかもしれません。
家計が苦しく、弟が二人もいる中で、「近くの公立校に合格出来れば、どんなことをしても学費は出してやる」と、言ってくれました。
父は、そのために必死で働いたのでしょう。
働くしかなかったのかもしれません。
中卒というハンディがある中で、仕事一筋で頑張り続け、ずっと後には雑誌や新聞で父の仕事ぶりが紹介されるまでになっていました。
母も、21歳の若さでいきなり5歳と2歳の子どもの母親となり、親にも頼れず「孤育て」は、本当に大変だったと想像出来ます。
私が高校3年生になる頃は、すぐ下の弟は家出して行方不明となっていました。
末の弟は、まだ7歳。
元々体の弱い人だったので、癌による子宮全摘出手術の後、なかなか体調が戻らず、精神的にもかなり苦しんだのだと思います。
そんな中で、私に「就職しろ」と押し付けることなく、好きな道を選ばせてくれたことこそが両親の大きな愛情だったのだと、今更ながら思いました。
「私の青春、返して!」という母の一言は、胸をナイフでえぐられたように傷付いたけれど、今は、「それ程必死に育ててくれたんだ」と、思えます。
私は、家庭の事情により、幼稚園には2ヶ月ぐらいしか通うことが出来ませんでした。
幼児教育を受けることが出来なかった私ですが、小学校に入学して、特別困った記憶はありません。
文字の読み書きから日常生活に至るまで、母は厳しかったけれど、しっかり身に付けさせてくれました。
それがどんなに大変なことか、愛情がなければ出来ないことか、今の私なら分かります。
私が受験で苦しんでいた時、今の私よりずっと若い両親は、もっともっと苦しんでいたのかもしれません。
だけど、10代の私は、ただただ両親を恨んでいました。
受験に失敗したのは親のせいだと思って、「この人たちの力は、絶対に借りるものか!」と、心に誓いました。
コンビニでバイトし、通信制の大学に入学し、その年の公務員試験を受けて、翌年から郵便局で働くことになりました。
郵便局で働きながら、8年かかって大学を卒業しました。
仕事をしながらの勉強は大変で、何のために学ぶのか、常に自分に問いかけていました。
働いているので仕事の勉強もあって、無理して大学の勉強をする必要も感じません。
最初は、両親に対する意地がほとんどでした。
でも、受験のためでもなく、就職のためでもなく、純粋に「学ぶ」ということを知りました。
実際には、大学で勉強したことが直接役に立ったと感じたことはありません。
でも、物事を見る目が少し広くなりました。
目の前に見えることや出来事が、それが全てではなく、ここに至る歴史や先人の努力があったことを知り、そして、今が未来に繋がることを知って、この世界に奥行きが出来たような気がしました。
何よりも、自分の力で大学を卒業したということが、大きな自信となりました。
受験に失敗なんてないのかもしれません。
思った通りの進路でなくても、普通に大学に通って学ぶ以上のものを得ることが出来たと、私は思っています。
たとえ、それが負の感情から生まれた頑張りであっても、両親のお陰に違いはありません。
春彼岸、両親に「ありがとう」の思いが届くでしょうか・・・。