先日、中学校の体験入学がありました。
息子が選んだ科目は、体育。
晴れればソフトボールで、雨ならフットサルの授業を行うらしく、
「雨降れ~、雨降れ~。」
と、願っていましたが、当日はとても良いお天気になりました。
息子はソフトボールが苦手なので、その日の朝は不安そうに登校していきましたが、帰ってくるなり上機嫌でこう言いました。
「俺、インパクトあるみたいで、中学の先生に何度も声かけられた。
帰りにな、『サッカー部、待ってるからな!』って、言われてん。」
と。
学年で恐らく一番背が高い息子は、一番目に付くことは間違いないでしょう。
また、小学校の先生から息子の特性について何らかの声かけがあったのかもしれません。
とにかく、体験入学は楽しく参加出来たようでした。
さて、サッカー部の顧問らしき先生に、「待ってるからな!」と、名指しで声をかけられ、息子は一気にサッカー部入部へと気持ちが傾いたようです。
それまでは、「中学で他の部も見てから考える」と言っていたのですが、またサッカー熱に火が付いて、少しでも上手くなりたいと、
「FC(地元のサッカークラブ)に戻りたいねん。」
と、何度も言いにくるようになりました。
FCは、再入部したとしても4ヶ月後には卒業です。
それに、児童精神科の医師から「もう少し良くなるまで待ってほしい」と言われています。
「今なら、FCでやっていけると思う。」
と、涙目で訴える息子を、
「『もうちょっと待って。』って、お医者さん言ってたやろ。FCに戻って、もし調子が悪くなったら、良くなるまで時間がかかるから、今は、中学生になって万全の状態でサッカー部に入れるよう、基礎体力とかを付けていこう。」
と、繰り返し息子を説得し、毎日10~20分ぐらいの体幹トレーニングに付き合っています。
体幹トレーニングの他にも、家の周りをダッシュしたりボールタッチのトレーニングをしたりして、息子は頑張っています。
中学生になればサッカー部でやっていけるのか、本当のところ、やってみなければ分かりません。
どこまで配慮を求めることが出来るのか?
他の部員とうまくやっていけるのか?
人より疲れやすい息子が、勉強や他の学校生活と両立できるのか?
心配すればきりがありません。
でも、サッカーが大好きで、そのために体を動かし運動することは、息子の成長を大きく促していることは間違いありません。
この夏まで1回も出来なかった腕立て伏せが、ある日突然出来るようになり、今では15回以上出来るようになりました。
体も心も少しずつ成長し、「今なら」という思いは私にもあります。
あと4ヶ月経てば、息子は中学生。
中学でも、良き先生、良き友達に恵まれますように。
サッカー部で、大好きなサッカーを思いっきりやり続けることが出来ますように。
中学校体験入学してきたんですね。
息子さんは、体を動かすサッカーが好きで良いですね。好きなものがあれば、どんなことでも乗り越えていく力になるから。
仁仁は、体育系は嫌いではないけどみんなと協力してやる競技は苦手で。
体育会系男児ちょっと憧れます。
中学校生活への楽しみができてよかったですね。
楽しい♪体験入学でよかったですねー😄
私は子どもがいないので、「今時の小学校は、体験入学なんてあるんだー」と驚きです。
ところで関東在住の私が記事を拝読しておりますと、標準語の文章の中に、関西弁の会話が入って来て、「あ、ホントに関西の方なんだ〜」と、とても微笑ましく感じます。
でも、関西の方は標準語の文章も関西弁のイントネーションで読み、最初から最後までずっと、関西弁感覚なのでしょうか?
それとも関西の方も、文章の部分はNHKのアナウンサー的な標準語のイントネーションで読み、会話のところだけ関西弁で読んでおられるんでしょうか?
昔、大阪弁についていろいろ考えたことがあり、なんとなく興味がありまして…。
記事に関係ないことを興味本位で聞いてしまってすみません。
justyさんは文章がお上手ですね
息子は、サッカー以外の体育は苦手です。
跳び箱も鉄棒もダンスや球技も・・・。
サッカーだって、まずスローイングが仲間の所まで投げられないし、自分で思い描いているようにはなかなかできないようです。
体育会系には程遠いけれど、でも、やっぱりサッカーが好きなんですね。
サッカーがしたいそうです。
中学のサッカー部のみなさんが、ありのままの息子を受け入れてくれるよう、
FCのときのような失敗を繰り返さないよう、
親子ともに努力していこうと思っています。
とても嬉しいです。
>関西の方は標準語の文章も関西弁のイントネーションで読み、最初から最後までずっと、関西弁感覚なのでしょうか?
標準語の文章は標準語で読んでいるつもりですが、知らないうちに関西風のアクセントになっているのかもしれません。
普段の会話はバリバリの関西弁なので・・・。
関西弁で書かれた絵本を読むときは、水を得た魚のように、読みやすくてとても気持ちがいいです。
それぐらい、私の中には関西弁が染み込んでいるのかもしれません。