篠原涼子さん主演のドラマ「愛を乞う人」を観ました。
この手のドラマは、胸がざわつきます。
辛くて、涙が溢れて・・・
なのに、なぜか見ずにはいられません。
多分、私も答を探し続けているからなのかもしれません。
愛し方を知らない母と、母に愛されず、愛されたいと願う娘。
「かわいいからでしょ!」
なぜ自分を産んだのか? なぜ自分を引き取ったのか? と、母に詰め寄る娘(鈴木梨央ちゃん)の言葉が、苦しいほど分かる気がしました。
愛されたい! 大切に思われたい!!
私も、母にほめられたくて、怒らせたくなくて、気を使い、張りつめて生きてきた時期がありました。
豊子ほど無茶苦茶ではなかったけれど、些細なことでも私に非があったからではあるけれど、母に髪をつかんで引きずり回されたり、タバコの火を押し付けらたれり、真っ裸で外に放り出されたり、幼い頃はそういうことがありました。
私の手首には、母にやかんを押し当てられたときの火傷の痕があります。
調理台の上に腕を押さえつけられ、お湯を沸かして保温用のポットに移してすぐのやかんを押し当てられました。
もう何十年も前のことで随分薄くはなったけれど、完全に消えることはありません。
私はそんなに悪い子なのか?
私が実の娘ではないからなのか?
家庭を顧みない父親憎んでいて、その娘である私に復讐をしているのか?
色んなことを考えたけれど、答は見つかりませんでした。
母が亡くなり何年も経ち、私にも子どもが生まれて、母となりました。
照恵が真実を求めたように、私は、記憶の中で何度も母のことを探りました。
歳時記に合わせて、料理を作ってくれたこと。
母の遺品の中に、私が誕生日に贈ったカードなどが大切にしまわれていたこと。
愛されてなかったわけではない。
あの人は、愛し方や育て方が分からなかったのだ。
母自身も追いつめられていたのだ。
ドラマでは、この母娘は再会を果たします。
「小さくなっていた」との照恵の言葉通り、強くて怖くてたまらなかったはずの母は、もう過去のものとなっていました。
「さよなら」と、過去に決別する照恵。
豊子が、照恵の娘の深草に「かわいいね」というシーンがあります。
あれは、照恵に言った言葉だと思います。
照恵の娘だからこその「かわいいね」であり、照恵が一番欲しがっていた言葉でもあります。
その言葉は、きっと、照恵の心に刺さった氷の棘を解かしたことでしょう。
息子が眠れないと言って、TVをつけたのですが、息子がこの映画、「もっともっと昔のやつを観たことあるよ」最後は美容院だったな、これは、違うな・・・と言ってました。
息子がこういう映画を見ていた事を初めて知りました。
色々、考えさせられるドラマでした。
照恵は、、生涯、清算しきれない悲しみを背負うと私は思いました。
最後に「かわいいね」と言われた位では、清算しきれない傷が残った。
母親が照恵になぜ、他の言葉をかけなかったのか?照恵自身も、母親に何故、何も言わなかったのか?
自分がされたようにぶん殴ってバケツの水をかけて、あんたが私にした事よーー。と罵声を浴びせても良かったんじゃないかと私は感じました。
小さくなった母。では済まされないし、
では、小さかった照恵はどこに行ってしまったんでしょう・・・
なんとも、すっきりしないドラマでしたが、文部科学省推奨との事でしたので今問題になっているネグレクトや虐待への警鐘という意味なのかな、と息子と話しました。
justybluさんは、お母様に対面切ってぶつかった事はあるのでしょうか?
亡くなったから、、誕生日カードを大切にしまっていたから…で清算出来ますか、お母様の事。
長くなりました。justybluさんは照恵同様、イイお母さんになられたのですから、それでいいのだと思います。
私も、色々考えさせられました。
私は、録画したものを昨日見たのですが、昨日は一日中泣き続けました。
まだまだ私の中で、傷は癒えてはいないようです。
私は、母に褒めてもらいたくて、必要以上に頑張ってきました。
どんなに努力して頑張っても、直接母の口からほめてもらったことはありません。
テストで100点取ろうが、賞をもらおうが
「そんなことより、もっとましな人間になれ」というようなことを言われ、
その賞状を私自ら破り捨てたりしたこともありました。
「よく頑張ったね」
その一言は、私を認めてくれる一言です。
その一言があれば、私はどんなに救われたでしょう。
私は、「かわいいね」と、豊子が言ったことに意味があると思います。
確かにそんな一言で許せるものではないけれど、呪縛を解く言葉であったとは思います。
それは、照恵だけでなく、豊子にとってもそうだと思うのです。
小さくなった母、それは、いつまでも母に怯える小さな女の子ではないと、
照恵自身が気付いた瞬間ではないでしょうか。
実は、私は、大きくなってからは、結構母に食ってかかっていましたが、
余計に火に油を注ぐものだと分かって、うまく対応するようになりました。
それに、弟の家出、下の弟のひきこもりや家庭内暴力が始まり、
下の弟は実の母でありながら、母の作った食事が食べられなくなりました。
母も苦しんだと思います。
私は、息子を産んでから、自分を産んでくれた実の母とも会うことが出来るようになりました。
実の母が、
「あなたのお父さんやお母さんのことを、私は少しも恨んでいない。
あなたをこんなにも優しい素敵な女性に育ててくれたことを感謝しています。」
と、言ってくれました。
私は、そのとき、「恨まなくていいんだ」と思いました。
今はまだ清算しきれていなくても、「恨む」ことをやめて、随分楽になりました。
悲しみは消せなくても、いつか乗り越えられる程強くなれると思います。
とはいえ、虐待やネグレクトなど、どんなことがあっても許されることではありません。
しつけが、自分では気づかないうちに虐待にまでエスカレートすることもあります。
このドラマは、虐待の加害者・被害者にとっても、客観的に考えるきっかけとなるのではないでしょうか。