イエス・キリストは、ご自分に関し「ヨナ以上の者がここにいる」、「ソロモン以上の者がここにいる」と、書士やパリサイ人たちに、教えました。当時の偽りの宗教指導者たちは、「あなた(イエス)からのしるしを見たい」、とイエスに要望した時の、イエスの答えは前述の通りです(マタイ12:38~42)。書士やパリサイ人たちの心は不実で曲がっていました。次いでイエスは「汚れた霊」が出て来る人の例えを次のように語られました(マタイ12:43)。マタイの福音書に次のように書き記されています。
「汚れた霊(悪霊)は、人から出て来ると、休み場を捜し求めて乾ききった所を通りますが、どこにも見いだせません。そこで、「出てきた自分の家に戻ろう」と言います。そして、着いてみると、それは空いていますが、きれいに掃かれ、飾りつけられています。そこで、出かけて行って、自分より七つの異なった霊を連れて行き、彼らは中に入ってそこに住みつきます。こうして、その人の最終的なありさまは最初より悪くなります。この邪悪な世代(イスラエル国民)もそのようになるでしょう」(マタイ12:43~45)。
上の聖句に記されているように語られたイエス・キリストは何を教えているのでしょうか。上の聖句の意味は、神エホバがモーセを通して契約を結んだイスラエル国民はみ言葉・律法を通して清められ、数々の改革を経験をしていました。イスラエル国民は、神エホバの律法を適用し、邪悪な霊・悪霊が一時的に出て行ったかのようでした。しかし、イスラエル一国民として神エホバの預言者たちを退け、み子として遣わされたイエス・キリストご自身に対する反対でそれが頂点に達したことは、「七つの異なった霊」が入り込むことから、その邪悪な状態が始めよりも一層悪くなっている ことを教えられました。上の聖句は主にイスラエル国民に対する言葉であることがどうして分かるのでしょうか、それは、邪悪な書士やパリサイ人たちに対する例えであり、かつ「邪悪な世代」と、いう言葉から分かります。
さらに、イエスの上の聖句は、人間が心を空にする状態の危険性を指摘しています。心を空にした状態にしておくと、悪霊が戻る時、さらに「七つの異なった霊を連れて」来ますので、その人の状態は一層悪い状態になります(マタイ12:45)。諸宗教に見られる心を無にする修業は、危険そのものです。人は心を空にするのではなく、いつも神エホバから出る霊の実の愛、喜び、平和、辛抱強さ、親切、善良、信仰(証拠に基づく、保証等々を満たしておく必要があるのです(ガラテア5:22,23)。神の教えと人間の教えの違いを理解され、「思慮深い人」として行動される方々は幸いです(マタイ7:24,25)。
切り花に 青麦二本 添えられし 今日の一句
「アルストロメリアとユリとホタルブクロ」