地域支配ヘロデは自分の誕生日に、ヘロデアの娘サロメの希望(実際にはヘロデアの希望)通りに、バプテストのヨハネの首を希望し、ヘロデは獄でバプテストのヨハネの首をはねさせ、サロメはその首を盆に載せ、サロメの母ヘロデアの所に持ち帰りました(マタイ14:1~12)。このヘロデの誕生日の事件の後、イエスは独りになるために、舟で寂しい所に退きました(マタイ14:13)。イエスは,付いて来た大群衆をご覧になり哀れに思い、病気の者たちを治し、食事をしていない約五千人の男たちに食事をさせた場面が次のように記されています。
「さて、出て来られた時、イエスは大群衆をご覧になった。そして、彼らに哀れみを感じ、その中の病気の者たちを治された。さて、夕方になった時、弟子たちがそのもとに来て、こう言った。「ここは寂しい場所ですし、時刻ももうずっと進みました。群衆を去らせ、彼らが村々に行って自分で食べ物を買うようにしてください」。しかし、イエスは言われた、「彼らは去るには及びません。あなた方が彼らに何か食べる物を与えなさい」。弟子たちは言った、「わたしたちは五つのパンと二匹の魚のほかには何もここに持っていません。イエスは言われた、「それをここに、わたしのところに持って来なさい」。次に彼(イエス)は、草の上に横になるよう群衆に命じ、その五つのパンと二匹の魚を取り、天を見上げて祝とうを述べ、パンを割いて弟子たちに配り、ついで弟子たちが群衆に配った。こうしてすべての者が食べて満ちたリた。また、かけらの余りを拾うと、十三のかごがいっぱいになった。しかも、食べていたのは約五千人の男たちであり、ほかに女や幼子たちがいたのである。それから直ちに、イエスは弟子たちを強いて舟に乗らせ、自分に先だって向こう側に行かせ、一方では群衆をお去らせになった」(マタイ14:14~22)。
イエスは寂しい所に退き、独りになることを望んでおられました。しかし、大群衆はイエスの後に付いて行きました。イエスはご自分が寂しい所で休憩することを優先されることなく、大群衆をご覧になられた時、人々は羊飼いのいない羊のようだったので「哀れみを感じ」られました。直ぐにイエスは大群衆の中の病気の人を治すことを優先されています。イエスはご自分はお疲れであったと思われますが、大群衆に利他的な模範を示されました。
次いで、イエスは大群衆の約5千人の男たち、つまり女や幼子を含めると1万人を超える人たちがいたと思われます。その人たちに五つのパンと二匹の魚を割いて弟子たちに渡し、弟子たちが大群衆のお腹を空かした人たちに配りました。そうした食事を配る前には、草の上に横になるように、当時の食事の時の習慣に従って指示をされています。しかし、五つのパンと二匹の魚でどのように1万人を超える人々のお腹を満たすことができるのでしょうか。しかし、マタイの福音書の記録によれば、「すべての者が満ちたリた」と記されているのです。神エホバは、イエスを通して善良な特質を示されました。通常人間が行う、このような急を要する食事を配る場合に、すべての者が満ち足りるように分配することができるでしょうか。災害時の避難所生活の方々の様子を見れば分かりますが、人間にはそのような力がありません。み子イエスはみ父エホバからすべての権威を与えられていますので,イエスの言動を見れば、神エホバがどのような方であるかを知ることができるのです(マタイ28:18)。
田植えする 人なき田んぼ 荒れしまま 今日の一句
庭に咲いている「バラ」