私たちは、だれでも幸福な人・幸いな人でありたいと願うのではないでしょうか。イエス・キリストは有名な山上の垂訓の始まりに、幸いな人たち・幸福な人たちとはどんな人たちかについて、明確に教えられました。その幸いな人たちに関する助言は、人々にとって神の王国を受け継ぐ見込みを伴う、エホバ神の恵みに預かるのに必要な特質を指摘することによって、聞く人々の心を引き付けるものでした(マタイ5:1~11)。イエスは幸いな人たちについて九つの特質を上げ、かつなぜ幸いなのかの根拠を説明し、次のように助言されました。
マタイ5:
3「自分の霊的な必要を自覚している人たちは幸いです。
天(神)の王国はその人たちのものだからです。
4「嘆き悲しむ人たちは幸いです。
その人たちは慰められるからです。
5「温和な気質の人たちは幸いです。
その人たちは地を受け継ぐからです。
6「義に飢え渇いている人たちは幸いです。
その人たちは満たされるからです。
7「憐れみ深い人たちは幸いです。
その人たちは憐れみを受けるからです。
8「心の純粋な人たちは幸いです。
その人たちは神(エホバ)を見るからです。
9「平和を求める人たちは幸いです。
その人たちは「神の子」と呼ばれるからです。
10「義のために迫害されてきた人たちは幸いです。
天(神)の王国はその人たちのものだからです。
11「人々がわたし(イエス)のためにあなた方を非難し、迫害し、あらゆる邪悪なことを偽ってあなた方に言うとき、あなた方は幸いです。
マタイ5章3節の「自分の霊的な必要」とは、「神エホバから出る教えの必要」という意味です。4節の「嘆き悲しむ人」とは、嘆き悲しむ理由として、各自の霊的に貧しい状態、人間がアダムから受け継いだ罪に起因する苦しい状況、及び義の対する飢えや渇きにある人、また、不義や他の人の苦しみを見て「嘆き悲しむ」場合も含まれるでしょう。5節の「地を受け継ぐ」とは、神エホバは邪悪な人たちを断ち滅ぼし、この地上に義の宿る社会・楽園を回復し、大群衆を招き入れられますが、その地上の義の宿る社会・楽園を指しています(ペテロ第二3:10~13.啓示7:9,14)。8節の「神(エホバ)を見るとは、神エホバを、知覚、認識する、という意味です。10節の「義のために迫害されてきた人」とは、どのような試練や迫害に直面しても神エホバの義を忠節をもって守り通した人たちを指しています。11節は、イエスの説明通りに、どのような非難、迫害、中傷や邪悪な偽りを浴びせられても、イエスの弟子として、つまり真のクリスチャンとしての立場を最後まで忍耐し、神エホバのご意志を貫き通した人たちのことです。
あなたも幸いな人たちのお一人であれば本当に幸いです。
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