城台山日記

 城台山の麓で生まれ、毎日この山に登り、野菜・花づくり、読書、山登りをこよなく愛する年寄りの感動と失敗の生活日記です。

雪渓と氷河の違いは 22.8.15

2022-08-15 19:18:33 | 過去の山登り記録
 今日は終戦記念日、終戦から77年も経った。1945年8月15日時点で生まれていた人はかなり少なくなってきた。「戦後◯◯年」と言われても大方の人は理解さえできないだろう。日本がアメリカと戦争した、中国等と戦争したという過去は急速に歴史の中に埋もれつつあると思われる。また、一体戦後はいつまで続くのかとも考えてしまう。「戦後レジーム」の見直しを唱えていた方も鬼籍に入られてしまった。

 深刻な話しはここまでにして、暑い夏にふさわしい話題を始めよう。最近新聞記事で「比較的簡単に行ける氷河」ということで立山近くの内蔵助氷河のことが書かれていた。私たちは長い間日本には「氷河」は存在しないと教わってきた。日本にも氷河があると分ったのは、2012年4月のことだから10年前に確認されたばかりであることに驚く。極東地域の南限はカムチャッカ半島とされていたから、その南限は立山まで大幅に南進したことになる。氷河の定義は、陸上にあること、移動すること、雪と氷の大きな塊であることの三つの要件を全て満たす必要がある。現在日本の氷河は、立山連峰に5、鹿島槍ヶ岳と唐松岳に各1合計7箇所ある。一番大きい氷河である三ノ窓雪渓で長さ1200m、幅200m、氷の厚さ70m(2011年6月観測)であるからヒマラヤやアルプスと比べると規模は随分小さい。

 日本の三大雪渓である剱沢、白馬、針ノ木に氷河はないことに気づかれたであろうか。雪渓と氷河はどう違うのだろうか。最も大きな違いは、雪渓は雪の塊で氷河は氷と雪の塊であることである。最も大きな雪渓である剱沢にも、氷の塊は形成されていない。下部を水流が流れ、氷を形成しにくいというのが理由。白馬も同じように、下部を水流がごうごうと流れている。2015年10月に白馬大雪渓の厚さは15mだったが、氷の層は見られなかったとある。雪渓はブリッジのようになっているので、通過には注意が必要である。日本の最終氷期は、1.9万年~1万年前であり、これより前に日本には日本アルプスや日高山脈を中心に合計400の氷河が形成されていた。その後の地球の温暖化により、ほとんどの氷河はなくなり、現在は氷河があった証拠である圏谷を残すばかりとなった。以下に圏谷のリストを載せる。


 7月31日~8月1日に訪れた薬師岳の圏谷群は薬師岳の東面に広がる複数の圏谷である。ブログでも紹介したが、1974年に続き、その10年後の1984年にも登っている。その時の写真を眺めていたら、あることに気づいた。その時はたくさんあったのに、今や少しとなってしまったものがあった。それは残雪の量だった。今回薬師岳で目にしたのは、薬師平にあった小さな雪渓のみであった。以下、古い山の写真帳から順次紹介していきたい。
<薬師岳の例>

 1984.7.28 スゴの頭から薬師岳  山頂近くには残雪ガ多くあることが分る

  同上 薬師岳 雪がたっぷり残っている

 今年の薬師岳(太郎平小屋から) 上の写真とは方角は違うが雪はほとんど見られない
以下はおまけ

 五色ヶ原の朝

 34歳となったおじさん
 
<白馬大雪渓の例>

 1983.7.30 白馬大雪渓 左の写真は白馬尻 少し上に雪渓の最下部が見えている
 大雪渓の上(葱平付近)にも雪渓があった

 2016.8.1 白馬大雪渓 この時、白馬尻からかなり登って最下部に到着した さらにに葱平には雪はなかった
 雪渓の幅も深さも少なくなっていることがわかるであろう

<五竜岳から見る剱岳、立山>

 1982,7.31 剱、立山方面には雪が多く残っている

<白山の例>

 1977.4.30 上は御前峰山頂の社 下は室堂方面 小屋は屋根だけ見える

 以上見てきたように、夏山の雪の量は確実に減ってきていることがわかる。高山植物は雪の融けるのを待つかのように咲きそろう。そうだとすると花の咲く時期は今後も大幅に前倒しされる可能性があるということだろう。そして、雪渓を吹き渡る自然の冷風といった贅沢な喜びもなくなっていくのかもしれない。

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