城台山日記

 城台山の麓で生まれ、毎日この山に登り、野菜・花づくり、読書、山登りをこよなく愛する年寄りの感動と失敗の生活日記です。

日本の戦後はアメリカの属国? 20.2.11

2020-02-11 19:28:29 | 面白い本はないか
 昨日やっと雪が降ったが、積雪となるまでには至らなかった。

 初雪の朝
今朝は一年ぶりに冬靴を履き、城台山に登った。土曜日に土蔵岳にE氏と登る約束をしているので、その靴あわせであった。途中春日方面が見えたが、少し白くなった程度であった。

 今朝
帰りに三輪神社のそばを通ると、顔見知りの神社総代さんと巫女(神子)を務める少女たちを見かけた。うかつにも今日は建国記念日で当神社でも祝うべき日であることを失念していた。

 さて、戦後の日本はアメリカの経済、文化、軍事ほかあらゆる面において、アメリカの強力な影響下にあった。その前に、黒崎眞著「マーティン・ルーサー・キング」(岩波新書)について触れておこう。リンカーンやケネディなどとともに有名なアメリカ人である。1983年キングの誕生日を国民祝日(1月の第三月曜日)とする法案が連邦議会で可決され、レーガン大統領(奇しくも88年日系人強制収容に対する謝罪と賠償したのもレーガンである。)の署名により成立した。この法案成立のためにキングの脱政治化が行われた。すなわち、キングが行おうとした三つの悪の解決、人種差別、貧困、戦争(ベトナム戦争)に対する闘いを人種差別撤廃のみにその業績を書き換えることが妥協として行われた。それが、私たちがキング牧師へのステレオタイプな理解となっている。面白いのは毎年大統領がキング国民祝日のための布告文を出していて、その文で触れているので最も多いのが人種差別(バスボイコット、非暴力の堅持、ワシントン行進での「私には夢がある」演説、ノーベル平和賞、キング暗殺)、次に経済的正義、貧困に触れているのが11回(クリントン4回、オバマ7回)、そして平和に触れているのが2017年のオバマだけである。1964年の公民権法の成立から半世紀以上たったが、表面上の差別はなくなったが、しかしそれでも各種の差別は根強くアメリカ社会に残っている。

 戦後、私たちはアメリカの文化などに大いに影響されながら、社会を作っていった。そして、今やアメリカの属国、51番目の州とも言われているが、国民レベルでは必ずしもそれを意識してるわけではない。私自身も少なくとも人生の半分くらいはそう考えていなかった。しかし、本を読めば読むほど先ほどの結論が間違っていないことを確信するのである。わかっているけれど、では他に策はあるかと問われれば答えることができないので、日本に愛着を持っている私には心理的不満が高まるばかりである。

 森正人著「豊かさ幻想ー戦後日本が目指したもの」を紹介する。最初に1950年に西宮球場で開催された「アメリカ博覧会」が登場する。著者は西宮球場は1938年にシナ事変聖戦博覧会、39年に大東亜建設博覧会が朝日新聞と陸軍省の共催で開催された場所だと指摘する。敗戦からたった5年後に手のひらを返すように米国を賞賛する博覧会が行われたのは歴史の皮肉だと。しかもこの博覧会を主催したのは朝日新聞、それを支援したのが米軍とあっては、日本人の変わり身の早さに驚くばかりである。ジョン・ダワー著「敗北を抱きしめて」という本があるが、戦後はこの本のとおり勝者アメリカと敗者日本が合作した作品ということなのだ。

 さらに、1955年開催の「原子力平和利用博覧会」(主催読売新聞社、米国大使館)、1956年のワトキンス調査団の報告「日本の道路は信じがたい程に悪い。工業国にもこれほど完全にその無視してきた国はない。」前者はその後の原発推進につながり、後者はいまだに終わらない道路整備につながる。1970年の万博、高度経済成長の一つの到達点であった。私は、当時大阪市内に下宿していたM氏宅を利用し、会場へ通った。この時、太陽の塔を作った岡本太郎は、後にこう述べている。進歩と調和というのは、僕はストレートに扱いたくない。進歩というのは化学工業の進歩であり、人間は果たして進歩したかというと少しも進歩していないと。

 戦後75年になるが、果たして我々は進歩したのであろうか。
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