城台山日記

 城台山の麓で生まれ、毎日この山に登り、野菜・花づくり、読書、山登りをこよなく愛する年寄りの感動と失敗の生活日記です。

おなじみの日本論・日本人論 21.1.29

2021-01-29 14:36:59 | 面白い本はないか
今日は、予報どおりの朝から雪となった。幸い、昨日までにバラの剪定は済ませた。あとは硫黄石灰剤による消毒と元肥を2月上旬中に行うだけとなる(まとめてブログで紹介する)。月曜日に出かけた貝月山の雪の状況は、既に春山のような雪であったが、この雪でしばらくはラッセルが必要な状態となった。2月6日には土蔵岳に行くことになっており、どんな雪の状態になっているだろうか。予報によると2月後半は本格的に春めいてくるそうだから、いよいよ春山シーズン到来となるであろう。

 内田樹氏の「日本辺境論」を読んでいたら、明治時代から現代に至る日本・日本人について書かれた様々な本が紹介されていた。内田氏自身が語っているように、この本は今までに書かれた本の中の主張を繰り返しているだけで、何も新しい主張はないそうだが、いろんなところに内田氏なりの切り口があり、十分楽しめる内容だと思った。この本に触れる前に、おじさんの書架にあった4冊の本を紹介する。いずれも日本論の古典ともいうべき本であるが、内田氏の本の中では土井健郎の「「甘え」の構造」は出てこなかった。

 右上の本が新渡戸稲造(1984年から2007年まで五千円札の肖像、札幌農学校教授、東京帝大教授、国際連盟次長等々を歴任)の有名な「武士道」。1900年(明治33年)に英文で書かれたものを後に日本語に翻訳、写真は奈良本辰也氏が現代語で翻訳したもの。なぜ、新渡戸はこの本を書いたのか。辺境論でも触れているが、同氏が日本では学校で宗教教育を行っていないと言ったところ、それを聞いた学者が驚嘆して、「宗教なしでどうやって道徳教育を授けるのですか」と言った。私はこれに即答できなかった。私は正邪善悪の観念を形成している各種の要素の分析を始めてから、それが学校ではならうことのなかった武士道であることを見いだした。おじさんは1993年にこの本を遅まきながら読んだようである。

 そして、その左隣が日本人論としては余りにも有名なルース・ベネディクト「菊と刀」(1946年)である。この本は太平洋戦争後のアメリカ軍による占領政策のために書かれた本で、同女史は文化人類学者だが日本についての専門の学者ではないし、日本にも一度も行ったことがない。日本は恥の文化、西洋は罪の文化と書いて、日本人学者から多くの批判を受けた。辺境論ではこう紹介されいる。彼女の観察対象であった捕虜となった日本兵の奇矯なふるまい、すなわち「欧米の兵士と違って、日本に兵士たちが進んで敵軍に協力した点」。「永年軍隊のめしを食い、長い間極端な国家主義者であった彼らは、弾薬集積所の位置を教え、日本軍の兵力配備を綿密に説明し(以下略)」「そのつど、その場において自分より強大なものに対して、屈託なく親密かつ無防備になってみようとする傾向は軍国主義者であることと少しも背馳(はいち)しない」

 その下が土井健郎「「甘え」の構造」(1971年)。著者は精神科医。1980年に読み、2008年に再読した。「もし、日本人の心理に特異的なものがあるとするならば、それは日本語の特異性と密接な関係があるに違いないと考えるようになった。「甘える」という言葉は日本語独特のものらしい」。甘えに関する語彙では、「AはBに甘い」とか「見方が甘い」、そして「すねる」「ひがむ」「ひねくれる」「うらむ」はすねるのは率直に甘えられないからで、すねながら甘えている。他の言葉も甘えから来ている。「すまない」という言葉について「菊と刀」では謝罪と感謝という一見異なる状況についてもこの言葉が使われることにっいて、その説明のためかなりの紙幅をさいている。このことについて、著者は「ここでの問題は、なぜ日本人が親切の行為に対して単純に感謝するのでは足れりとせず、相手の迷惑を想像して詫びねばならないかということである。それは詫びないと、相手が非礼ととりはしないか、その結果相手の好意を失いたくはないので、そして今後も末永く甘えさせて欲しいと思うので、日本人は「すまない」という言葉を頻発すると考えられる。」「甘えは、人間的興隆を円滑にするため、欠くべからざるものであるという見方が成り立つ。」「中国人が西洋文化に容易に好奇心さえ起さなかったのは、彼らが自国の文化に絶大な誇りを持っていたからであろう。このことは、中国人の社会が日本人の社会と違って、およそ甘えの世界とは縁遠いものであることをしめしている。日本人は元来外の動きに敏感であり、少しでも外が己よりも優れているとみれば、直ちに取り込もうとする。」(他にも引用したいところがたくさんあるが割愛する)

 最後に、梅棹忠夫「文明の生態史観」(1957年)。梅棹氏は民族学者で大阪千里にある国立民族学博物館の設立を推進し、自らそこの館長となった方で、確か上野千鶴子氏の師匠である。「文明の生態史観序説」に載ったのが、下記の図である。

 この図はユーラシア大陸を楕円で示している。Ⅰは中国世界、Ⅱはインド世界、Ⅲはロシア世界、Ⅳは地中海・イスラム文明をあらわしている。中央を右から斜めに左へ乾燥地帯が占めている。
「乾燥地帯は悪魔の巣である。暴力と破壊の源泉である。古来繰り返し遊牧民そのほかのメチャクチャな暴力が現れて、その周辺の文明の世界を破壊した。一方、日本と西ヨーロッパは暴力の源泉から遠く、破壊から守られて、中緯度温帯の好条件の中に、温室育ちのようにぬくぬくと成長する。自分の内部からの成長によって、何度かの脱皮を繰り返し、現在に至る。西ヨーロッパも日本と同じ条件にあった。」今このような主張をする人がいれば、モンゴルや中央アジアの国から猛烈な批判が出るであろうし、学界でも随分批判された。しかし、初めて読んだときにわかりやすくてとても面白く感じた。西ヨーロッパはどうだか知らないが、まさしく日本は極東で辺境の地である。文明の中心から離れていたことが、日本人の内田氏のいう「キョロキョロ」というまわりを気にして、良いものがあったらすぐに学ぼうとする資質につながったと考えられる。

 地理や気候といった変えることができないいわば自然によって、国民性は大きな影響を受ける。こうした先駆的な本として、和辻哲郎「風土」(1931年)がある。この著者は倫理学者で確か船旅で日本から留学先のヨーロッパに移動する時に目にした様々な風景、気候をわかりやすい「モンスーン」「砂漠」「牧場」と捉えた。モンスーンは日本、中国、東南アジアからインドあたりまで。砂漠は西アジア、牧場は地中海沿岸からヨーロッパ諸国。この三つの類型により、国民性を説明した。この本とても短いので、読むことをお薦めする。鈴木秀夫による「森林の思考・砂漠の思考」もキリスト教など一神教の出てきた背景を説明してくれるなど面白いのかもしれない(昔「風土」とともに手元にあったが、今はない)。

 次回は船曳健夫著「「日本論」再考」(2003年)を紹介する。なかなか「日本辺境論」までたどり着かないがお許しを。 
 


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