醸楽庵(じょうらくあん)だより 

主に芭蕉の俳句、紀行文の鑑賞、お酒、蔵元の話、政治、社会問題、短編小説、文学批評など

醸楽庵だより   1262号   白井一道

2019-12-01 11:49:49 | 随筆・小説



    徒然草89段『奥山に、猫またといふものありて、人を食ふなる』



原文
 「奥山に、猫またといふものありて、人を食ふなる」と人の言ひけるに、「山ならねども、これらにも、猫の経上りて、猫またに成りて、人とる事はあンなるものを」と言ふ者ありけるを、何阿弥陀仏とかや、連歌しける法師の、行願寺の辺にありけるが聞きて、独り歩かん身は心すべきことにこそと思ひける比しも、或所にて夜更くるまで連歌して、たゞ独り帰りけるに、小川の端にて、音に聞きし猫また、あやまたず、足許へふと寄り来て、やがてかきつくまゝに、頚(くび)のほどを食はんとす。肝心(きもごころ)も失せて、防かんとするに力もなく、足も立たず、小川へ転び入りて、「助けよや、猫またよやよや」と叫べば、家々より、松どもともして走り寄りて見れば、このわたりに見知れる僧なり。「こは如何に」とて、川の中より抱き起したれば、連歌の賭物取りて、扇・小箱など懐に持ちたりけるも、水に入りぬ。希有にして助かりたるさまにて、這ふ這ふ家に入りにけり。

現代語訳
 「山奥に猫またというものがおって、人を食らう」と噂になると、「山ばかりじゃないぞ、街場にも猫が化け猫またになって人を襲うことがあるらしいよ」と云うものが出てきた。
何阿弥陀仏とか念じる連歌をする法師が行願寺の辺に出ると聞き、独り歩きは注意しなければと、誰しもが思い始めたころ、ある所にて夜遅くまで連歌を楽しみ、ただ独りで帰ってきたところ小川の端で噂に聞く猫またがねらいどおりに足許にさっと寄って来るや取り付いたまま、首のあたりに食い付こうとしている。正気も失せ、防ぐようにも力が失せ、足も立たず、小川に転びこみ、「助けてくれ、猫またが出た。出た」と叫ぶと家々より松明(たいまつ)をかざして走り寄りてみるとこの辺りでよく見かける僧侶であった。「これはどうしたことだ」と川の中から抱き起してみると連歌の賭けで得た品、扇や小箱などを懐に入れたまま、川に落ちていた。珍しく助かったありさまで這いながら家に入った。

原文
 飼ひける犬の、暗けれど、主を知りて、飛び付きたりけるとぞ。

現代文
 飼っている犬が真っ暗であったが、飼い主だと分かると飛びついて来たという話だ。

 
 神さま、仏さまがいるなら、お化けもいる  白井一道

コーちゃん おばぁーちゃんは毎朝、仏壇に水をあげ、線香を灯しているけど、仏壇の中には仏さまがいるの。
おばぁーちゃん もちろん、仏さまは仏壇の中に入っているんだよ。先祖さまがコーちゃんも、おばぁーちゃんも見守ってくれているんだよ。おじぃ    ちゃんがいてくれたから、今のコーちゃんだって生まれて来たんだよ。
コーちゃん 僕はほとんどおじぃちゃんの思い出はないなぁ。おじいちゃんが死んだのははっきりおぼえているけど。
おばぁーちゃん おじいさんは立派な人だったよ。戦後、市長さんから委嘱され、市の教育長をしていたんだよ。周りの人からは旦那様と言われていた人だったからね。
コーちゃん でも死んでしまえば何もなくなっちゃうんだから、ただ記憶があるだけだね。
おばぁーちゃん そんなことはないよ。おじいちゃんがいたからこそ、土地改良事業が進み、水捌けのいい田畑ができたのもおじいちゃんがいたからできたようなもんだよ。
コーちゃん へぇー、そうなんだ。でも今じゃ、ただ記憶があるだけだね。
おばぁーちゃん 胸の中に今もおじいちゃんは生きているよ。だから毎朝、仏壇に水をあげ、線香に火を灯し、お祈りしているんだよ。家族、みんなを見守ってくれてありがとうと感謝しているんだよ。
コーちゃん 僕はおじいちゃんの夢なんてみたことないけど、おばぁーちゃんはよくおじいちゃんの夢を見るの。
おばぁーちゃん 今でもたまにおじいちゃんが若かった頃のことを夢に見ることはあるよ。
コーちゃん 死んだおじいちゃんの霊魂が生きているならお化けになって出てくるかもね。