『徒然草』の文体の特徴について
例文 第19段
「鳥の声などもことの外に春めきて、のどやかなる日影に、墻根の草萌え出づるころより、やゝ春ふかく、霞みわたりて、花もやうやうけしきだつほどこそあれ、折しも、雨・風うちつづきて、心あわたゝしく散り過ぎぬ、青葉になりゆくまで、万に、ただ、心をのみぞ悩ます」。
特徴、
1、一文が長い。
「鳥の声」から「ただ」までが、「心を悩ます」ことを説明している。修飾語区が長い。
2、修飾語の数が多い。
「鳥の声などがことのほか春めいてきた」と一文で表現できることを「悩ます」という動詞を修飾する副詞的修飾語区にする。
3、「悩ます」内容を豊かにすることによって豊かな文章にしようとしている。結果的に動詞を重視する文章になっている。なぜこのような文章になったのかと言うと、「悩ます」という言葉の類語の数が現在と違って少なかったからではないか。現代では次のような類語がある。「苦慮している ・ 苦しんでいる ・ 苛まれている ・ 苦悩している ・ もだえ苦しむ ・ 苦悶する ・ 身を焦がす ・ 悶える ・ 悶え苦しむ ・ 苦悩する ・ 悩み苦しむ ・ 悩む ・ 苦しむ ・ 苦しみ悶える ・ 喘ぐ ・ アップアップする ・ 苦しい状態になる ・ 苦しい状態に陥る ・ 苦境に陥る ・ 一杯一杯になる ・ 苦しみ喘ぐ ・ 苛まれている ・ 苦悩している ・ もがき苦しむ ・ 苦汁を味わう ・ 懊悩する ・ 深く悩む ・ 悶絶する ・ 悩みに悩む ・ 悩める ・ 悲鳴を上げる ・ 息も絶え絶えになる ・ 頭を抱える ・ 悩み抜く ・ 四苦八苦する ・ 困り切る ・ 身もだえする ・ 葛藤する ・ 呻吟する ・ 苦渋を味わう ・ 苦慮する ・ 焦がす ・ 苦しみを味わう」等々。
4、動詞が最後にくる日本語、膠着語の特徴を十分に表現することによってゆったりとした時間の流れを味わう文章になっている。
文章の近代化
言文一致によって文章が近代化された。口語と文語とを一体のものにすることによって文章が国民全員のものになった。江戸時代においては文章を書く者は公家や武士が中心で百姓、町人は文盲が大半であった。農民や町人は日常生活において文字を書く必要がほとんどなかった。四民平等は同時に文字を農民、町人に解放した。その結果、学校教育を義務化した。第一に行ったことは文字の学習、平仮名、カタカナ、漢字の教育であった。
明治になって標準語という日本語が東京山の手で使われていた言葉を中心に政府が造った。その言葉を小学校で教えた。そうした標準語で書かれた美しい文章が森鴎外の文章だと言われている。その頂点をなすのが志賀直哉の文章だと言われているようだ。志賀直哉は小説の神様と言われている。志賀直哉の短編小説『小僧の神様』の冒頭の文章は次のようなものだ。
「仙吉は神田の或秤屋の店に奉公して居る。
それは秋らしい柔らかな澄んだ陽ざしが、紺の大分(だいぶん)はげ落ちた暖簾の下から静かに店先に差し込んで居る時だった。店には一人の客もない。帳場格子の中に座って退屈そうに巻煙草をふかして居た番頭が、火鉢の傍で新聞を読んで居る若い番頭にこんな風に話しかけた」。
『小僧の神様』は短編小説の傑作として知られたものである。
この文章を読むと副詞句や形容詞句といった修飾語区が少ない。明確なイメージを読者に思い描かせる。基本的には主語一つと述語一つの文章で構成されている。ここに近代日本語の文章の基本構造がある。この文章の基本構造が現代日本語の主流である。この主流に対して傍流の流れもまたあることに注意したい。具体的な例が次のものだ。
野坂昭如の短編小説『マッチ売りの少女』から
「ドヤ街を抜けて、三角公園の、まばらに生える木立ちの根方に、お安はしょんぼりと立ち、だがその姿、まるで何年も住みついたお化けのように、形がきまった」。「ドヤ街」から「お化けのように」までが「形がきまった」ことを説明している。修飾語が長い。野坂昭如は江戸時代の戯作に似せて小説を書いたと言われている。ある意味、平安女流文学や兼好法師までさかのぼる膠着語としての日本語の特徴を表現しているような文章を現代によみがえらせたのが野坂昭如の文章なのであろう。それは『高野聖』を書いた泉鏡花の文章にまで遡る。