醸楽庵(じょうらくあん)だより 

主に芭蕉の俳句、紀行文の鑑賞、お酒、蔵元の話、政治、社会問題、短編小説、文学批評など

醸楽庵だより   1287号   白井一道

2019-12-29 12:16:33 | 随筆・小説



    立場主義ということ    白井一道



 民主党政権で首相になった鳩山由紀夫氏は退陣後五年を経て一枚の文書を明らかにした。その文書とは、衆議院選挙前、沖縄県辺野古に普天間米軍基地を「最低でも県外」に移設すると公約し、選挙後に「学べば学ぶ ほど(抑止力が必要との思いに至った)」と辺野古移設に舵を切った事情を明らかにしたものだった。その文書を公開し、講演会をした。それが次のものである。
「鳩山友紀夫元首相による講演会「鳩山元総理が明かす『辺野古新基地』の真相」が、2016.2、4、午後1時半から、日本記者クラブ10階ホールにて行われた。
 「(2010年)4月19日か20日だったかと思いますが、3枚の紙切れを持った外務省の役人がやってまいりまして、『大使館と交渉した結果こういうことになりました』と、その紙を見せられました」
 沖縄米軍の陸上部隊と海上部隊は、一緒に北部訓練場で訓練を行なう。その訓練の一体性を考えると、普天間基地がどこか遠くに移設され、そこまでの距離があまりにも長いと、移動等に時間がかかりすぎて訓練が十分にできない。その距離は65海里(約120km)以内であるべきだ、という基準が米軍のマニュアルにも明記されていると、その紙には書かれていたとのこと。
 当時、移設の候補地として鳩山氏が名前を上げていた徳之島までは、200kmをはるかに超える。
 「すなわち、これは徳之島をあきらめなさいというペーパーでございました」
 これが決定打となり県外移設を断念したと鳩山氏は当時を振り返る。
 その後、2ヶ月にも満たない6月8日、鳩山氏は首相を辞任した。
その後、「65海里」基準、米軍マニュアルには表記なし。外務省「いや、そんな紙はありません」
 鳩山氏によれば、「普天間移設問題に関する米側からの説明」と書かれたこの書類は、2015年4月まで極秘文書扱いだったとのこと。極秘期間が解けた後、琉球新報などに調査を依頼したところ、「アメリカ軍がマニュアルに明記してある」というのは事実ではなかったことが明らかになった。
 「今担当者に聞こうとしても、皆さん口をつぐんでだれも答えない。『こんなペーパー知らないよ』みたいな話になっておりまして」と、鳩山氏はいぶかしかった。
 鳩山氏に協力して、この件の調査を行っているという元衆議院議員の川内博史氏は、
 「自民党政権になってから、佐賀に普天間のヘリコプター部隊を移してはいかがというようなことが、安倍政権から発議をされた。『120キロ以内じゃないとだめ』と米軍のマニュアルに書いているのに、なぜ、500キロから600キロは離れている佐賀に移せるのかと、鳩山先生は不思議に思われていた」と補足した。
 そして、極秘指定の期間が終わり、あらためて外務省に、このペーパーについて、もう一度説明を求めた所、外務省の担当局は、時の総理の公約を撤回させた、極めて重要な文書でありながら、「いや、そんな紙はありません」と「知りません」と応えたとのこと。
 「では、この紙は、いったいどういう位置付けになるのか!? 再度外務省に今お聞きしているところでありますけど、今のところ『調査します』『少し待ってください』ということで、返事をお待ちしている状況」と、説明した。
外務省「公文書ではない」「外務省が作成したものかどうかわからない」と二転三転し、現在「調査中」。虚偽文書作成の疑いも!?
 講演会の司会を勤めた、元日本ジャーナリスト会議代表委員の桂敬一氏は、「これは首相を騙すための謀略じゃないかと言う気がするんですよ」との見方を示した。」      Iwj 岩上安身より
 鳩山由紀夫氏は偽の極秘文書の極秘期間五年間を経て公表した。鳩山由紀夫氏は偽の極秘文書により政権から葬られた。山本太郎氏は街頭記者会見で鳩山由紀夫氏が偽極秘文書に騙されたことに触れ、「私だったら、その極秘文書を直ちに公表しすると発言していた。外務官僚の立場など考慮することなく、自分の政治的生命を賭け、主張を実現するために極秘文書も公表するのが山本太郎氏のようだ。
 レーニンはロマノフ王朝を打倒した後、外交機密文書を全世界に公表した。この結果、英国はパレスチナにユダヤ人の国ができることを約束したバルフォア宣言をし、他方アラブ人にはアラブ人の独立を認める約束をしたフセイン=マクマホン協定を秘密に結んだ。更に英国は仏、露とサイクス=ピコ協定を結び中東を分割することを約束していた。