醸楽庵(じょうらくあん)だより 

主に芭蕉の俳句、紀行文の鑑賞、お酒、蔵元の話、政治、社会問題、短編小説、文学批評など

醸楽庵だより   1284号   白井一道

2019-12-25 11:02:16 | 随筆・小説



   徒然草第110段『双六の上手といひし人に』



原文
 双六の上手といひし人に、その手立を問ひ侍りしかば、「勝たんと打つべからず。負けじと打つべきなり。いづれの手か疾(と)く負けぬべきと案じて、その手を使はずして、一目なりともおそく負くべき手につくべし」と言ふ。

現代語訳
 双六が上手だと言われている人にその指し手を聞いたところ、「勝とうと思って打ってはならない。負けない手を打つべきだ。どの手が早く負けてしまうのかを考え、その手を使うのは止め、一目でも負けが遅くなるような手を考え尽くすべきだ」と言う。

原文
 道を知れる教、身を治め、国を保たん道も、またしかなり。

現代語訳
 それぞれの分野の事についてわきまえることが身体の健康を保ち、国の平和を保つこともまた同じことであろう。

 将棋が強くなるには  白井一道
 将棋指師を勝負師と言う。将棋は勝負なのだ。指し手は無限大である。その中から有効な手を探し出すゲームなのだ。相手側により大きな打撃をどけだけ与えることができるかを競う遊びなのだ。隙がある。この隙を付けば、相手は一網打尽に滅びてしまうに違いない。そう思って指した手にほくそ笑んでいると突然、自分の玉がカラ空きなってしまっていることに気付き、顔が青ざめていく。相手の顔を見る。相手は微笑んでゆっくりと駒を取り上げ、玉の頭に金を打ち下ろしてくる。あー、この隙は毒饅頭だった。自分だけの勝手読みにがっくりも、勝負はついてしまった。と、同時に相手の読みの深さに脱帽する。そうだ。相手を敬う気持ちがなければ、指し手を深く読むことはできないなとも考える。
 指し手をどれだけ深く読むことができるかを競うゲームが将棋や囲碁なのではないか。