徒然草90段 『大納言法印の召使ひし乙鶴丸』
原文
大納言法印の召使ひし乙鶴丸、やすら殿といふ者を知りて、常に行き通ひしに、或時出でて帰り来たるを、法印、「いづくへ行きつるぞ」と問ひしかば、「やすら殿のがり罷りて候ふ」と言ふ。「そのやすら殿は、男か法師か」とまた問はれて、袖掻き合せて、「いかゞ候ふらん。頭をば見候はず」と答へ申しき。
現代語訳
大納言法印(だいなごんほういん)の召し使っていた乙鶴丸はやすら殿と云うものと知り合い、常に行き来するようになり、ある時、外出して帰って来たときに法印は「どこに行って来たのか」と尋ねたところ、「やすら殿のところに行ってまいりました」と答えた。「そのやすら殿は、俗人か、僧侶か」とまた尋ねると乙鶴丸は袖を掻き合わせて「どうなのでしようか。頭を見ませんでしたので」と答え述べた。
原文
などか、頭ばかりの見えざりけん。
現代文
どうして、頭だけが見えなかったのだろう。
私が想像したこと 白井一道
召使、乙鶴丸は嘘をつくほど、勇気はない。しかし本当のことは言いたくない。その結果、何を云おうとしたのかが全然分からない返答をした。一部の事実を述べて終わりにしようとした。気の弱い部下が上司への回答にこのような回答をすることがある。
嘘は言わない。嘘を言ったと後で小言を言われる心配はないように一部の事実を言う。「桜を見る会」について野党議員から追求されると政府官僚と言われる人々の説明は無関係な事実の一部を答弁する。質問されていることに対して焦点をズラした回答をする。野党議員たちの質問に決して正面きって回答することはない。真実を言うのが恐ろしいのだ。真実を言った場合、どのような事態になるのかが分からない。しかし嘘は言えない。政府の立場としての一部の事実を回答する。同じような回答を何回も繰り返す。このようにして官僚と云われる人々は自分の身を守っている。
「やすら殿」は何をしている人なのかを乙鶴丸ははっきり言うことを躊躇っている。はっきり言うのが怖いのだ。そのような人間関係が主人と召使の人間関係だということを兼好法師は表現した。