徒然草第109段 『高名の木登りといひし男』
原文
高名(かうみよう)の木登りといひし男、人を掟(おき)てて、高き木に登せて、梢を切らせしに、いと危く見えしほどは言ふ事もなくて、降るゝ時に、軒長(のきたけ)ばかりに成りて、「あやまちすな。心して降りよ」と言葉をかけ侍りしを、「かばかりになりては、飛び降るとも降りなん。如何にかく言ふぞ」と申し侍りしかば、「その事に候ふ。目くるめき、枝危きほどは、己れが恐れ侍れば、申さず。あやまちは、安き所に成りて、必ず仕(つかまつ)る事に候ふ」と言ふ。
現代語訳
名高い木登り名人と言われた男は人を指図して高い木に登らせ、梢を切らせた折、特に危なく見えるところでは何も言うことなく、降りてくるとき、軒の高さまでになったとき、「間違えるなよ。気を付けて降りろ」と言葉をかけた。「このような所になって飛び降りようと思えば飛び降りられる。どうしてこの段になって注意されたんですか」と聞いてみたところ、「そのことについて申し上げれば、目の眩むような枝先の危ないところでは、自分自身が恐れ、注意しているので注意しない。過ちは安全な所に来て、必ず事故が起きがちである」と言う。
原文
あやしき下臈(げらふ)なれども、聖人の戒めにかなへり。鞠(まり)も、難き所を蹴出して後、安く思へば必ず落つと侍るやらん。
現代語訳
身分の低い庶民ではあるが、聖人の戒めともいえるような話だ。蹴鞠の鞠も、難しいところに蹴り出して後、容易いと思うと必ず鞠をおとしてしまうようだ。
危険は安心に潜む 白井一道
『徒然草109段』を読み、安心感には危険が潜んでいる。この事は普遍的な真実なのだと改めて感じた。昔、イブ・モンタンが主演した映画『恐怖の報酬(1952)』を思い出した。あらすじは次のようなものだ。
「中央アメリカのラス・ピエドラスという町は世界各国の食いつめ者が集るところだ。コルシカ人マリオ(イヴ・モンタン)もその例外ではなかったが、彼には酒場の看板娘リンダ(ヴェラ・クルーゾー)という恋人がいた。そんな町へ、パリで食いつめた札つき男ジョー(シャルル・ヴァネル)が流れてきてマリオと親しくなった。ある日町から五〇〇キロ先の山の上の油井が火事になり、多くの犠牲者が出た。石油会社では緊急会議の結果、山上までニトログリセリンを運び上げ、それによって鎮火することにした。危険なニトログリセリン運搬の運転手は賞金つきで募集され、多く集った希望のない浮浪者の中からマリオ、ビンバ、ルイジ、スメルロフの四人が選ばれた。選に洩れたジョーは大いに不服だった。翌朝三時、マリオとルイジとビンバは約束通りやって来たがスメルロフは姿を見せず、ジョーが現れた。何故スメルロフが来ないのか、そんな詮索をする暇はない、ジョーが代りに加ってマリオとジョーの組が先発、三十分遅れてルイジとビンバの組が出発した。マリオの組は、ジョーが意外に意気地がなくて二人の協力がうまく行かず、後から来たビンバ組に追いこされてしまった。崖の中腹に突き出た吊棚の上を危うく通りぬけたのち、車は道路をふさいでいる大石のためストップしてしまった。しかし、沈着なビンバは少量のニトログリセリンを使用して大石を爆破し、無事に通りぬけることができた。そのあとは坦々とした行進がつづき、一同もほっとしたとき、突如ビンバの車が大爆発を起し、跡かたもなくけし飛んだ。爆発のあとは送油管が切れて石油がたまりかけていた。早くここを通りぬけないと油に車をとられて二進も三進も行かなくなる。マリオは思いきって車を油の中にのり入れた。そのとき、ジョーが油に足をとられて倒れたが、車を止めることができないばかりに、マリオは倒れたジョーの脚の上を通りぬけなければならなかった。そしてジョーを助け上げ、介抱しながらようやく目的地につくことができたが、そのとき、ジョーは既に息絶えていた。ニトログリセリンのおかげで火事は消しとめられ、マリオは賞金四千ドルをもらった。重責を果して空車を運転しながら帰途につくマリオの心は軽かった。しかし、リンダとの幸福な生活を眼前にしてはずむ彼の心を魔が捉えたのか、僅かのカーヴを切りそこねたトラックは、希望に開けたマリオをのせてもんどりうって崖下に転落した」。「Movie Walker」より