徒然草第111段『囲碁・双六好みて明かし暮らす人は』
原文
「囲碁・双六好みて明かし暮らす人は、四重・五逆にもまされる悪事とぞ思ふ」と、或ひじりの申しし事、耳に止まりて、いみじく覚え侍り。
現代語訳
「囲碁・双六に夢中になって顧みることなく暮らす人は、仏教でいう四重罪、四種の重罪、すなわち、殺生(せっしょう)・偸盗(ちゅうとう、盗むこと)・邪淫(じゃいん、姦淫すること)・妄語(もうご、悟りを開いたと嘘を言うこと)・五逆、五種の最も重い罪、父母を殺すこと、阿羅漢(あらかん=佛または佛の位に達した悟りを開いた聖者を殺すこと、僧の和合(和合僧)を破ること、仏身を傷つけることにも勝る悪事だと思うと、或る僧侶が話していることが心に響き大切なことだと思った。
銀が泣いている 白井一道
「銀が泣いている」は北条秀司原作、新国劇『王将』、村田英雄の歌「王将」のモデルになった人物、坂田三吉が吐いた名言として知られている。大阪の貧民街に生まれ育った文盲の棋士坂田三吉は将棋に秀でた才能の持ち主だった。その栄光の物語が『王将』である。
1913年(大正2年)、将棋界の名人、関根金次郎と対戦した坂田三吉が吐いた言葉が「銀が泣いている」であった。その時の気持ちを坂田三吉は朝日新聞に書いてもらっている。
「(あの銀は)ただの銀じゃない。それは坂田がうつむいて泣いている銀だ。それは駒と違う、坂田三吉が銀になっているのだ。その銀という駒に坂田の魂がぶち込まれているのだ。その駒が泣いている。涙を流して泣いている。今まで私は悪うございました。強情過ぎました。あまり勝負に焦りすぎました。これから決して強情はいたしません、無理はいたしません、といって坂田が銀になって泣いているのだ」
坂田三吉にとって将棋を指すことが人生であった。将棋そのものが坂田三吉の人生であり、生活であった。それほど将棋の勝負というものは人を夢中にさせるものなのだ。だからそれほど勝負事というものは恐ろしいものなのだ。恐ろしいものであるが故に人を夢中にさせるものなのかもしれない。だから兼好法師は囲碁・双六などの勝負事は四重・五逆の悪事だと断罪しているのであろう。