徒然草99段 『堀川相国は、美男のたのしき人にて』
原文
堀川相国(ほりかわのしやうこく)は、美男のたのしき人にて、そのこととなく過差(しわさ)を好み給ひけり。御子基俊卿(おんこもととしのきやう)を大理(だいり)になして、庁務行はれけるに、庁屋の唐櫃(からひつ)見苦しとて、めでたく作り改めらるべき由仰せられけるに、この唐櫃は、上古より伝はりて、その始めを知らず、数百年を経たり。累代の公物、古弊をもちて規模とす。たやすく改められ難き由、故実の諸官等申しければ、その事止みにけり。
現代語訳
堀川相国(ほりかわのしやうこく)こと、久我基具(くがもととも)は、美男で裕福な人で何事につけても度を越した贅沢の好きな人であった。ご子息の基俊卿(もととしのきやう)を検非違使庁長官、大理(だいり)にし、庁務をとらせた時に庁屋の唐櫃(からひつ)が見苦しいので、時を得て作り改められよと命じられたところ、この唐櫃は上古より伝わっているもので、いつから伝わってきているのかわからず、数百年経たものである。代々の官有の物品、古くなり破損しているものを誇っている。容易く改めて作り直すことが難しいので、古例、慣例の役人等に申し述べると、唐櫃を作り直すことは取りやめになった。
慣例の踏襲が支配した社会 白井一道
兼好法師が生きた時代の支配機構では、唐櫃一つを作り直すのに有職故実の専門家の知識が必要とされた社会であった。それは今も宮中では先例、慣習が踏襲されているのだろう。先例・慣習には合理的で現実的な理由があるからなのだろう。
ヘーゲルは『法の哲学』の中で「現実的なものは合理的なものであり、合理的なものは現実的なものである」と述べている。先例や慣習には現実的、合理的な理由があるからこそ、何百年間も変わることなく続けられてきたのであろう。
ヘーゲルとフォイエルバッハの著作を研究したフリードリッヒ・エンゲルスは『ルートヴィヒ・フォイエルバッハとドイツ古典哲学の終結』の著作の中でヘーゲルは当時のドイツ帝国の現実を肯定したがこのヘーゲルのテーゼを徹底させていくと現実的なものは非合理的なものに、非現実的なものに転化していくということを解明し、「すべてのものは死滅するに値する」という命題を導き出した。
現実を変革すること、ここに人間の真実があるとエンゲルスは述べた。