醸楽庵(じょうらくあん)だより 

主に芭蕉の俳句、紀行文の鑑賞、お酒、蔵元の話、政治、社会問題、短編小説、文学批評など

醸楽庵だより   1264号   白井一道

2019-12-04 11:09:03 | 随筆・小説



    徒然草91段 『赤舌日といふ事』



原文
 赤舌日(しやくぜちにち)といふ事、陰陽道には沙汰なき事なり。昔の人、これを忌まず。この比、何者の言ひ出でて忌み始めけるにか、この日ある事、末とほらずと言ひて、その日言ひたりしこと、したりしことかなはず、得たりし物は失ひつ、企てたりし事成らずといふ、愚かなり。吉日を撰びてなしたるわざの末とほらぬを数へて見んも、また等しかるべし。

現代語訳
 赤舌日(しやくぜちにち)といふ事、陰陽道には関係のないことだ。昔の人はこの日を不吉な日として避けることはしなかった。最近、誰かが言い始めて不吉な日だとして避け始め、この日の出来事は終わりまでうまく成就することはないと言って、この日に言ったことや、したことは成就することはなく、得た物は失くしてしまい、企画したことも成就することはないと言うが、愚かなことだ。吉日を選んで行った事の結末を数えてみれば、また赤舌日(しやくぜちにち)に行ったことの結末と同じようなものであろう。

原文
 その故は、無常変易の境、ありと見るものも存ぜず。始めある事も終りなし。志は遂げず。望みは絶えず。人の心不定なり。物皆幻化なり。何事か暫くも住する。この理を知らざるなり。「吉日に悪をなすに、必ず凶なり。悪日に善を行ふに、必ず吉なり」と言へり。吉凶は、人によりて、日によらず。

現代文
 その理由は常なるものは無く、絶えず変わり続けていく世の中、ありとある物が常にあり続けることはありえないからである。初めある事も終わりはない。志を遂げることはあり得ない。望みは絶えずあり。人の心は定まっていない。物は皆、幻のように変わっていく。何事かがしばらくの間存在している。その理(ことわり)は分からない。「吉日に悪をしても必ず凶となる。悪日に善をしても必ず吉だ」と言われている。吉凶は人によるのであって、日によって決まるものではない。

 
 日を見る。方角を見るということ   白井一道
 「貰った黄金コノテヒバの苗木があるのだけれど良かったら、どうかな」と、隣の奥さんに声をかけると今、「どこに植えてあるものですか」との言葉である。「庭に植えてあるけど」と言うと「お宅の庭のどのあたりに植えてあるものなんですか」と問われた。「私は家ら見てどの方角にある植木なのか、方角を気にする方なんですよ」と臨家の奥さんは言った。お宅の家からだと辰巳の方角になるのかなと、答ええると臨家の奥さんは急にニコニコして、「悪いわね。私、黄金コノテヒバの木、好きなのよ。私の家にマッチするような気がしていたのよね」と弾んだ声で言った。庭木を植えるにも方角を見る人がいるのだとその時知った。
  若かった頃、友人の結婚式場の予約受付についていったことがある。その時のことだ。式場予約係りの人が言った。「お式はいつの予定でいらっしゃいますか」。友人は「今年の十月ごろを予定したいと思っているんですけど」。「そうですか。おめでとうございます。今年の十月ですと大安の土、日はすべて予約が入っています。友引の日が一日空いております。その日で良かったら予約を承りますけれど」と言う。「十月の第二週、土曜日は空いているようじゃないですか」と友人がカレンダーを見て言うと「その日は仏滅です。仏滅でよかったら、良いですよ」と受け付け係りの中年の女性は妙に声の調子を変えて行った。「仏滅ですか。あっ、そうか。仏滅ですと、費用もいくらか安くなるということがあるんですか。」と友人が問うと、「そうですね。確かに式場費はお安くはなりますが、その他の経費が幾分お高くなりますが」と薄笑いを浮かべたように話した。
  現代にあっても大安、吉日、方角を気にする人々がいる。こんな話を聞いたことがある。大手企業に働くサラリーマンの間に大学の同窓会がある。その同窓会の仲間が何人か、立て続けに大病をした。これは何か、悪いことがあったのじゃないかということで、同窓会の会長は仲間に呼びかけ、神社に全員を集合させ、神主からお祓いをしてもらったという話を聞いた。未だに神社や神主は社会的役割をはたしているようだ。