醸楽庵(じょうらくあん)だより 

主に芭蕉の俳句、紀行文の鑑賞、お酒、蔵元の話、政治、社会問題、短編小説、文学批評など

醸楽庵だより   1281号   白井一道

2019-12-21 15:31:55 | 随筆・小説



   徒然草第107段『女の物言ひかけたる返事』



原文
 「女の物言ひかけたる返事(かへりごと)、とりあへず、よきほどにする男はありがたきものぞ」とて、亀山院の御時、しれたる女房ども、若き男達の参らるる毎に、「郭公や聞き給へる」と問ひて心見られけるに、某の大納言とかやは、「数ならぬ身は、え聞き候はず」と答へられけり。堀川内大臣殿は、「岩倉にて聞きて候ひしやらん」と仰せられたりけるを、「これは難なし。数ならぬ身、むつかし」など定め合はれけり。

現代語訳
 「女に言葉をかけられた時の返事を当意即妙に上手に受け応えできる男はすくないようだ」ということで、亀山天皇のときに悪ふざけをした女どもが若い男たちが宮中に来られる度毎に「ホトトギスが鳴かれるのをお聞きになりまして」と聞いて男たちの心を推し量ったところ、某大納言とかは「私のような取るに足らない者は聞いておりません」と答えられた。

原文
 すべて、男をば、女に笑はれぬやうにおほしたつべしとぞ。「浄土寺前関白殿は、幼くて、安喜門院のよく教へ参らせさせ給ひける故に、御詞(おんことば)などのよきぞ」と、人の仰せられけるとかや。山階左大臣殿(やましなのさだいじんどの)は、「あやしの下女(しもおんな)の 見奉るも、いと恥づかしく、心づかひせらるゝ」とこそ仰せられけれ。女のなき世なりせば、衣文(えもん)も冠(かむり)も、いかにもあれ、ひきつくろふ人も侍らじ。

現代語訳
 一般的に男とは、女に笑われることがないように養い育てるべきものだ。「浄土寺前関白殿は、後堀河天皇の皇后、安喜門院様に良く教えられているので女性との会話は上手だ」と、人々がおっしゃっているとか。「山階左大臣殿(やましなのさだいじんどの)は、身分の賤しい召使の女に見られることもとても恥ずかしがり、心遣いをしておられる」と言われている。女性のいない世の中になったとしたら、装束の着け方も、冠の被り方もきちんと正装する人はおられまい。

原文
 かく人に恥ぢらるゝ女、如何ばかりいみじきものぞと思ふに、女の性(しょう)は皆ひがめり。人我(にんが)の相深く、貪欲(とんよく)甚だしく、物の理を知らず。たゞ、迷ひの方に心も速く移り、詞も巧みに、苦しからぬ事をも問ふ時は言はず。用意あるかと見れば、また、あさましき事まで問はず語りに言ひ出だす。深くたばかり飾れる事は、男の智恵にもまさりたるかと思へば、その事、跡より顕はるゝを知らず。すなほならずして拙きものは、女なり。その心に随ひてよく思はれん事は、心憂かるべし。されば、何かは女の恥づかしからん。もし賢女あらば、それもものうとく、すさまじかりなん。たゞ、迷ひを主としてかれに随ふ時、やさしくも、面白くも覚ゆべき事なり。

現代語訳
 このように人の気の置ける女性はどんなにか大事な存在だと思うのに、女の性(さが)はすべていじけている。人と自分は違うという気持ちが強く、欲張りでものの道理が分かっていない。ただ迷いだす気持ちが強くなり、言葉も巧みに、簡単なことを聞いても答えない。答えの用意があると思えば、今度はまた取るに足りない事まで聞いてもいないのに語り出す。深く考えをめぐらし、うわべを飾っている点は、男性の分別する心の働きよりも勝っているかと思うとその飾っていたことが後にバレることが分かっていない。素直でなく見苦しいものが女だ。その女の気持ちに寄り添い良く思われようとすることは、情けないことであろう。どうして、女に気をつかう必要があろうか。もし賢い女がいるなら、その女には親しみが持てず、興ざめであろう。ただ女の魅力に迷い込み、ふらふらと従う時は優しくも面白くも感じることがあるのだ。

 厳しい男女差別の中に生きた兼好法師 白井一道
 男女差別が当然のこととして認められていた社会にあっては、女性に対する正当な見方ができないということを兼好法師の文章を通して理解することができる。制度としての男女差別は男と女に対する偏見が生じる。