醸楽庵(じょうらくあん)だより 

主に芭蕉の俳句、紀行文の鑑賞、お酒、蔵元の話、政治、社会問題、短編小説、文学批評など

醸楽庵だより   1370号   白井一道

2020-04-02 10:56:41 | 随筆・小説


   
 徒然草第194段 達人の、人を見る眼は


原文
  達人の、人を見る眼(まなこ)は、少しも誤る所あるべからず。
例へば、或人の、世に虚言(そらごと)を構へ出して、人を謀る事あらんに、素直に、実と思ひて、言ふまゝに謀らるゝ人あり。余りに深く信を起して、なほ煩(わづら)はしく、虚言を心得添ふる人あり。また、何としも思はで、心をつけぬ人あり。また、いさゝかおぼつかなく覚えて、頼むにもあらず、頼まずもあらで、案じゐたる人あり。また、実(まこと)しくは覚えねども、人の言ふ事なれば、さもあらんとて止みぬる人もあり。また、さまざまに推し、心得たるよしして、賢げにうちうなづき、ほゝ笑みてゐたれど、つやつや知らぬ人あり。また、推し出して、「あはれ、さるめり」と思ひながら、なほ、誤りもこそあれと怪しむ人あり。また、「異なるやうもなかりけり」と、手を拍ちて笑ふ人あり。また、心得たれども、知れりとも言はず、おぼつかなからぬは、とかくの事なく、知らぬ人と同じやうにて過ぐる人あり。また、この虚言(そらごと)の本意を、初めより心得て、少しもあざむかず、構へ出したる人と同じ心になりて、力を合はする人あり。
 愚者の中の戯れだに、知りたる人の前にては、このさまざまの得たる所、詞にても、顔にても、隠れなく知られぬべし。まして、明らかならん人の、惑へる我等を見んこと、掌の上の物を見んが如し。但し、かやうの推し測りにて、仏法までをなずらへ言ふべきにはあらず
現代語訳
達人の人を見る目は、少しも間違うことはない。
 例えば、或る人が世にうまい話を作り出し、人を騙そうとしていることに、素直に本当のことだと思って騙される人がいる。あまりに深くその話を信じて、更にいろいろと嘘を加える人がいる。また、何とも思わず、心に入れない人がいる。また、少し心配になり、誰かを頼みにするでもなく、頼まないでもなく、案じている人もいる。また本当のことだとも思わないけれども、人の言う事なのでそのような事もあるであろうと思ってしまう人もいる。またいろいろと推し量り心得たように賢げに納得し、微笑んでいるがほとんど何も分かっていない人もいる。また、推し量り嘘を見破り「ああ、きっとそうなのだろう」と見破りながら、なお私の憶測に間違いがあるかもしれないと心配する人がいる。また「格別のこともなかったのだなぁ」と、手をたたいて笑う人がいる。また、納得したけれども、分かったとは言わずに、はっきりしないことには格別のことなく知らない人と同じように見過ごす人がいる。また、この上手い話の本意を最初から見抜き、少しも小馬鹿にしないで、上手い話を作った人と同じ気持ちになって協力する人がいる。
 愚か者がする戯れだと分かっている人の前では、この様々な人の対応が言葉にも、顔にも隠れることなく知られるであろう。まして、明らかになっている人の惑える我らを見ることは、掌の上の物を見るかのようなものだ。ただし、このように推し測り、仏法の嘘も方便を同等なものと言ってはならない。

 山尾志桜里さんの国会質疑を聞いて 白井一道
 「新型コロナウイルスのさらなる感染拡大に備え、総理大臣が「緊急事態宣言」を行い、都道府県知事が外出の自粛や学校の休校などの要請や指示を行うことを可能にする特別措置法案は、12日、衆議院を通過し、13日、参議院内閣委員会で質疑と採決が行われた結果、賛成多数で可決されました」。
NHKニュースより
 衆議院議員山尾志桜里さんは「新型コロナウイルス特別措置法案」が「緊急事態宣言」が出せるようになったことに不安を覚え、立憲民主党が賛成を決めている中、反対票を投じた。その後、山尾議員は立憲民主党から離党した。その主な理由は、「緊急事態宣言」が言論の自由を統制し、政府の方針を批判する言論弾圧が可能になることに抗議して、山尾議員は立憲民主党を離党したと私は理解した。現安倍政権はそのようなことはしないと内閣府副大臣は山尾委員の質問に答えているが、将来にわたってそうなのかという山尾委員の質問に対して、政府はその時の政権の意向によるという回答を聞き、自民党政権の意向は政府の方針に対する批判的言論を統制したいと言う事なんだと理解したと私は理解した。山尾議員の認識は正しいと私は思う。現自民党政権には民主主義を守り抜くとは思えない。

醸楽庵だより   1369号   白井一道

2020-04-02 10:56:41 | 随筆・小説



   
 徒然草第193段くらき人の、人を測りて



原文
 くらき人の、人を測りて、その智(ち)を知れりと思はん、さらに当るべからず。
拙き人の、碁打つ事ばかりにさとく、巧みなるは、賢き人の、この芸におろかなるを見て、己れが智に及ばずと定めて、万の道の匠、我が道を人の知らざるを見て、己れすぐれたりと思はん事、大きなる誤りなるべし。文字の法師、暗証の禅師、互ひに測りて、己れに如かずと思へる、共に当らず。
己れが境界にあらざるものをば、争ふべからず、是非すべからず。

現代語訳
 愚かな人が人を推し量るのを聞き、それを聞いてもっともだと思うこともないし、更にその評価が当たっていることもない。
 未熟な人が碁を打つことにかけては頭が働き、優れているので、下手な碁を見て、自分の碁の力には及ばないなと思い決めて、いろいろな分野の匠が己の分野についてこの人は何も知らないのだと思い、自分は優れていると思うことは大きな間違いである。文字を知っている法師、経を暗証している禅師は互いに評価し合い、己には適うまいと思うのは、共に間違っている。
 自分の専門外の者をひき比べることはしてはならないし、良し悪しを批評してはならない。

 山本太郎氏の街頭記者会見を聞いて
              白井一道
 山本太郎氏の話を聞いて感動する。日本全国を回って一人一人の話に耳を傾ける。厳しい生活をしている人が山本太郎氏になけなしの金を献金する。きっと私と同じように山持太郎氏の話に真実があると感じるからであろう。その真実とは一人一人の存在が貴いものであるということを感じさせてくれるからであろう。この世に存在しなくともいいような人は一人もいないのだと心の底から山本太郎氏は訴えていると感じるからなのであろう。私のような存在、いてもいなくてもいいような存在だと日々感じさせられている社会の中に生きる哀しみを噛みしめてている人間にとって山本太郎氏の訴えは身に沁みるのだ。
 あなたの代わりになる人はいくらでもいます。嫌であったら辞めてください。あなたの仕事を見ていると嫌々しているように見えます。そんなに嫌なら辞めていただいて結構です。気に入られないとこのような事を言われてしまう。だから気に入られようと誰もが必死に生きている。
 兵士の命は一銭五厘と昔の人から聞かされたことがある。太平洋戦争参戦記には招集された新兵が上官から「お前ら兵隊は一銭五厘でいくらでも集められる消耗品だ」。「お前らの命は一銭五厘の値打ちしなかい」と言われたという。兵士の命は羽毛より軽いとも言われた。
 明治時代に出された軍人勅諭には次のようにある。「軍人は忠節を盡すを本分とすへし凡生を我國に稟くるもの誰かは國に報ゆるの心なかるへき况して軍人たらん者は此心の固からては物の用に立ち得へしとも思はれす軍人にして報國の心堅固ならさるは如何程技藝に熟し學術に長するも猶偶人にひとしかるへし其隊伍も整ひ節制も正くとも忠節を存せさる軍隊は事に臨みて烏合の衆に同かるへし抑國家を保護し國權を維持するは兵力に在れは兵力の消長は是國運の盛衰なることを辨へ世論に惑はす政治に拘らす只々一途に己か本分の忠節を守り義は山嶽よりも重く死は鴻毛よりも輕しと覺悟せよ其操を破りて不覺を取り汚名を受くるなかれ」と。
 日本国民の命を「鴻毛よりも輕し」と日本の支配者たちは見なしていたのだ。このような思想が日本の指導層の人々の中に今も息づいているのだ。その中で山本太郎氏は身体に重いハンデを持った人を二人、参議院議員に当選させたのだ。この世に生きる人々はすべての人がどのようなハンデを持った人であってもかけがえのない存在であることを主張し、実現したのだ。今まで誰も実現することの出来なかったことを身をもって実現したのだ。
 山本太郎氏は人間を生産性で評価してはならないと主張する。昔のイヌイットの社会では猟の上手な人も下手の人も収獲したものを平等に食べる。特に上手な人がたくさん食べていいと言う事はなかった。分配は平等なのだ。これが社会というものなのだ。能力の高いものもいれば、低い者もいる。それでいいのだ。その上で人間は平等なのだ。この平等観を実現することなしには平和を実現することは不可能であろう。平等なしには平和はないのだ。