徒然草第207段 亀山殿建てられんとて
原文
亀山殿建てられんとて地を引かれけるに、大きなる蛇(くちなは)、数も知らず凝り集りたる塚ありけり。「この所の神なり」と言ひて、事の由を申しければ、「いかゞあるべき」と勅問ありけるに、「古くよりこの地を占めたる物ならば、さうなく掘り捨てられ難し」と皆人申されけるに、この大臣、一人、「王土にをらん虫、皇居を建てられんに、何の祟りをかなすべき。鬼神はよこしまなし。咎(とが)むべからず。たゞ、みな掘り捨つべし」と申されたりければ、塚を崩して、蛇をば大井河に流してンげり。
さらに祟りなかりけり。
現代語訳
亀山殿をお建てになろうとして地ならしをしたところ大きな蛇が数知らず凝り集まっている塚があった。「この土地の主たる神霊だ」と言って事の理由を話したところ、「どうしたものか」と天皇からのご下問があり、「昔からこの土地を占有している主であるなら、むやみに掘り捨てるわけにもいくまい」と皆が申していると、徳大寺実基大臣が一人「天皇の統治される国土に棲む虫が皇居を建てようとしていることに何の祟りがあろうか。神霊に邪心はない。咎めたててたたるはずがない。直ちに皆掘り起こし捨てるべきだ」と申されたので、塚を崩して蛇を大井河に流した。
特に祟りはなかった。
鬼門を避ける 白井一道
鬼門とは北東の方角、裏鬼門は南西の方角を意味する。家相ではその方位に玄関や窓、トイレなどの水まわりを作ると、家の中に悪いことが起きるという。
なぜ北東と南西の方角を、鬼門と裏鬼門と呼ぶのか。その源となったのは、古代中国の情勢と地形がある。当時の中国の都の北東と南西には強大な敵がいて、また南西からは強風が吹いてくるという状況があった。つまり鬼門は「外敵」と「強風」がやってくる方角であり、北東と南西の方角に開口部や水まわりを作らないようにしたのは、住む人の安全と健康を考えた、古代中国の生活の知恵だった。
この考え方が日本に伝わり、当時日本で恐れられていた古の神道の 「丑寅(北東の意)の神」 と合わさって、日本でも北東と南西の方角が強く忌み嫌われるようになった。
ここで問題になるのが、日本列島の地形だ。日本列島は北東から南西に傾いていて、その背骨に山脈があり、その山に直交して川が流れています。つまり山も川も日本列島と同じように傾いている。水利を考えて川沿いに道や家を作れば、自然と家の配置も傾き、開口部は北東か南西、つまり鬼門や裏鬼門の方角を向くようになる。また最近の日本の住宅は、明るい南側にリビングや部屋を作る間取りが人気のため、水回りを北側にまとめるプランが多くある。そうなれば、トイレかお風呂か洗面所か、水回りのどこかが鬼門である北東の方角にかかる。
京都や東京、また大きな城下町は、当時の国家事業として風水を取り入れた造営している。道が正しく東西南北を向いていたり、鬼門に大きなお寺が作られている。しかし、小さな村や民間の造成地では、川に沿って道や家が作られることが多かったため、北東や南西の方角に開口部がある家が多い。
歴史学的に言えば、日本の鬼門は古代中国の生活の知恵と、日本の古の神道が入り混じって生まれたものだから、鬼門に玄関や窓、トイレなどの水回りを作ったからと言って、家の中に悪いことが起きるという根拠はどこにもない。
家相や風水にどこまでこだわるか? その答えを出すには、まずはそう言われる由来や意味を知った上で、それが本当に自分の家に必要なものなのかどうか、じっくり考える必要がある。日本の国土や住宅事情を考えれば、縁起かつぎ程度のスタンスでいるのがよい。
しかしそうは言っても、古の神道とは怨霊信仰が源になったものだから、特に理由はなくても何となく怖いという感覚を持つ人は多い。もし鬼門に不安を感じる、気になってしまうという場合は、鬼門対策をしておくといい。
「鬼門除け」。有名なところでは京都の都を鬼門から守るために比叡山に延暦寺が建てられた。
その方法は、北東の方角にある敷地の角の部分を切り取って祠を立てたり、鬼門除けのお札を張る。
『家相の基礎知識』より