醸楽庵(じょうらくあん)だより 

主に芭蕉の俳句、紀行文の鑑賞、お酒、蔵元の話、政治、社会問題、短編小説、文学批評など

醸楽庵だより   1371号   白井一道   

2020-04-05 11:13:42 | 随筆・小説




   
 徒然草第196段東大寺の神輿



原文
 東大寺の神輿(しんよ)、東寺の若宮より帰座(きざ)の時、源氏の公卿(くぎやう)参られけるに、この殿、大将(だいしやう)にて先を追はれけるを、土御門相国(つちみやどのしやうこく)、「社頭にて、警蹕(けいひつ)いかゞ侍(はんべ)るべからん」と申されければ、「随身の振舞は、兵杖(ひやうぢやう)の家が知る事に候」とばかり答へ給ひけり。
 さて、後に仰せられけるは、「この相国、北山抄〈ほくざんせう〉を見て、西宮(せいきう)の説をこそ知らざりけれ。眷属(けんぞく)の悪鬼(あくき)・悪神(あくじん)恐るゝ故に、神社にて、殊に先を追ふべき理あり」とぞ仰せられける。


現代語訳
 東大寺の神輿(みこし)が東寺の八幡宮より元の座所に戻った時に源氏の公卿が参られたので、久我内大臣殿は右近衛大将として随身に先ばらいをさせたところ、太政大臣源定実は「神社の前で先ばらいをなさることは、いかがなものでございましよう」と申されたので「随身の振る舞いは武官の家柄の近衛大将に就く家だけが知っていることです」と答えられた。
 さて、後に仰せられたのは、「この太政大臣源定実は朝廷の故実書を見て、源高明の著した『西宮記』の説を知らなかった。一族・身内の悪鬼(あくき)・悪神(あくじん)を恐れるために神社では殊に先ばらいをする理由がある」と仰せられた。


 中世社会は呪物が社会を支配した  白井一道
 有職故実が決定的に大事なものだったと、高校生の頃、日本史の授業で教わった記憶がある。その時、なぜ儀式がそれほど中世社会では決定的に重要な意味を持つのかが理解できなかった。教師もまたその理由を説明することはなかった。
 私は公立高校の世界史担当の教師になった。十年ほどたったころであったろうか、なぜ中世社会にあっては、有職故実が決定的に重要な意味をもつのかを一コマ、50分の授業をした記憶がある。
 高校入学式には新入生呼名という儀式がある。何々年度、何々高等学校入学者一年一組何々と担任予定者が一組生徒名を呼名していく。呼名された生徒は「はい」と答えて起立する。担任予定者は次々に呼名していく。40名呼名し終わると次、二組担当予定者の教師が何組生徒名を呼名していく。8組まで呼名し終わると最後に以上320名と8組担任予定者が発言すると体育館の壇上に起立していた校長が以下の者の何々高等学校への入学を許可すると発言する。この儀式が入学式の最も重要な儀式である。なぜなら何々高等学校入学予定者が何々高等学校生徒になった瞬間であるからである。この新入生予定者の呼名という儀式を静かな会場で厳粛に執り行うことが入学式の最も重要なところである。
 しかし実際は入学を希望する生徒にとっても親にとっても最も大事な出来事は合格者発表の瞬間である。泣きを笑いの一瞬でもある。1980年代、いわゆる進学校と言われる有名大学に進学する生徒が多数いる高校への入学者には厳しいものがあった。だから実質的には合格者発表が学校にとって最も大事な事業である。だから入学式は単なる形式に過ぎない。単なる形式に過ぎないから、やむを得ず欠席することも認められている。事前に欠席の連絡があれば入学を取り消されることはない。
 入学式というものは単なるイベントに過ぎない。校長はモーニングのような服装をする。校長になると服装をいちいち気にする。入学式に相応しい訓辞をするのに四苦八苦する。担任教師もまた礼服を着て、式に臨む。この儀式が学校にとっては大事な行事の一つになっている。この行事が生徒をその学校の生徒にしていく。教師もまた行事を通してその学校の教師になっていく。学校にとって行事は生徒が成長していく過程で決定的に重要な意味を持っている。
 何々高等学校への入学を許可するという校長の発言そのものに呪力がある。行事が学校を作っていく。行事そのものに学校を作る呪力がある。このような呪力が何よりも増して社会の中で決定的な意味を持っていた社会が過去の社会である。中世社会より古代社会の方が更に儀式の呪力は大きかったように思われる。この呪力に昔の人々は神の存在を感じたのではないかと私は考えている。この呪力が少しづつ失われて近代社会が成立する。