徒然草第210段 喚子鳥は春のものなり
原文
「喚子鳥(よぶこどり)は春のものなり」とばかり言ひて、如何なる鳥ともさだかに記せる物なし。或真言書の中に、喚子鳥鳴く時、招魂(せうこん)の法をば行ふ次第あり。これは鵺(ぬえ)なり。万葉集の長歌に、「霞立つ、長き春日の」など続けたり。鵺鳥も喚子鳥のことざまに通いて聞ゆ。
現代語訳
「喚子鳥(よぶこどり)は春のものなり」とだけ言って、どのような鳥だともはっきり説明したものはない。ある真言宗の書物に喚子鳥(よぶこどり)が鳴く時は招魂(せうこん)の法を行う手続きが書いてある。この場合の喚子鳥(よぶこどり)は鵺(ぬえ)のことである。万葉集の長歌に「霞立つ、長き春日の」などと続けて謡われている。これから考えてみると鵺鳥(ぬえどり)も喚子鳥(よぶこどり)のことを言っているようにも感じられる。
万葉集から 白井一道
「讃岐国安益郡(あやのこほり)に幸(いでま)せる時、軍王(いくさのおほきみ)の山を見てよみたまへる歌」と題する長歌として、
霞経つ長き春日の 暮れにける わづきも知らず 村肝(むらぎも)の 心を痛み 鵺子鳥(ぬえこどり) うらなけ居れば 玉襷(たまだすき) 懸(か)けのよろしく 遠つ神 わご大君の 行幸(いでまし)の 山越す風の 独り居る わが衣手(ころもで)に 朝夕(あさよひ)に 返らひねれば 丈夫(ますらを)と 思へるわれも 草枕(くさまくら) 旅にしあれば 思ひ遣(や)る たづきを知らに 網(あみ)の浦の 海処女(あまをとめ)らが 焼く塩の 思ひそ焼くる わが下ごころ
現代語訳
霞立つ長き春日が暮れていくように、理由もなく心が痛み、鵺鳥のように泣いていると、美しい襷を懸けるように遠き神であられるわが大君のいらっしゃる山を越えて、風が、独り居る私の袖を朝夕にひるがえらせるので、立派な男子と思っていた私も草を枕の旅にあって憂いを晴らす術も知らずに、網の浦の、海の海女(あま)処女たちが焼く塩のように、(家に残した妻を思って)心が焼けているよ。私の心の中は。
この歌は、舒明天皇(じょめいてんわう)が讃岐国安益郡(現在の香川県綾歌群)に行幸された時に、従駕した軍王(いくさのおほきみ)が詠んだとされる長歌です。
実際には舒明天皇が讃岐国安益郡に行幸されたとする記録はないのですが、この歌につけられた反歌の左注によると、〔山上憶良大夫(やまのうへのおくらのめへつきみ)の類聚歌林(るいじうかりん)に曰く「記に曰く『天皇十一年己亥(きがい)の冬十二月己巳(きし)の朔(つきたち)の壬午(じんご)、伊予の温湯(ゆ)の宮に幸(いでま)す云々』といへり。」〕とあるので、このとき道後温泉に行幸した帰りに讃岐国安益郡にある国府に立ち寄ったのではないかと思われます。
軍王(いくさのおほきみ)については詳しいことはなにも伝わっていないのですが、百済系王族の渡来人という説もあるようです。
この歌ではそんな天皇の行幸に従った軍王が、山を越えて吹き来る風に心をかき乱される不安を鎮めようとして祈りの歌を詠っています。
「丈夫(立派な男子)と思っていた自分が憂いを晴らす術も知らずに、海の海女(あま)処女たちが焼く塩のように、(家に残した妻を思って)心が焼けています」と、家に残してきた妻を思うことでその心の不安を鎮めようとしているわけですね。
この長歌自体には「妻」とは詠われていませんが、長歌の内容を集約した次の反歌で家に残してきた妻に心を寄せることで不安を抑えようとしていることがはっきりと詠われます。
この後、他の歌でもたびたび出てきますが、この時代の旅する者は独り寝の寂しさに心が散って消えてしまわないようにと家に残してきた妻を一心に思って歌を詠み、その心の不安や動揺を鎮めようとしました。
同時に、家にいる妻も、旅先の夫の無事を祈って、旅先の土地や道々の神や精霊に夫を守ってくれるようにとの祈りの歌を詠みました。
万葉集に出てくるこれらの歌は、妻と夫が祈りの歌を詠み、家を守ろうとした。解説 黒路よしひろ