醸楽庵(じょうらくあん)だより 

主に芭蕉の俳句、紀行文の鑑賞、お酒、蔵元の話、政治、社会問題、短編小説、文学批評など

醸楽庵だより   1278号   白井一道

2019-12-18 14:29:14 | 随筆・小説



   徒然草第104段 『荒れたる宿の、人目なきに』



原文
 荒れたる宿の、人目なきに、女の、憚る事ある比(ころ)にて、つれづれと籠り居たるを、或人、とぶらひ給はんとて、夕月夜のおぼつかなきほどに、忍びて尋ねおはしたるに、犬のことことしくとがむれば、下衆女(げすおんな)の、出でて、「いづくよりぞ」と言ふに、やがて案内せさせて、入り給ひぬ。心ぼそげなる有様、いかで過ぐすらんと、いと心ぐるし。あやしき板敷に暫し立ち給へるを、もてしづめたるけはひの、若(わか)やかなるして、「こなた」と言ふ人あれば、たてあけ所狭げなる遣戸よりぞ入り給ひぬる。

現代語訳
 荒れ果てた家の人目に付かない所に女が人目を避ける事情があった頃、閑居していたところを或る人がお尋ねし、犬がけたたましく吠えたので下女が出て来て「どちらからおいでになられましたか」と問い、案内され、屋敷に入れていただいた。心細そうな有様にいかに過ごしているのかと気の毒だった。粗末な板敷きに暫く立ち止まっていると控えめな静かな様子の若々しい声で「こちらへ」という人がおられたのでたてあけの悪い戸より入られた。

原文
 内のさまは、いたくすさまじからず。心にくゝ、火はあなたにほのかなれど、もののきらなど見えて、俄かにしもあらぬ匂ひいとなつかしう住みなしたり。「門(かど)よくさしてよ。雨もぞ降る、御車は門の下に、御供の人はそこそこに」と言へば、「今宵ぞ安き寝は寝べかンめる」とうちさゝめくも、忍びたれど、程なければ、ほの聞ゆ。

現代語訳
 部屋の中の様子はそれほど酷い状況ではなかった。奥ゆかしい灯火は遠く仄かではあるがものの輪郭も見え、来客が見え急いで焚いたようでもない匂いに懐かしさを覚えるような住いにおられた。「門は堅く閉じなさい。雨が降るかもしれません。御車は門の下に、御供の方はそこそこに」と言うと「今晩こそ安眠できそうです」と小声でささやくことも気持ちを抑えがたいのか手狭の家ゆえ微かに聞こえてくる。

原文
 
さて、このほどの事ども細やかに聞え給ふに、夜深き鳥も鳴きぬ。来し方・行末かけてまめやかなる御物語に、この度は鳥も花やかなる声にうちしきれば、明けはなるゝにやと聞き給へど、夜深く急ぐべき所のさまにもあらねば、少したゆみ給へるに、隙(ひま)白くなれば、忘れ難き事など言ひて立ち出で給ふに、梢も庭もめづらしく青み渡りたる卯月ばかりの曙、艶にをかしかりしを思し出でて、桂の木の大きなるが隠るゝまで、今も見送り給ふとぞ。

現代語訳
 さて、この間にあったことを細々と聞いているうちに夜も深まり一番鶏が鳴き始めた。これまでのこととこれからのことのひたむきな話に今度は鳥も華やかな声が度重なると夜が明けたと思ったのだろうか、夜は深く特に急ぐべき状況でもないので、少しのんびりしていると板戸の隙間に光が差し込んで来たので、忘れ難かったことなどを言い、立ちあがると木々の梢も庭も一面珍しくも青々とした四月早朝の曙が艶っぽく趣深く思い出され、桂の大木が見えなくなるまで、その脇を通る時には今も振り返ってみるのだという。

 後朝(きぬぎぬ)の別れ     白井一道
 妻問婚(つまどいこん)がまだ京都を中心とした平安貴族の流れをくむ人々の間にあっては支配的な婚姻形態であったのだろうか。嫁入り婚が支配的な婚姻形態になるのは鎌倉時代に武家政権が成立して以後のことではあるが、兼好法師が生きていた14世紀前半の時代、京都周辺の地域にあってはまだたまだ妻問婚の風習が支配的だったのかもしれない。
 妻問婚にあって離婚は実に簡単なものであった。男が女のもとに通わなくなったことを「床去り」「夜離れ」と言って離婚になったという。また通ってきた夫を妻が返してしまえばやはり離婚となったようだ。このような時代社会状況を知った上で兼好法師の文章を読むと味わい深いものになるのかもしれない。女は男を受け入れた。一番鶏が鳴くころ、男は女の床から去っていく。これを後朝(きぬぎぬ)の別れと言っていたようだ。

醸楽庵だより   1277号   白井一道

2019-12-17 11:09:31 | 随筆・小説



    徒然草103段 『大覚寺殿にて』



原文
 
 大覚寺殿にて、近習の人ども、なぞなぞを作りて解かれける処へ、医師忠守参りたりけるに、侍従大納言公明卿、「我が朝の者とも見えぬ忠守かな」と、なぞなぞにせられにけるを、「唐医師」と解きて笑ひ合はれければ、腹立ちて退り出でにけり。

現代語訳
 後宇多院の御所である大覚寺殿で法皇に仕える者たちがなぞなぞを作り解く遊びをしている所に医師の忠守がやって来ると侍従大納言公明卿が「我が国の者とも見えない忠守かな」となぞなぞを作ると法皇に仕える者どもが「その心は唐医師」と解き笑い合うと医師の忠守は立腹して帰ってしまった。


 現代の帰化人の子孫について      白井一道

 今から400年近く前、豊臣秀吉は二度にわたる朝鮮侵略戦争をした。この侵略戦争で朝鮮から略奪した物の一つが陶器とその陶工たちであった。
 二度目の朝鮮侵略戦争、慶長の役(1598)の戦利品として薩摩藩主、島津義弘が朝鮮から連れ帰った陶工の一人が沈当吉である。この沈当吉から数えて15代続く薩摩焼の窯元が沈壽官窯 (ちんじゅかんがま) のようだ。国の伝統的工芸品指定を受けている「薩摩焼」を代表する窯元のひとつになっている。初代をはじめ薩摩にたどり着いた陶工たちは、鹿児島県日置市東市来町美山の地が祖国に似ているとの理由で、この地に住みついたと言われている。
以来、沈壽官窯は島津家おかかえの御用窯として発展、沈壽官窯の代名詞、美しい白薩摩が生れた。
鉄分を含んだ桜島の火山灰が降り注ぐ鹿児島では、黒っぽい土ばかりである。そのようななかにあって島津家から白い焼き物を作れと命を受け、初代沈当吉たちは7年の歳月をかけて白い土を探し、ようやく見つけた白土で器を焼き、島津家に差し出すと、喜んだお殿様がその功績をたたえ、薩摩焼と名付けた。これが薩摩焼の始まりだと文献にある。当時の日本は、朝鮮の美しい白磁器に強い憧れを抱いていた。しかし、鹿児島では磁器に適した土は見つからず、陶工たちは陶器で白い器を作った。 喜んだ島津家はこれを独占し、民間には黒い器の使用だけを許した。工房は工程ごとに部屋が分かれている。これも実は島津家の「戦略」の名残である。万が一陶工が他の藩に取られてしまった時に、分業制にしておけば器を完成させることができない。それで島津家は完全な分業制を窯に命じた。今でもろくろを回す人はろくろを、絵付けの人は絵付けだけを生涯専門で行うのが、沈壽官窯の伝統である。工房は、工程ごとに部屋が分かれている。これも実は島津家の「戦略」の名残である。万が一陶工が他の藩に取られてしまった時に、分業制にしておけば器を完成させることができない。それで島津家は完全な分業制を窯に命じた。今でもろくろを回す人はろくろを、絵付けの人は絵付けだけを生涯専門で行っている。これが沈壽官窯の伝統ようだ。基本の形を作ったら、白薩摩は「透し彫り」や「絵付け」の工程に進む。透し彫りは幕末から明治を生きた12代沈壽官が生み出した技術だ。何種類もの道具を使い分け、土がやわらかい内に表面に穴をあける。形が整ったら、次は絵付け、白薩摩の絵付けは、幕末の名君として知られる島津斉彬 (しまず・なりあきら) の命で始まり、成功させたのも12代の時代である。二つの国のあいだの空間そのものを楽しんでもらいたいというのが沈壽官窯元の意向である。日本のようで、朝鮮を思わせるような、不思議な空間があるという。
 面玄関。奥には日韓の国旗と、朝鮮の守り神の像が立っている正面玄関がある。
 初代が窯を築いた当時、島津家は陶工たちに朝鮮で暮らしていた通りの生活を命じたという。ですから今でも朝鮮式の呼び名のついた道具などが残っている。古式にならった様々な道具、それは焼き物の先端を行く朝鮮の器づくりを取り入れる目的ももちろんあるが、もう一つ、彼らや彼らの子供達を、日本語も朝鮮の言葉も話せる通訳として起用する狙いがあったようだ。そのために、もともとの民俗風習を忘れさせないようにしたという。
沈壽官窯元では何を見ても何を聞いても、あらゆるものが歴史の中の物語につながっていく。
焼き物の神様をお祭りした朝鮮式の祠がある。現代日本の陶磁器文化は朝鮮の陶磁器文化なしには成立していない。それにもかかわらず朝鮮文化を敬わない日本人が一部に存在している。哀しい日本の現実だ。

醸楽庵だより   1276段   白井一道

2019-12-16 11:45:32 | 随筆・小説



   徒然草102段 『尹大納言光忠卿、追儺の上卿を』



原文
 尹大納言光忠卿(いんのだいなごんみつただきやう)、追儺(ついな)の上卿(しやうけい)を勤められけるに、洞院右大臣殿に次第を申し請けられければ、「又五郎男を師とするより外の才覚候はじ」とぞのたまひける。かの又五郎は、老いたる衛士の、よく公事に慣れたる者にてぞありける。

現代語訳
 尹大納言光忠卿(いんのだいなごんみつただきやう)は、12月末日の夜、宮中で行われる鬼やらいの儀式の責任者を勤められた時に、洞院右大臣殿に儀式の次第について教えを乞うたところ「又五郎男を師とする外の算段はないであろう」とおっしゃられた。かの又五郎は老練な宮中の警備員で公の儀式にたけた者であった。

原文
 近衛殿著陣(このゑどのちやくじん)し給ひける時、軾(ひざつき)を忘れて、外記を召されければ、火たきて候ひけるが、「先づ、軾を召さるべくや候ふらん」と忍びやかに呟きける、いとをかしかりけり。

現代語訳
 近衛殿が自分の席に座られた時、まず下役人に軾(ひざつき)を敷かせるのを忘れて、儀式の進行役を呼びつけられた。火を焚いて準備していた又五郎は「まず膝つきを準備されるのがよろしいのではないでしようか」とひそかに呟いたのがとても面白かった。

 潮目が変わった    白井一道
 TBSテレビ、「報道1930」をほぼ毎日見ている。政府広報を担う報道番組の一つなのであろうと私は見ていた。日韓問題を特に扱っている報道番組なのであろう。韓国叩きをすることによって結果的に政府安倍政権を擁護する番組になっていた。その番組で昨日(12月13日)、はっきりと安倍政権に批判的な発言を番組側の人間がした。今までこのような発言を番組側の人間がすることはなかった。この発言を聞き、私は潮目が変わったのかもしれないなと感じた。
 今までは安倍政権の存続を信じ、安倍政権に忖度した発言をしておかないと心配だったのかもしれない。その心配をしないでもいいような状況になってきたと番組制作者たちは考え始めたのかもしれない。
 安倍政権はレームダック化してきていると日本のマスコミは見始めている証のようだ。「桜を見る会」で安倍政権は詰んでいる。このように郷原信郎元検事が述べているのをyou tubeで知った。安倍晋三氏は「桜を見る会」の前夜祭、ホテルニューオータニでの会費、5000円を安倍晋三氏は支払っていない。これは無銭飲食だと郷原氏は主張していた。軽微な罪ではあるが逃れることは不可能だと完全に将棋であるなら絶体絶命、完全に積んでいると主張゜していた。


醸楽庵だより   1275号   白井一道

2019-12-15 11:06:53 | 随筆・小説



   徒然草101段 『或人、任大臣の節会の』
原文
 或人、任大臣の節会の内辨を勤められけるに、内記の持ちたる宣命を取らずして、堂上せられにけり。極まりなき失礼なれども、立ち帰り取るべきにもあらず、思ひわづらはれけるに、六位外記康綱、衣被(きぬかづ)きの女房をかたらひて、かの宣命を持たせて、忍びやかに奉らせけり。いみじかりけり。

現代語訳
 天皇が大臣を任命する儀式である人が諸事を取り仕切る役を勤められたとき、詔勅・宣命を作成する官吏が持っている宣命を持たずに紫宸殿に入り着座してしまった。極まりない失敗であったけれども、立ち帰るわけにもいかず、思いわずらっていたところ、六位の少外記、中原康綱は高位の女官にお願いしてかの宣命を分からないように持ってきてもらい、差し上げさせた。こうして事なきをえた。


 醜態を晒した官房長官   白井一道
 定例記者会見の場で、新聞記者からの「桜を見る会」についての質問について、答えられない事態が生れた。役人たちが準備した答弁書を役人が走って官房長官の席に運び、答弁する姿がテレビのニュースになった。そろそろ安倍政権の終わりが見えて来たということなのかもしれないな。



醸楽庵だより   1274号   白井一道

2019-12-14 10:29:15 | 随筆・小説



  徒然草100段 『久我相国(こがのしやうこく)は、殿上にて水を召しけるに』



原文
 久我相国(こがのしやうこく)は、殿上にて水を召しけるに、主殿司(とのもづかさ)、土器(かわらけ)を奉りければ、「まがりを参らせよ」とて、まがりしてぞ召しける。

現代語訳
 久我(こが)太政大臣は清涼殿殿上の間にて水を召し上がるに女官の主殿司(とのもづかさ)が土器(かわらけ)の器を持って参ると「木製の器を持ってきてくれ」と言って、木製の器で召し上がられた。


 当時、太政大臣は神格化された存在だったのだろうか。総理大臣が「桜を見る会」で水をコップで飲んだとしても、そのことが人々の注目を集めることはないであろう。兼好法師がなぜこのような文章を書いたのか、その理由が分からない。

醸楽庵だより   1273号   白井一道

2019-12-13 11:26:13 | 随筆・小説



    徒然草99段 『堀川相国は、美男のたのしき人にて』



原文
 堀川相国(ほりかわのしやうこく)は、美男のたのしき人にて、そのこととなく過差(しわさ)を好み給ひけり。御子基俊卿(おんこもととしのきやう)を大理(だいり)になして、庁務行はれけるに、庁屋の唐櫃(からひつ)見苦しとて、めでたく作り改めらるべき由仰せられけるに、この唐櫃は、上古より伝はりて、その始めを知らず、数百年を経たり。累代の公物、古弊をもちて規模とす。たやすく改められ難き由、故実の諸官等申しければ、その事止みにけり。

現代語訳
 堀川相国(ほりかわのしやうこく)こと、久我基具(くがもととも)は、美男で裕福な人で何事につけても度を越した贅沢の好きな人であった。ご子息の基俊卿(もととしのきやう)を検非違使庁長官、大理(だいり)にし、庁務をとらせた時に庁屋の唐櫃(からひつ)が見苦しいので、時を得て作り改められよと命じられたところ、この唐櫃は上古より伝わっているもので、いつから伝わってきているのかわからず、数百年経たものである。代々の官有の物品、古くなり破損しているものを誇っている。容易く改めて作り直すことが難しいので、古例、慣例の役人等に申し述べると、唐櫃を作り直すことは取りやめになった。

 慣例の踏襲が支配した社会  白井一道
 兼好法師が生きた時代の支配機構では、唐櫃一つを作り直すのに有職故実の専門家の知識が必要とされた社会であった。それは今も宮中では先例、慣習が踏襲されているのだろう。先例・慣習には合理的で現実的な理由があるからなのだろう。
 ヘーゲルは『法の哲学』の中で「現実的なものは合理的なものであり、合理的なものは現実的なものである」と述べている。先例や慣習には現実的、合理的な理由があるからこそ、何百年間も変わることなく続けられてきたのであろう。
 ヘーゲルとフォイエルバッハの著作を研究したフリードリッヒ・エンゲルスは『ルートヴィヒ・フォイエルバッハとドイツ古典哲学の終結』の著作の中でヘーゲルは当時のドイツ帝国の現実を肯定したがこのヘーゲルのテーゼを徹底させていくと現実的なものは非合理的なものに、非現実的なものに転化していくということを解明し、「すべてのものは死滅するに値する」という命題を導き出した。
 現実を変革すること、ここに人間の真実があるとエンゲルスは述べた。

醸楽庵だより   1272号   白井一道

2019-12-12 10:35:31 | 随筆・小説



    徒然草第98段 『尊きひじりの言ひ置きける事を』



原文 尊きひじりの言ひ置きける事を書き付けて、一言芳談とかや名づけたる草子を見侍りしに、心に合ひて覚えし事ども。

現代語訳
 尊敬を集めたお坊さんが言い置いた言葉を書きつけて『一言芳談』と名付けられた草子を拝見したところ、心に残り覚えた事々。

原文
一 しやせまし、せずやあらましと思ふ事は、おほやうは、せぬはよきなり。
一 後世(ごせ)を思はん者は、糂汰瓶(じんだがめ)一つも持つまじきことなり。持経・本尊に至るまで、よき物を持つ、よしなき事なり。
一 遁世者は、なきにことかけぬやうを計ひて過ぐる、最上のやうにてあるなり。
一 上臈は下臈に成り、智者は愚者に成り、徳人は貧に成り、能ある人は無能に成るべきなり。
一 仏道を願ふといふは、別の事なし。暇ある身になりて、世の事を心にかけぬを、第一の道とす。
 この外もありし事ども、覚えず。

現代文
一、 することにしようか、しないですませようかと思うことは、大概はしないのがよい。
一、 来世に往生を願う者は糠味噌甕一つも持ってはならない。常に読誦するお経や守り本尊に至るまで立派なものを持つことはつまらないことだ。
一、 出家遁世した者はものがないことに不自由しないよう心がけて生きることが最上の方法であろう。
一、 経験を積んだ上位の僧侶は未熟な下位の僧の心になり、仏教の教養豊かな僧侶は未来のある初心者の僧の気持ちになり、徳を心得た者
は徳に乏しい者の気持ちに寄り添い、有能な者は無能に苦労している者の気持ちになるべきだ。
一、 仏道を願うことにこれ以上のことは何もない。余裕を得た身になって、世俗のことに心を配ることをしないことが第一のことだ。
これらのこと以外のことは記憶にない。

 仏教の精神を『徒然草』に読む     白井一道

 仏教が日本人の宗教になる。日本人の魂になる。古代天皇制権力が武家政権に奪われていく過程で民衆の魂を捉えた思想が末法思想であった。この終末思想にとらわれた時代に明かりをともしたものが観音菩薩信仰であった。この観音菩薩信仰にある心の在り方を兼好法師は観音菩薩の他力信仰を具体的に述べたものの一つが清貧に生きることであった。生きていく上で必要最小限のもの以外のものを持つことは無意味なことだと言っている。世俗的な欲を捨て、信仰を深めることが豊かな精神を育むと述べている。財を誇るようなことは愚かなことだということになる。
 一つ、学のある者もない者も平等だということを述べている。平等であることが真に豊かな精神を育むと。徳のある者もない者も平等であることが仏の精神であると。
 古代天皇制権力が崩壊しも新しい武家政権が確立していく過程にあっては、革新的な思想が生れてくる。古代天皇制権力を支え、武家政治に批判的な人々の中にも革新的な思想が仏教思想として現れてくる現象がある。その一つが兼好法師の『徒然草第98段』ではないか。その思想は人間は平等だということだ。

醸楽庵だより   1271号   白井一道

2019-12-11 11:04:28 | 随筆・小説



    『徒然草』の文体の特徴について



 例文 第19段
 「鳥の声などもことの外に春めきて、のどやかなる日影に、墻根の草萌え出づるころより、やゝ春ふかく、霞みわたりて、花もやうやうけしきだつほどこそあれ、折しも、雨・風うちつづきて、心あわたゝしく散り過ぎぬ、青葉になりゆくまで、万に、ただ、心をのみぞ悩ます」。
 特徴、
1、一文が長い。
「鳥の声」から「ただ」までが、「心を悩ます」ことを説明している。修飾語区が長い。
2、修飾語の数が多い。
「鳥の声などがことのほか春めいてきた」と一文で表現できることを「悩ます」という動詞を修飾する副詞的修飾語区にする。
3、「悩ます」内容を豊かにすることによって豊かな文章にしようとしている。結果的に動詞を重視する文章になっている。なぜこのような文章になったのかと言うと、「悩ます」という言葉の類語の数が現在と違って少なかったからではないか。現代では次のような類語がある。「苦慮している ・ 苦しんでいる ・ 苛まれている ・ 苦悩している ・ もだえ苦しむ ・ 苦悶する ・ 身を焦がす ・ 悶える ・ 悶え苦しむ ・ 苦悩する ・ 悩み苦しむ ・ 悩む ・ 苦しむ ・ 苦しみ悶える ・ 喘ぐ ・ アップアップする ・ 苦しい状態になる ・ 苦しい状態に陥る ・ 苦境に陥る ・ 一杯一杯になる ・ 苦しみ喘ぐ ・ 苛まれている ・ 苦悩している ・ もがき苦しむ ・ 苦汁を味わう ・ 懊悩する ・ 深く悩む ・ 悶絶する ・ 悩みに悩む ・ 悩める ・ 悲鳴を上げる ・ 息も絶え絶えになる ・ 頭を抱える ・ 悩み抜く ・ 四苦八苦する ・ 困り切る ・ 身もだえする ・ 葛藤する ・ 呻吟する ・ 苦渋を味わう ・ 苦慮する ・ 焦がす ・ 苦しみを味わう」等々。
4、動詞が最後にくる日本語、膠着語の特徴を十分に表現することによってゆったりとした時間の流れを味わう文章になっている。

 文章の近代化
言文一致によって文章が近代化された。口語と文語とを一体のものにすることによって文章が国民全員のものになった。江戸時代においては文章を書く者は公家や武士が中心で百姓、町人は文盲が大半であった。農民や町人は日常生活において文字を書く必要がほとんどなかった。四民平等は同時に文字を農民、町人に解放した。その結果、学校教育を義務化した。第一に行ったことは文字の学習、平仮名、カタカナ、漢字の教育であった。
明治になって標準語という日本語が東京山の手で使われていた言葉を中心に政府が造った。その言葉を小学校で教えた。そうした標準語で書かれた美しい文章が森鴎外の文章だと言われている。その頂点をなすのが志賀直哉の文章だと言われているようだ。志賀直哉は小説の神様と言われている。志賀直哉の短編小説『小僧の神様』の冒頭の文章は次のようなものだ。
「仙吉は神田の或秤屋の店に奉公して居る。
 それは秋らしい柔らかな澄んだ陽ざしが、紺の大分(だいぶん)はげ落ちた暖簾の下から静かに店先に差し込んで居る時だった。店には一人の客もない。帳場格子の中に座って退屈そうに巻煙草をふかして居た番頭が、火鉢の傍で新聞を読んで居る若い番頭にこんな風に話しかけた」。
 『小僧の神様』は短編小説の傑作として知られたものである。
 この文章を読むと副詞句や形容詞句といった修飾語区が少ない。明確なイメージを読者に思い描かせる。基本的には主語一つと述語一つの文章で構成されている。ここに近代日本語の文章の基本構造がある。この文章の基本構造が現代日本語の主流である。この主流に対して傍流の流れもまたあることに注意したい。具体的な例が次のものだ。
野坂昭如の短編小説『マッチ売りの少女』から
「ドヤ街を抜けて、三角公園の、まばらに生える木立ちの根方に、お安はしょんぼりと立ち、だがその姿、まるで何年も住みついたお化けのように、形がきまった」。「ドヤ街」から「お化けのように」までが「形がきまった」ことを説明している。修飾語が長い。野坂昭如は江戸時代の戯作に似せて小説を書いたと言われている。ある意味、平安女流文学や兼好法師までさかのぼる膠着語としての日本語の特徴を表現しているような文章を現代によみがえらせたのが野坂昭如の文章なのであろう。それは『高野聖』を書いた泉鏡花の文章にまで遡る。

醸楽庵だより   1270号   白井一道

2019-12-10 15:23:05 | 随筆・小説



    徒然草第97段 『その物に付きて』



原文
 その物に付きて、その物をつひやし損ふ物、数を知らずあり。身に蝨あり。家に鼠あり。国に賊あり。小人に財あり。君子に仁義あり。僧に法あり。

現代語訳
 或るものにくっつき、そのものを食いつぶしてしまう物は数知らずある。体にくっつく虱がいる。家に入り込む鼠がいる。国には利権にたかる賊がいる。つまらぬ人間には金がある。君子は仁義に縛られ国を亡ぼす。僧侶は仏法に縛られ仏法の精神を損なう。


 民主政治は大衆に追従し、民主主義を亡ぼす
                白井一道
 南北戦争中の1863年11月19日、第16代アメリカ合衆国大統領エイブラハム・リンカーンがゲティスバーグ国立戦没者墓地の開所式で行ったたった二分間ほどの演説が世界史的に有名な演説の一つとして伝えられている。その演説とは次のようなものである。
 87前、われわれの父祖たちは、自由の精神にはぐくまれ、人はみな平等に創られているという信条にささげられた新しい国家を、この大陸に誕生させた。
今われわれは、一大内戦のさなかにあり、戦うことにより、自由の精神をはぐくみ、自由の心情にささげられたこの国家が、或いは、このようなあらゆる 国家が、長く存続することは可能なのかどうかを試しているわけである。われわれはそのような戦争に一大激戦の地で、相会している。われわれはこの国家が生き永らえるようにと、ここで生命を捧げた人々の最後の安息の場所として、この戦場の一部をささげるためにやって来た。われわれがそうすることは、まことに 適切であり好ましいことである。
しかし、さらに大きな意味で、われわれは、この土地をささげることはできない。清めささげることもできない。聖別することもできない。足すことも引くこともできない、われわれの貧弱な力をはるかに超越し、生き残った者、戦死した者とを問わず、ここで闘った勇敢な人々がすでに、この土地を清めささげて いるからである。世界は、われわれがここで述べることに、さして注意を払わず、長く記憶にとどめることもないだろう。しかし、彼らがここで成した事を決して忘れ去ることはできない。ここで戦った人々が気高くもここまで勇敢に推し進めてきた未完の事業にここでささげるべきは、むしろ生きているわれわれなのである。われわれの目の前に残された偉大な事業にここで身をささげるべきは、むしろわれわれ自身なのである。―それは、名誉ある戦死者たちが、最後の全力を 尽くして身命をささげた偉大な大義に対して、彼らの後を受け継いで、われわれが一層の献身を決意することであり、これらの戦死者の死を決して無駄にしない ために、この国に神の下で自由の新しい誕生を迎えさせるために、そして、人民の人民による人民のための政治を地上から決して絶滅させないために、われわれ がここで固く決意することである。
アメリカ国務省出版物より
この演説の中の有名な言葉が「人民の人民による人民のための政治」である。ここにアメリカ民主政治の原点があると言われている。
しかし現アメリカ政治はトランプ大統領に牛耳られているようだ。主に日本のマスメディアが報じるトランプ政治は選挙民に媚びる政治をしていると述べている。自動車の街と言われたデトロイト、鉄鋼の街と言われたピッツバーグはラストベルト地帯、錆びついた地域、重工業と製造業の機械が錆びつき、失業者が溢れている街になっている。そこに住む住民たちが喜ぶような政治をしている。その政治とは日本や韓国、中国の工業製品の輸入を制限し、アメリカの工業製品の輸出を増やすこと。そうすることで錆びついた工場に活気を蘇らせようとすること。このような非現実的な政治が民主政治として行われている。錆びついた街に活気を蘇らせることが民主政治として行われている。
このような大衆追従の政治が民主政治という仮面を被って行われている。こうして民主政治は徐々に崩壊していく。
国の権力というものは権力の持つ力によって滅んでいく。

醸楽庵だより   1269号   白井一道

2019-12-09 10:41:36 | 随筆・小説



    徒然草96段 『めなもみといふ草あり』



原文
 めなもみといふ草あり。くちばみに螫(さ)されたる人、かの草を揉みて付けぬれば、即ち癒ゆとなん。見知りて置くべし。

現代語訳
 みなもみという草がある。マムシに噛まれた人は、この草を揉んで付けるとたちまち癒えるという。知っておくことが良かろう。


 民間療法について   白井一道
 「みなもみ」とは、「やぶたばこ」、漢名を天明精。
『本草綱目』巻十七に、「悪蟲蛇螫ノ毒ヲ解ス」とある。岩波文庫の『新訂徒然草』(西尾実・安良岡康作校注)
 実は「めなもみ」だと考えられている植物は、ざっと数えて3種類あるのです。メナモミは現代の植物図鑑にしっかり収載されていて、
例えば、平凡社の『日本の野生植物』Ⅲには、
キク科メナモミ属、学名は、Siegesbeckia pubescens Makino、山野やごみためなどに多い一年草で、茎は高さ60‐120cm、特に上部には開出毛が密にはえる。葉身は卵形または3角状卵形で、長さ7.5‐19cm、幅6.5‐18cm。花は9‐10月に開き、総苞片は5個、長さ10‐12mm。舌状花冠は長さ3.5mm。温暖~暖帯に生育し、北海道~九州、朝鮮・中国に分布する。

とあります。さまざまな植物学の本の中で、メナモミは、Siegesbeckia pubescens Makino です。
 (はちみつブンブンのブログ)より