かあさんのフリータイム

転勤族の夫の退職 子供の自立
そんなリタイアかあさんの生活物語です。

青函連絡船

2015-06-07 21:35:45 | Weblog

先日のNHKのブラタモリで青森から函館の歩きがありました、世界一長い海底トンネル、青函トンネルの話の中でいまは無き青函連絡船のことがでてきました。

明治41年(1908)~昭和63年(1988)までの80年間13隻の連絡船が津軽海峡を行き来していたとのこと

今から約50年前の昭和39年に青函トンネルの着工が始まり、昭和60年に完成で63年(1988)3月13日に開業とのこと、それまでに犠牲になった方が34名とのこと、どれだけ大変な工事であったことでしょう。

それと合わせて、ちょうど同じ頃、いままでの溜まった写真の整理をしていたところ、青函連絡船が終わるころに乗ったことのある懐かしい写真を見つけました。

 北海道から転勤で内地(当時は北海道の人たちは本州のことを内地と言っていました)へ向かう途中、記念写真に写った青函連絡船と 津軽丸の看板が懐かしく、津軽海峡の風の強かったことを思い出します。     

ブラタモリの歴史を紐解いていくと、私たちが海の上を通っていたこの頃海底ではトンネルが掘られていたことはつゆ知らずでした。暗く閉ざされた豪雪地から内地へ向かう・・・そのことだけで頭がいっぱいでした。。この何年か後に連絡船が廃止され、着工から50年後の来年には新幹線が開通とのこと、

当時から未来に新幹線が走ることを想定して工事が進められていたという、半世紀を経て実現したのですね。

思い起こせば当時、将来新幹線が通るようになるかもしれないと、土地を買う人の話を耳にしていました。

本当になりました。いまではニセコ国際スキー場辺りはリゾート地で外国人も多くなり賑わっているとか。

レベルは違っても「夢」と「希望」を持つことの大切さを感じています。

連絡船の一つの摩周丸は記念船として当時のまま残されて、船内を観察できるそうですが、では津軽丸のことを調べてみましたところ、外国に引き取られて随分と活躍したそうですが、1998年に火災で焼失し、スエズ運河で解体され今では錨が残されているそうです。引き取られる時に本ものの錨は残し別のものをつけたと言うことです。

津軽丸の紹介の最後の記述には
「こうして津軽海峡の女王として生まれた彼女は、中東の片隅で34年間の幕を閉じた。」 とあります。
なんだか、映画のエンデイングのナレーションのようです。 

写真に見入って片付けがまた止まってしまい、この調子でいつも先に進んでいません。


     ごきげんよう!