英語と書評 de 海馬之玄関

KABU家のブログです
*コメントレスは当分ブログ友以外
原則免除にさせてください。

「大学がゴルフ・乗馬必修の経営者コース新設」☆射人先射馬?

2006年01月27日 11時39分55秒 | 教育の話題

先日、新聞で「名古屋学院商学部 「ゴルフ」「乗馬」必修」というタイトルを目にしました。なんでも「趣味を通じた人脈作りは経営者にとって有意義。学生時代に身につければ、後継者としてのスタートも早く切ることが出来る」ということらしい。

この記事を読んだ読者の中には、「将を射んと欲すれば先ず馬を射よ」じゃあるまいに、何を馬鹿なことを言っているのかしらんと思われた方も少なくないのではないでしょうか。実は、最初は私もそうでした。しかし、その後、この名古屋学院大学の取り組みはそう馬鹿にはできないと考えるようになりました。先ず、問題の(?)記事を引用しておきます。

ゴルフや乗馬を必修科目に取り入れた、ユニークな“社長養成コース”が今年4月、名古屋学院大商学部(愛知県瀬戸市)に開設される。(中略)大学側は「遊びだけでなく、しっかり経営ができるトップを育てたい」と意気込み、文部科学省大学設置室も「聞いたことがない取り組み」と注目している。

大学によると、同学部の学生(1学年300人)の約1割が企業経営者の子弟で、卒業後は経営を引き継ぐケースが多い。少子化で大学間競争が激化する中、生き残り策として、特色ある学部作りを狙った。

同学部の合格者の中から希望者を募り、10人程度でスタート。「経営者としての素養を培うため」、乗馬やゴルフ、韓国や米国などへの短期留学(6~8週間)を必修科目とする。また、ヘリコプターやヨットの操縦は選択科目とし、免許を取得すれば単位に認定する。(中略)

前期入試は2月1~3日に実施され、出願受け付け中だが、受験生らの問い合わせが80件ほどあり、手応えは上々。岡田千尋商学部長は「趣味を通じた人脈作りは経営者にとって有意義。学生時代に身につければ、後継者としてのスタートも早く切ることができる」と話している。(2006年1月23日 読売新聞、以上引用終了)



この記事を読んで私が、「将を射んと欲すれば先ず馬を射よ」(杜甫『前出塞九首』の「射人先射馬」から)の格言を連想した理由はシンプル。つまり、名古屋学院大学のこの取り組みは、経営者としての能力開発(=将を射る)ために、良き経営者が備えていれば何かと便利な周辺的な事柄(=馬を射る)を学生に身につけさせようとしている。そして、「何を馬鹿なことを言っているのか」と、最初、私が考えたのは、この馬を射ることと将を射ることが無関係ではないにせよ、余りにも枝葉末梢の事柄と感じられたからです。

成功した経営者にはゴルフや乗馬に堪能な方が少なくないとして、では、ゴルフや乗馬を嗜めば良き経営者になれる(良き経営者になれる可能性が高まる)というのは論理の飛躍ではないか。あるいは、インターナショナルビジネスの第一線で活躍する経営管理者の中にはゴルフや乗馬を趣味とされる方が多い、ならば、その彼等と競争したり協力していくことがほとんど不可避である<経営者の玉子>もまたゴルフや乗馬に馴染めば、彼等との共通の話題が増え/彼等と親しくなる蓋然性が高くなるというのは、さもしいとは言いませんが(あまりにも卑屈な)ビジネス戦略ではないのか。この日の本の国をその肩に背負って立とういう経営者なら、自社の商品や自己の内容で勝負しなさい、と。

二十歳前後から二十代半ばまでの人格の土台を形成する人生の最後の貴重な時期に、ゴルフや乗馬より大切なことは幾らでもあるでしょう。ゴルフや乗馬をクラブやサークル活動でやるのは良いことだと思うけれど、英語力の増強や日本語の作文能力の開発:経営学やミクロ経済学を鬼のように学ぶこと(結局、経営学や経済学が現実の企業経営にはそれほど役に立たないという真理を体得し経営者としての覚悟を得ること):社会経験のために(卒業後には後継経営者としておそらく金輪際体験できないだろう)業務の最下層を担う下っぽいアルバイトに従事すること:チームワークのスキルやリーダーシップの取り方を疑似体験できるサークル活動や学生運動、ボランティア活動やNGO活動:何より、古今東西の「古典」の熟読:幸いにして信仰をお持ちならその信仰生活に没頭すること等々、良き経営者を育成するために、少なくとも、ゴルフや乗馬を必須の科目にするよりも有効なことは幾らでもあるのではないか、と。この記事を読んで私はそう思ったのです。


しかし、ゴルフや乗馬を必修科目にする愛知学院大学の取り組みは満更間違いではないのではないか。少なくともそれは「何を馬鹿げたことを」と言下に否定されるものではないのではないか。現在、私はそう考えています。理由は技術的なものと思想的なものの二つ。

確かに、良き経営者が備えているべき資質やスキル(プロフィットを上げ、従業員や株主や顧客や出入り業者等のステーツホルダーと社会に貢献できる経営者が保持すべき資質や技能)の中で、ゴルフや乗馬の優先順位はそう高くはないでしょう。しかし(というか、「がゆえに」と言うべきでしょうか)、英語力の増強やサークル活動に比べて、ゴルフや乗馬に嗜む機会はそう多くはないことも確か。つまり、必修科目にでもしない限り大多数の学生はゴルフや乗馬と無縁なまま卒業するだろうということです。

私が出会ったアメリカ人の何割かは(特に、カンサス州やオクラホマ州、ミズーリー州やアイオワ州という内陸部出身の学生の何割かは)、「海を見たことがない」「シカゴに来て始めて海を見た」(Lake Michiganは湖やちゅーねん!)と言っておられました。つまり、ヨットなどは彼等との共通の話題にはなりにくい。しかるに、私の辞書(?)によれば、アメリカやカナダにおけるゴルフとは「最も遠くに物体を飛ばすスポーツにして、最も廉価なスポーツの一つ」です。例えば、アメリカでは州立大学でも大学所有のゴルフ場を持っている所はそう珍しくないと思います。そこでは、フルタイムの学生は一日中ラウンドしても一人10ドルかそこらです。畢竟、アメリカの文化に馴染んだ人々とビジネスをする場合、ゴルフは正に必須の共通語と言えなくもないのです(乗馬については少し事情が違うが帰結は同じと考えてよいでしょう)。

ならば、優先順位の軸とそれらに触れる容易さの度合いという軸が作るマトリックス(x-y平面)に良き経営者が備えているべき様々な資質・経験・技能をマッピングした場合、ゴルフや乗馬が必修科目にされるべき必要性は意外と高いかもしれない。そう私は考えなおしたのです。これが、ゴルフや乗馬を必修科目にする取り組みは満更間違いではないよな、と考えた技術的理由です。

そもそも、良き経営者が備えているべき資質やスキルなどは、幾多の知識・経験・技能の束にすぎないと想います。逆に言えば、それらの知識・経験・技能を適宜使用できる人物を<良き経営者>と世間は呼ぶのではないでしょうか。この経緯は、例えば、「科挙」で問われた『大学』『中庸』『論語』『孟子』などの四書五経の知識についても言える;そこでは、形式的に(馬を射るよろしく)テクストの丸暗記から学習は始まるにせよ、最終的には、あるテーマについてテクスト体系から適切なフレーズを抜き出して論じる(=将を射る)ことにまでsuccessful examineesは到達したのでしょうから。

蓋し、孟母三遷の故事に端的に象徴されている真理:形式から始め内容に到達する経緯は、しかし、「科挙」だけでなく、実は思いつく限りのほとんどすべての学習にも観察できることでしょう。ピアノやヴァイオリンのレッスンやPCスキルについては言うまでもなく、英会話の能力開発しかり、法的思考能力開発しかり、而して、哲学の思考能力や(少なくとも、大学入試や応用科学に限れば)数学の能力開発また然りであると私は断言します。

英会話について敷衍させていただければ、使用頻度の高いフレーズや時には3~4センテンスの文章を幾つも幾つも何度も何度も何度も口ずさみ丸暗記すること、そして、適切と思える場面で(失敗やローマ字発音を恐れず恥ずかしがらず)それらをどんどん使ってみること。これが「英会話上達」の最速の道であることは、多くの英語の名人上手が異口同音に語っておられることです。而して、これこそ形式の模倣(=馬を射る)を通して本物の英会話力の向上(=将を射る)と言わずして何と表現すべきか。形式から始め内容に到達する経緯を私はこのようにイメージしています。

ならば、大学・大学院において<経営者の玉子>が、身につけるべき優先順位とそれらに触れる容易さの度合から鑑みて、もしゴルフや乗馬を必須の科目にする合理性があるのなら、上で述べた<教育>の思想的な観点からも名古屋学院大学商学部が打ち出した今回の新機軸は、満更、馬鹿げたことではない。もちろん、同大学の意図が、結局、成功するかどうかは予測の限りではありませんが、少なくとも、それは射人先射馬の定跡に適ったものとは言える。そう思うのです。


本記事の結論。「愛知の大学がゴルフ・乗馬必修の経営者コース新設」のニュースに関する私の最後的な感想を書きます。而して、記事の第一感こそ改めたものの、このニュースに関する私の率直な感想は「情けないな」です。

ゴルフや乗馬が将来有効と考えるなら、大学の乗馬部やゴルフ同好会に入ったらどうですか;大学の必修科目に頼らずに街の乗馬倶楽部に入会したらいいじゃないですか。実際、私が住んでいる川崎市麻生区の若者の中には、将来、インターナショナルビジネスの世界で世過ぎ身過ぎするキャリアゴールを実現するために、そのためのアクセサリーと割り切って(小田急線柿生駅と栗平駅が最寄り駅の)乗馬倶楽部(サンヨーガーデンライディング倶楽部)に通っていた方もいたぐらいです。

また、社会人になってからでも、ゴルフや乗馬がビジネスに有用と感じたのなら、自分の費用と時間を使って街のゴルフクラブや乗馬倶楽部に通えばよいではないですか。アメリカで働き始めてからでも、ゴルフや乗馬やヨットやボランテイア活動の(ビジネスにおける)重要性を悟って、親から借金をして、また、睡眠時間を削ってそれらを<学習>したビジネスパーソンを私は数ダース知っています。

こう考えてくると、費用は自己負担(家庭の負担)としても大学が必修科目の形で機会をお膳立てしなければならないというのは、やはり、「情けない」ことではないかと思うのです。自分の能力開発なんだから自分で考えて自分でリスクをとってやれよ、と。まあ、時代がそんな時代ということなのでしょうか。蓋し、ここにも<子供の成長>のためのケアは社会や学校が責任をもって行うのが当然という、大東亜戦争後の戦後民主主義が振りまいた毒素が検出されるのかもしれないな。これがこの記事を読んで私が今抱いている感想です。


★出典:
松尾光太郎 de 海馬之玄関BLOG(1月26日の記事)より自家原稿加筆の上転載




ブログ・ランキングに参加しています。
応援してくださる方はクリックをお願いします


 ↓  ↓  ↓

にほんブログ村 英会話ブログ
にほんブログ村 英会話ブログへ

最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。