英語と書評 de 海馬之玄関

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みいけカルタ館イベント紹介--「カルタが伝える戦争と平和」展--

2014年07月20日 15時31分19秒 | 徒然日記



大牟田市立図書館と一つ屋根の下の大牟田市立みいけカルタ館のイベントを紹介します。「カルタが伝える戦争と平和」(~2014年9月21日)。戦争と平和--国家と軍隊--について子供達にカルタの制作者が伝えようとしたメッセージというかイデオロギーというかを、戦前・戦中・戦後のカルタを通して観覧者は感じ取ることが出来るという趣向。つまり、

・戦前の国威発揚
・戦中の挙国一致
・戦後の戦前否定


これらのイデオロギーというかメッセージがカルタという
事物を通して観覧者は感じることができますよ、と。

衰退著しい地方自治体が開催するものとて、こじんまりとした展示企画。展示品の量や質、網羅的であるかとか体系であるかとかにはあまり期待していただいても困る。けれども、さりとて、リーズナブルな範囲内のコストでこれら30余点の作品を--海外の作品4点を除き大雑把に括れば明治・大正期の作品が10点、戦前・戦中の昭和の作品が12点、そして、同一ジャンルの8点の戦後の作品を--一度に目にすることができると考えれば、この展示企画はある意味掘り出しもの、鴨。

蓋し、展示内容にご興味があり都合がつくようなら、私的には往復の交通費3,000円くらいでおさまるようなら--つまり、北は福岡市全域、南は熊本市を遥かに超えてぎりぎり八代、西は武雄温泉あたりにお住まいの皆さんにとっては--「カルタが伝える戦争と平和」は損のないイベント、鴨。と、そう思います。

お茶の間や勉強環境(?)の再現はもとより、電話機とかタイプライターとかも展示してある同時開催のプチ展示「ちょっと昔の道具展」と「日本軍装備品」もイベント企画者のサービス精神が垣間見えて微笑ましいし、そして、なにより、イベント自体は「無料」ですから。


あっ、ちなみに三池カルタ記念館はJR大牟田駅から徒歩10分。けれども、
地元の大牟田市民でも知らない方も少なくない。よって、
カルタ記念館や市立図書館の近傍の警察署を聞くことにして、

「大牟田警察署にはどげんいくとよかか教えてくれんですか」
(Can you help me/us get to Omuta Police Station?)

と、大牟田弁を覚えてこられた方が無難、鴨です。



・大牟田市立三池カルタ・歴史資料館
 http://karuta-rekishi.com/

・平和主義とは何か--戦前の日本は「軍国主義」だったのか?--(上)(下)
 http://blog.goo.ne.jp/kabu2kaiba/e/42ed25f108f4eae50a7a032128355289



ということで、大牟田市では、1991年にこの地が日本のカルタ発祥の地であることを宣言し、全国で唯一のカルタ専門の展示・研究施設として、現在地に「三池カルタ記念館(カルタックス)」を建設。2006年には「歴史資料館」と統合して「三池カルタ・歴史資料館」となり現在に至っているとの由。

б(≧◇≦)ノ ・・・なるほど!





ところで、でもね「カルタ」てなんなんでしょうかね? 
要は「カルタ」の定義はどんなもの?

それが明確でなければ「日本のカルタ発祥の地」と大牟田市が1万回叫ぼうが論理的には取りあえず無意味なような気がしないでもない。そこで、三池カルタ・歴史資料館のサイトを訪問。なーんも情報はない。ますます気になる。

ということで、前回の帰省の折、三池カルタ・歴史資料館を訪ねて館長さんに直接聞いた。そしたら、「いや-、カルタの定義ですか・・・。本館として、特に決まったありませんけど」、と。ぎゃん(←大牟田弁で「大いに」)納得。そう、ある言葉に絶対の定義-意味など存在しないのですから。

б(≧◇≦)ノ ・・・素晴らしい、誠実さ!
б(≧◇≦)ノ ・・・それが正解ばい!


例えば、広辞苑を引けば、カルタとは「遊戯または博打の具。小さい長方形の厚紙に、種々の形象または詩句・短歌などを書いたもの数十枚を数人に分け・・・【各々のゲームのルールに従い】勝負を決める」と書かれています。定議論でいう所の、これは典型的な辞書的定義といえるでしょうけれど、語の経験分析-語の機能分析の観点も折り込み私なりに「カルタ」と定義すれば次のようにも言える、鴨。


1)子供用や娯楽用の
2)絵や文字の形象が
3)印刷された
4)ひと揃いの遊具



・暇潰しの言語哲学:「プロ市民」vs「ネットウヨ」
 http://blogs.yahoo.co.jp/kabu2kaiba/65230336.html 


・定義の定義-戦後民主主義と国粋馬鹿右翼を葬る保守主義の定義論-
 http://blogs.yahoo.co.jp/kabu2kaiba/65200958.html


重要なことは、ポルトガル語由来の「カルタ」に対応する英語の語彙は「card」ですけれど、日本語になった「カルタ」に対応するそれが「playing cards」ということ。このことが示唆しているように、物としてのカルタが<カルタ>として意味を帯びるためには、--お上のお達しにせよ伝統的に確立しているにせよ、事前に与えられたなんらかの--規定のルールが不可欠ということです。

而して、例えば、積み木将棋なりのそんな既存のルールを脱構築した、もしくは、子供達のコミュニティーの中で自然発生的偶発的に生じた二次的なゲームのルールも、実は、規定のルールを下敷きにしているからこそ効率的であり艶っぽくお茶目と言える。と、そう私は考えます。

このゲームのルールの存在、および、当時としてはハイテク技術だった印刷された遊具というところから、カルタはその制作者が子供達に伝えようとしたメッセージというかイデオロギーのそこそこコストパフォーマンスの良い媒体になったの、鴨。


・英語のカタカナ表記は「首尾一貫」させるべきか?
 http://blogs.yahoo.co.jp/kabu2kaiba/65218604.html






こう「カルタが伝える戦争と平和」を巡るメディア論を踏まえるとき、おそらく、戦前と戦中と戦後のカルタに、各々、国威発揚、挙国一致、戦前否定あるいは平和愛好と、各々の原制作者の意図を見られたであろう「カルタが伝える戦争と平和」展示企画者の方の見立ては満更間違いではないと思います。けれども、昔、マクルーハンがTVの持つ機能の一つとしてこれと同じことを言ったのですが、TVの重要な機能は送り手がそれを発信したいと意図した情報以外のものを伝わってしまうこと。蓋し、<物>としての<カルタ>はそうそうおとなしい情報媒体ではないかもしれませんよということです。

私は、戦後すぐに作られた平和に関するカルタよ
>強クテ優シイ マッカーサー

ワシは、第二次世界大戦でアメリカが勝利した記念に作られたトランプだ

我は、戦時中に国民の戦意を高めるため作られたカルタである

わいは、小学館から発刊されていた雑誌「こくみん少年」のふろくのカルタや!
(第17巻11号付録)

おれっちは、自分の国を愛する子どもを増やすために作られたカルタっす
(愛国いろはかるた)


ならば、上のような戦前と戦中と戦後のカルタ自身に自分を語らせる紹介文の主語の選択にしてからが、些か、あざとい今回の展示企画を見るに、戦後も足かけ70年。展示企画者の意図とはかなり異なった<物>の見方も十分に可能なような気がします。すくなくとも、紹介文はすべて往復の交通費3,000円内外のマーケットを睨んで共通語にするか--そんな長いセンテンスではないので英語も併記するとか--の工夫があった方が、あるいは、あざとさをあまり感じさせずに展示企画者のメッセージもよりノイズ少なく伝わったの、鴨。





同時展示中の「日本軍装備品」および「ちょっと昔の道具展」も含め、
例えば、『愛国いろはかるた』の中の、


>日本晴の天長節
(兄妹の表情と町のすがすがしい雰囲気)

>慰問袋に手紙を入れて
(おかっぱ頭の女の子の表頭と物品のおもしろさ)

>富士を仰いで国民体操
(兄妹の表情とすがすがしい日本の雰囲気)


をその印刷物という<物>を--その材質や図柄の出来栄えや織り込まれた機智も踏まえながら--通して見るとき、戦前・戦中が、国威発揚、挙国一致の時代であったとしても、それはそれで立派な社会だったのではないか、他方、戦後が戦前否定であり平和愛好の時代なるものであるとしても、それは戦後民主主義の欺瞞に満ちた--戦前・戦中の日本に比べれば--軽薄で脆弱で軽蔑すべき社会なの、鴨。と、そう感じざるをえませんでした。

敷衍すれば、とりあえず規定のルールの一斑を構成する意味しかない表示義(denotation)としての「カルタ」には、戦前・戦中・戦後の原制作者が各々織り込もうとしたイデオロギーとしての共示義(connotation)としての「国威発揚・挙国一致・戦前否定」がある。少なくとも、「カルタが伝える戦争と平和」の企画側はこれらの<物>をそう解釈されたのだろう。



ならば、しかし、そんなイベント企画側が与えている「カルタが伝える戦争と平和」の展示物の新たな表示義(denotation)の背後に、これまた新たな共示義(connotation)としての「戦前・戦中がそれはそれで明るい立派な社会だったこと、他方、戦後が戦後民主主義の欺瞞に満ちた軽薄で脆弱な社会でしかないこと」を観覧者が感じることもまた十分に理由のあることなのだろうということです。

いずれにせよ、往復の交通費3,000円内外に住んでおられる読者の皆様には「カルタが伝える戦争と平和」の参観をお勧めします。

尚、「大牟田市」については下記拙稿も
ご一読いただければ嬉しいです。



・書評:西村健「地の底のヤマ」<書評編><画像編>
 http://blog.goo.ne.jp/kabu2kaiba/e/439275b45c3a02732a517a58a9c02699

・福岡県大牟田市:松屋デパート「洋風かつ丼」復活が孕む思想的意味
 http://blog.goo.ne.jp/kabu2kaiba/e/9ffb70a94181ada4d3527ae2bc548d25

・小さな<窓>からも空は見える
 -日本再生のケーススタディーとしての福岡県大牟田市の菓子舗だいふく物語
 http://blog.goo.ne.jp/kabu2kaiba/e/2dcd3dfb908582c9cd5581881d5a6187






JR大牟田駅前の「日本のカルタ発祥の地」をさりげなく主張する立体看板君





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