高村光太郎 「冬が来た」(詩集『道程』(1914年)より)
きつぱりと冬が来た
八つ手の白い花も消え
公孫樹の木も箒になった
きりきりともみ込むような冬が来た
人にいやがられる冬
草木に背かれ、虫類に逃げられる冬が来た
冬よ
僕に来い、僕に来い
僕は冬の力、冬は僕の餌食だ
しみ透れ、つきぬけ
火事を出せ、雪で埋めろ
刃物のやうな冬が来た
さっき、ダウントン・アビー(Downton Abbey, 背景は1912年 - 1925年のヨークシャのとある伯爵家)を見ながら第一次世界大戦(1914年7月28日 – 1918年11月11日)の頃のイギリスと日本の世相を調べていて、ふと光太郎の「道程」のこの詩を思い出しました。そして、唖然とした。
もちろん、今でもーー⚽️フットボール⚽️や🏒ホッケー🏒ほどではないにせよーースキーやスケートやアイスホッケーは大好きだし、冒頭の画像の京都の某大学に通っていた頃、冬は一番好きな季節だった。
冬の桂離宮や修学院離宮は絶品。そして、志賀直哉の城崎温泉には毎冬蟹鍋を大学のゼミ仲間・大学院の研究室仲間と食べに行くのが楽しみでした。雪の日本海を借景にしていただく🦀蟹料理🦀+酒は灘の🍶剣菱🍶。これ「日本人にうまれてよかった❗️」という口福の経験。ところが、
ところが、今、わたしは、
>冬が終わって心底嬉しいのです❗️
と、歳を重ねる中で自分も確実に変わったことを痛感しました。
以上