英語と書評 de 海馬之玄関

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東日本大震災被災者詩集☆最終回-ひっこします

2011年04月22日 18時43分04秒 | Weblog


福島県浪江町のブログ友、而して、浪江町は福島第一原子力発電所のお膝元ということもあり、放射能とさもしい原発反対派の垂れ流す風評被害に追われる形で、北関東に避難しておられるブログ友のnanaさんの<詩>の紹介。最終回です。東日本大震災の被災者・避難者の方々、そして、彼等を中核とする<被災者>たるすべての日本国民は、今回の出来事を将来どのような出来事として<物語>ることになるのでしょうか。

東日本大震災は、将来、どう語り継がれることになるのか。それは今の所、God knows.。しかし、いずれにせよ、2011年3月11日午後2時46分を<共有>する、而して、時間の残酷な流れの中で、拙劣で遅々として進まない民主党政権の「救援」と「支援」を日々目撃している私達は、今の時間の中で起きていることを記録していくしかない。「エコタウンの建設による創造的復興」であるとか「原発事故は文明災害」等々、民主党政権や震災復興構想会議に集う識者の(この震災にかこつけているとしか思えない)ご高説とは異なり、被災者・避難者、<被災者>にとっては、2011年3月11日午後2時46分以後の一秒一秒が生きるための戦いなのですから。

尚、これら、震災を政権浮揚に利用しようとする人達、あるいは、震災を奇貨として持論の宣伝に血道を上げている、例えば、原発避難者の辛苦に便乗して原発廃止論をまたぞろ展開し始めた人達、そんな見苦しい人々と、被災者・避難者とのリアリティーのずれはどこから来るのか。このことに関しては、前号の東日本大震災被災者詩集をご参照いただければと思います。

・東日本大震災被災者詩集☆温度差が埋まらない
 http://blogs.yahoo.co.jp/kabu2kaiba/60412234.html

以下、nanaさんの<詩>の紹介。而して、

б(≧◇≦)ノ ・・・ここまでよく頑張ったね、東北!
б(≧◇≦)ノ ・・・これからも一緒に頑張ろうね、東北!
б(≧◇≦)ノ ・・・君は一人/独りじゃない!
б(≧◇≦)ノ ・・・共に闘わん!






ひっこします


避難所を出て、部屋を借りることとなりました…
引っ越しの準備しています

学校やら 住まいやら、

なにからなにまで 書類手続きが 二重三重にくるもので
頭が混乱しております


国の方針が決定しないから 県、市町村での対応ができず
トラブルもいろいろ

情報もめちゃくちゃ どれが正しいんだか ほんとわかんない

(2011/4/21(木) 午前 9:13)    


http://blogs.yahoo.co.jp/nana7pannda8/37927035.html




この<詩>の詞書にはこう書いてあります。

イヤ、引っ越しといっても、何時までも避難所に居られないので、移動してください。なのよ
住宅借りるか、宿泊施設利用するか、ということなんです。仮住まいには変わりなく住民票は置いとくでしょ~?  私らは子供の学校が、ここに決定したので、同市内の住宅になります。


そして、福島県を訪れた菅首相について詞書にはこう綴られていた。

パフォーマンスばかり見せられて、現地はもちろんなんだけど、
日本はホントに大丈夫なんだろうか?
ウソ、おおげさ、まぎらわしい …ジャロの適応は効かないのか ?

国の対応のトロさに怒りよりも呆れてしまいます。
地震から何日経って、現地入りしてます?

それも、一カ所につき
五分? 十分?
報道陣従えて、報道出来ない部分は、規制して、カットかけてるんでしょ?

言葉にも行動にも政策にも重みを感じられません

(2011/4/22(金) 午前 8:16)    


東日本大震災の物語はまだ終わっていません。否、一般的な震災対応の段階論でいう「救援→支援→復興」のやっと最初のフェーズに目処が(時間の残酷な経過の中でいや応なく)ついてきたにすぎない。そして、「支援」と「復興」はこれまでの「救援」よりも、限られた予算と錯綜する被災地内外の利害や目論見を考えれば遥かに困難なタスク。而して、正直、私は、第1の救援のフェーズにおいてさえその危機管理能力の拙劣さを露呈させた民主党政権が第2~第3のフェーズを取り仕切ることができるとは到底思えません。





大東亜戦争の敗戦がそうであったように、しかし、時間の残酷な経過の中で、東日本大震災もいつかかならず<歴史の物語>になるのでしょう。厳しいようだがそれは避けられない。逆に、どんな大災害をも乗り越えて生き抜き、あらゆる大災害を<歴史の物語>に変容させ、民族の伝統の一部に編み込んできたのが日本の強さでもありましょう。ならば、問題は、東日本大震災が<歴史>や<物語>になってしまうことではなく、2011年3月11日午後2時46分をどんな<物語>として我々の伝統の中に組み入れるのかに収斂するの、鴨。

而して、その場合に重要なことは、

(甲)東日本大震災を見る自分の立ち位置を、被災地の内と外のいずれに置くのか、そして、(乙)歴史を再構成する自分の関心方向が2011年3月11日午後2時46分に向かうものなのか、それとも、そこから<今>に向かっているものなのか、要は、(甲)(乙)の「2×2=4」通りの視点のどれを自分が採用しているのかを、<東日本大震災物語>を編み上げている各自が自覚しておくことではないか。   


もちろん、被災地の立場に身を置き 2011年3月11日午後2時46分に向かい思念する態度がヒューマンなもので、被災地を外から、かつ、大震災が<今>に及ぼした影響を思索する態度がビジネスライクなものというわけではありません。問題は、しかし、これら4通りのどのタイプの回路を通って自分が<東日本大震災物語>の山頂に登ろうとしているのかが不明ならば、その営みは、(カー『歴史とは何か』が述べている意味での、過去と現在と未来との対話としての歴史を綴ることは難しく、蓋し、)他者との間で実り多い<対話>をすることは難しいだろうということです。尚、この点に関しては下記拙稿をご参照いただければ嬉しいです。閑話休題。

・震災と復興を貫いて流れる<時空>の表裏と内外
 http://blogs.yahoo.co.jp/kabu2kaiba/60409473.html




而して、<東日本大震災物語>が今後どのような内容のものになろうとも、しかし、次の二つのことはその内容に組み込まれないはずはない。と、そう私は考えています。

すなわち、

・時の民主党政権は危機管理という国家の最重要のタスクを果たせなかった
・原発反対派の流布する、風評によって、被災者・避難者は多大の苦難を課せられた


前者については、最早、多くを語る必要はないでしょう。実際、2011年4月19日。大震災から39日後。岩手県の釜石市・大槌町・陸前高田市を救援物資を運んで訪れられたある方はこうブログに書いておられる。

>どうか皆さん、忘れないでください、風化しないでください!!
>未だに自由に風呂にも入れず、ロウソクで暮らしてる人たちがいるのです!

被災現地にそんな最低限の物資やサービスさえ供給できないでいる、世界第三位の経済大国の政権とはいったいなんなのでしょうか。この国で頼りになるのは、同胞の国民と、自衛隊と米軍だけなの、鴨。と、この方の記事が書かれて66時間が経過しようとしている今、私はそう考えています。


而して、後者、「原発反対派が流布する風評被害」について新聞各紙はこう報じている。

福島県から千葉県船橋市に避難した子どもが「放射線がうつる」などと言われ、いじめられたとする匿名の電話が3月、同市教育委員会にあったことが14日、市教委への取材で分かった。

(産経新聞・2011/04/14 13:37)


茨城県つくば市では、福島県からの転入者に放射線測定器によるスクリーニングの証明書提示を求めていたことが発覚し、市は「配慮が足りなかった」と陳謝している。この他にも、避難先の学校で「放射能がついている」と子供がいじめを受けたりするとんでもないケースが増えている。

(産経新聞「主張」・2011/04/21 07:15)   


そして、

「子供が心配」…福島ごみ処理支援で川崎市に苦情2000件超
川崎市の阿部孝夫市長が東日本大震災で被災した福島県を訪問し、がれきなどの災害廃棄物処理の協力を申し出たことに対し、2000件を超える苦情が市に寄せられていることが13日、明らかになった。

(毎日新聞・2011/04/14 00:34)   





原発の是非の論議以前の問題として、避難者の方々の辛苦に便乗して持論の(代替案なき)原発廃止論を持ち出しているリベラル派の行動は美しくない。例えば、

・心からの叫び!元原発技術者菊地洋一さん中部電力靜岡支店で訴えた
 http://www.youtube.com/watch?v=gNWVljrvl3o&feature=share

の中で、この論者の菊地氏は「廃炉にしろとは1度も言った事はない。直下型の東海地震が過ぎ去るまでは止めてほしいと言っている」と述べている。「あーん?」、です。

この発言だけでもこの方の「心からの叫び!」の説得力はゼロでしょう。天文学的とは言わないが地質学的時間で「直下型の東海地震が過ぎ去るまで」とは、今日かもしれないが3年後か13年後、あるいは、僥倖があれば、30年後や稀には130年後かもしれない。而して、ビジネス的にはそんな不確定な期間の停止とは「廃炉」以外の何ものでもないから。

ならば、論理的には、彼は「廃炉」を主張している。而して、自説を「廃炉」論ではないというのは、民主党や朝日新聞の常套するソフトな口振りでの世論対策に他ならず、レトリックにすぎない。

簡単な話。原発の安全性を確保するための社会的コストが、原発の効能に比して過大であるならば、原発は漸次廃止するしかないでしょう。けれども、この世に、絶対の安全などは存在しない。ならば、「原発は安全だ」「原発は危険だ」という二進法的議論には、最早、なんの意味もない。同様に、福島第一や浜岡が危険だからと言って原発推進の政策全体が間違いということにもならない。

而して、「あんまり安全でもないけれど、十分コストに見合う」のならば、原発はやはり必要でありこれからこそ(福島第一原子力発電所の被災によって原発の安全神話がくずれ、二進法的不毛な議論の桎梏から日本国民が解放された今こそ)推進されるべきである。まして、エネルギー安保の観点からはなおさらではないでしょうか。と、そう私は考えています。


民主党政権は即刻下野せよ!
福島の避難者の辛苦に便乗する原発反対論者は恥を知れ!


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1 コメント

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Unknown (与作)
2011-04-23 16:57:32
原発には反対です。原発以外にエネルギー源が無いわけではありません。
風力、地熱、メタンハイドレート、石油の取れる藻、太陽炉、太陽光発電、など。
このような事故にもかかわらず、原発に依存するという神経が信じられません。
絶対安全などは無いということは、原発は核の時限爆弾だということです。
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