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ウォーキング de 我が街「新百合ヶ丘」:あざみ野~浄慶寺~柿生編(下)

2009年06月21日 20時55分16秒 | 徒然日記


後編はいきなり紫陽花の海に飛び込みます。楽しく修行中の石の<お坊様>がお出迎え(!)。行きつけの「やるき茶屋新百合ヶ丘店」で柿生出身の学生アルバイト諸君に「柿生の自慢は何?」と聞いても全員が異口同音に「あじさい寺」と答える「浄慶寺」。その柿生住民の誇り「紫陽花寺」の旬を満喫してください。

・やるき茶屋新百合ヶ丘店(新百合ヶ丘南口店)
 http://gourmet.yahoo.co.jp/0001425569/
 http://g.pia.co.jp/shop/53079

前編と重なりますが、<過去記事>と<地図画像>のURLを再度記しておきます。適宜参照していただければ分かりやすいと思います。


【過去記事】
・ウォーキング de 我が街「新百合ヶ丘」:柿生-新百合ヶ丘編
 http://blogs.yahoo.co.jp/kabu2kaiba/56641775.html

・ウォーキング de 我が街「新百合ヶ丘」:麻生川沿い花見編
 http://blogs.yahoo.co.jp/kabu2kaiba/57413568.html

【地図画像】
・あざみ野~柿生

 http://www31.ocn.ne.jp/~matsuo2000/shinyurimap9a.JPG



















満開の紫陽花の中で愉快に豊かに過ごしておられる石のお坊様達。この石像には支那の「道教」の影響もあるのでしょうが、このような境地に憧れる気持ちは日本人なら誰しもが懐くものではないでしょうか。

「浄慶寺」は、天正10(1584)年、麻生の領主三井左衛門慰が「秀吉と家康」の最初で最後の激突、小牧長久手の戦に出陣し戦没した父・寿光院の菩提を弔って開創したと伝わる、正式名称・麻生山寿光院浄慶寺という浄土宗寺院です(但し、元和7(1621)年開創説もあり)。而して、同じ浄土宗であり関係の深い、東京は小石川の伝通院(徳川家康の生母の菩提寺!)出身の尼僧が住職を勤められてきた由緒あるお寺。

「浄慶寺」のすぐ横にある秋葉神社は、江戸時代、領主三井家が火防、厄除け、五穀豊穣、諸民安穏を祈願して遠州秋葉神社の火伏の神を勧請したものとされ、境内の一対の狛犬は、これまた伝通院より移されたものと言われています。紫陽花の咲く晩春の新緑の中、凛として、かつ、優しく立っておられる阿弥陀如来像の如く、紫陽花寺の境内はいかにも伝統の息づく清廉さと豊潤さに満ちている。そう感じずにはおられませんでした。

















浄慶寺の御仏を守る「秋葉神社」にも参拝。





と、「秋葉神社=秋葉大権現」の縁起を書いた掲示が社屋に立てかけられていた。



なになに「当山鎮守三尺坊秋葉大権現は遠州国大居村なる太登山秋葉寺の三尺坊大権現の尊像と同木同作にて行基菩薩の彫刻し給いしなり・・・然るに【そこは】此の麻生村に支配(知行)せらるる三井家にて領地せられたればなり・・・」、と。要は、天正年間(1574年~1591年)以来、この柿生の地を領有していた三井家はこの大権現が祭られていた遠州の相良近辺あたりにも領地があった。ところが、宝暦12年(1762年)そこが相良城主田沼家に与えられて、その替わりに三井家は駿河の国の藤枝・岡部に領地をもらい、そこ経由で当地(柿生)に勧進されたとな。歴史と伝統を感じますね。

浄慶寺での豊かな落ち着いた時間と空間に名残惜しさを感じつつ、散策は締めねば「家出」になってしまいます。そう、偉い人が家を出るのが「出家」、私のような執着と我欲の強い凡夫が家を出ることを「家出」か「夜逃げ」。








ということで、秋葉神社横から元来た尾根伝いの散策道に戻ります。歩くこと僅かに3-4分。江戸時代から21世紀にご帰還です。そこは「柿生トンネル跡」。要は、ここに写っている道路は1951年に出来たのだけれど、その当時はトンネルだった。それが切通しになって現在のようになったのは1978年のことだと・・・。つまり、戦後もしばらくは今日歩いた、月読神社や石の道標や、Happy Birthdayの洋菓子屋さんあたりに住んでいた人は小田急線に乗るには(柿生駅に出るには)「山越え」をしなければならなかったということですね。なんせ、このあたりは源平の頃、源義経の四天王の1人亀井六郎が砦を築いていたという要害の地(そして、この砦と前回紹介した枡形城は尾根伝いに通じており、併せて鎌倉の重要な防衛ラインを成していたとか)。それに新百合ヶ丘駅が出来たのは1974年のことですからね。



そんな時代の変遷に想いを巡らしつつ柿生駅に向かいます。駅までは10分足らず。その道筋で見かけたのが下の画像です。浄慶寺とはまた違う趣の住宅地の路傍に咲くの紫陽花五輪。そして、前にも紹介した只者ではない埴輪君達と優しいお地蔵様。この埴輪君やお地蔵様と緑の織り成す風情は浄慶寺、つまり、柿生の伝統的な美意識かもしれないですね。












そして、着きました柿生駅。下は私が柿生に住んでいた頃、よく通った「ミスド」です。懐かしいけれど、「店内完全禁煙」になったからね(笑)。お土産に「柿生の誇る和菓子司-大平屋さん」で水羊羹を求めました。





と、駅のすぐ傍で見かけた例の某政党のポスター。




б(≧◇≦)ノ ・・・麻生総理断乎支持! 麻生総理頑張れ!

б(≧◇≦)ノ ・・・山内、麻生総理を裏切んなよなぁー!









而して、小田急線新宿行き普通電車に乗ること2分(1.9営業キロ)で、我が街・新百合ヶ丘に生還です。まだ、やるき茶屋新百合ヶ丘店(新百合ヶ丘南口店)は開店していないので、時々行く「蕎麦屋&焼き鳥屋」の「とり一」さんで今日の散策を終わりにします。

・とり一
 http://gourmet.yahoo.co.jp/0001425567/

この一月に1回あるかないかの不定期連載「我が街・新百合ヶ丘」の次回は「小田急読売ランド-京王読売ランド-百合ヶ丘」なんか紹介できればいいなと思っています。もちろん、予定は未定ですけれども。

とりあえず、「お疲れ様でした♪」









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