英語と書評 de 海馬之玄関

KABU家のブログです
*コメントレスは当分ブログ友以外
原則免除にさせてください。

<アーカイブ>第二次世界大戦の終焉☆海外の日本核武装推進論紹介

2019年09月10日 02時51分32秒 | 英字新聞 de 国際問題

 

 

(2006年10月31日:FC2版にアップロード)

http://blog-imgs-12.fc2.com/k/a/b/kabu2kaiba/bigatomicbombs.jpg


北朝鮮の核開発を契機に海外では「日本も核開発に向かうのではないか」、すなわち、日本核武装の可能性が公に語られている。例えば、ブッシュ政権で大統領補佐官を務めたデービッド・フラム氏("Mutually Assured Disruption," by David Frum, New York Times, October 10, 2006)やフランスの人類学・歴史学者のエマニュエル・トッド氏(朝日新聞の若宮啓文論説主幹との対談:朝日新聞10月30日「風考計」, 「核兵器 「帝国以後」のエマニュエル・トッド氏と対談」)の議論がそうである(下記URL参照)。

・朝日新聞「核兵器 「帝国以後」のエマニュエル・トッド氏と対談」
 http://www.asahi.com/column/wakamiya/TKY200610300159.html

・Mutually Assured Disruption
 http://travel2.nytimes.com/2006/10/10/opinion/10frum.html

ここで要訳紹介するチャールズ・クラウトハマ-氏の記事もまた("World War II Is Over," by Charles Krauthammer, Washington Post, October 20, 2006:尚、クラウトハマ-氏は米国の政治評論家であり、「米国は「日本カード」を使い支那を牽制すべきである」との主張をここ数年来展開しておられる有力な保守系論客)、日本の核武装の可能性とその意義を論じている。

トッド氏にその紙面で「日本に対する核武装の勧め」を炸裂させたのは朝日新聞にとって「偶然あるいは不勉強に起因する災難」であろうけれど(笑)、フラム氏とクラウトハマ-氏の記事には重要なポイントが孕まれていると思う。蓋し、(ネオコンに分類されることもある、少なくとも共和党系)保守派の両氏の記事が、これまたアメリカではともに民主党系リベラルの牙城と考えられているNew York TimesとWashington Postに掲載されたことだ。

蓋し、<核武装する日本>は欧米、就中、アメリカでは保守とリベラルを問わず真面目に考えるべき国際政治の現実的なテーマとして意識されつつある。私そう言えると思う。而して、日本の核武装を俎上に乗せる論者の中には、核武装の可能性の検討を超え、「日本の核武装を容認すべきだ」とか、更に、踏み込んで「日本に核武装を促すべきだ」と主張する方も珍しくない。ここに紹介するクラウトハマ-氏の” World War II Is Over”はその一つの典型であろう。

日本の核武装を巡る海外の議論。これらを読むとき、否応なく我々日本人が気づかせられることがある。日本の核武装に反対するにせよ黙認、あるいは賛成するにせよ、海外の議論には「唯一の被爆国たる日本は核武装することはありえない/日本は核武装をしてはならない」などの情緒的な認識や主張が介在する余地は皆無ということだ。

「唯一の被爆国だから日本は(世界中の)核兵器に反対する」という、日本ではまま見られる主張はそれなりに論理的ではある。けれども、「唯一の被爆国だからこそ日本は核兵器を保有する権利がある」という主張も同様に論理的な主張ではないか。蓋し、それらはいずれも他国が核武装を行うことを禁止するなんらの根拠にもならないことは確かであろう。
 
・【もう一度】被爆国たる日本には核武装する権利がある、鴨
 https://blog.goo.ne.jp/kabu2kaiba/e/e1ac115ee865e5c8341d5f49ff75155e


クラウトハマ-氏の” World War II Is Over”やフラム氏の”Mutually Assured Disruption”の「日本核武装の推奨論」は別に日本の安全保障を心配して書かれたものではない。それらは、よりアメリカに有利な世界戦略を考案する中で導かれたものだ。しかし、だからこそ我々が現実具体的な安全保障政策を考える際には、「唯一の被爆国」などの鍵概念を基盤とする情緒的神学論争よりも遥かに参考になると思う。

翻って日本の政治的な言説空間を見てみれば、「核武装」を巡る議論のなんと空虚であったことか。ある有名作家のキーワードを使わせていただければ、そこは正に「言霊の支配する国」であったとさえ思えてくる。それほど、大東亜戦争終結後のこの社会で跳梁跋扈し猖獗を極めた戦後民主主義の影響下では「日本の核武装」などは口にすることさえ憚れるイシューであった。実際、物言えば唇さびしの思いをした政治家が何人いたことか。

それから幾星霜。皇紀2666年の秋、麻生太郎氏、中川昭一氏という有意・憂国の政治家が堂々と「核武装の意義と意味について議論すべきだ」との正論を述べることが可能な状況がついに現出した。而して、麻生&中川の「核武装論議解禁論」とも言うべき主張は、早速、アメリカに対してその核の傘のメンテナンスを促し、他方、支那をして北朝鮮への圧力を強化する(少なくとも一つの)契機にはなったものと思われる。

蓋し、麻生・中川両氏の今次の発言は正に「勲章」ものの発言だったと思うが、彼等の「手柄」とは別に、核武装に関して合理的な議論をすべき時代に日本と日本国民が入ったことは間違いないだろう。ここに紹介する記事はその議論のために大変参考になる;そう思い、著者とWashington Post紙の著作権に配慮して主要な部分を妙訳した(全文は下記URL参照)。

http://www.washingtonpost.com/wp-dyn/content/article/2006/10/19/AR2006101901271.html


●World War II Is Over
The first stop on Condoleezza Rice's post-detonation, nuclear reassurance tour was Tokyo. There she dutifully unfurled the American nuclear umbrella, pledging in person that the United States would meet any North Korean attack on Japan with massive American retaliation, nuclear if necessary.

An important message, to be sure, for the short run, lest Kim Jong Il imbibe a little too much cognac and be teased by one of his “pleasure squad” lovelies into launching a missile or two into Japan.

But Rice's declaration had another and obvious longer-run intent: to quell any thought Japan might have of going nuclear to counter and deter North Korea's bomb.・・・


●第二次世界大戦の終焉
(北朝鮮の)核実験を受け、アメリカの核による安全保障の実効性を改めて確約するコンドリーザ・ライス氏の歴訪の最初の訪問地は東京だった。その東京でライス氏は、アメリカの核の傘が現在においても有効である旨を予定通り忠実に表明した。北朝鮮が日本を攻撃するようなことがあればアメリカはいつでも、そして、大規模な、もし必要ならば核兵器を含む強烈な報復でもって応えることになる。彼女自らそう誓約したのである。

短期的には、なるほど、これは重要なメッセージだっただろう。金正日氏がコニャックをいささか飲みすぎて、而して、彼の「喜び組み」の美女のだれかにせがまれて日本に向けて一二発ミサイルを発射するようなことは防がなければならないのだから。

しかし、長期的観点からはライス氏の宣言にはこれとは異なるある赤裸々な意図が込められていた。すなわち、北朝鮮の核兵器に対抗し北朝鮮にその使用を思いとどまらせるべく、日本が核開発に舵を取るような事態を牽制することである。(中略)


We applaud the Japanese for continuing their adherence to the MacArthur constitution that forever denies Japan the status of Great Power replete with commensurate military force.

Of course Japan has in recent decades skirted that proscription, building a small but serious conventional military. Nuclear weapons, however, have remained off the table.

As the only country ever to suffer nuclear attack, Japan obviously has its own reasons to resist the very thought. But now that the lunatic regime next door, which has already overflown Japan with its missiles, has officially gone nuclear, some rethinking is warranted.


我々(アメリカ)は日本がマッカーサー憲法を信奉していることを称賛してきた。而して、そのマッカーサー憲法というものは、それにふさわしい十全なる軍事力を備えた列強の地位に日本がつくことを永久に封印するものである。

もっとも、ここ数十年の間、日本はこの憲法上の制約を真正面から問題にすることを避けてきた。つまり、日本は小なりとはいえかなり強力な通常兵力(conventional military)を築き上げてきたのだ。にもかかわらず、日本では核兵器(の装備)はいまだかって議題にも上がったことはなかった。

核兵器による攻撃を経験した唯一の国ということもあり、核武装を行わないことについて日本は明らかに独自の理由を持っている。しかし、隣に狂信的とも評すべき政治体制が存在し、あろうことか、その隣国の狂気はミサイルの発射という形で日本に降りかかってきており、さらには、その隣国が公然と核開発に邁進している状況を鑑みるならば、現行の核戦略に日本がいくらかの修正を加えようとすることは当然のことであろう。

http://blog-imgs-12.fc2.com/k/a/b/kabu2kaiba/jsdn66.jpg



Japan is a true anomaly. All the other Great Powers went nuclear decades ago -- even the once-and-no-longer great, such as France; the wannabe great, such as India; and the never-will-be great, such as North Korea. There are nukes in the hands of Pakistan, which overnight could turn into an al-Qaeda state, and North Korea, a country so cosmically deranged that it reports that the "Dear Leader" shot five holes-in-one in his first time playing golf and also wrote six operas. Yet we are plagued by doubts about Japan's joining this club.

Japan is not just a model international citizen -- dynamic economy, stable democracy, self-effacing foreign policy -- it is also the most important and reliable U.S. ally after only Britain. One of the quieter success stories of recent American foreign policy has been the intensification of the U.S.-Japanese alliance. Tokyo has joined with the United States in the development and deployment of missile defenses and aligned itself with the United States on the neuralgic issue of Taiwan, pledging solidarity should there ever be a confrontation.


日本は真に例外的存在だ。日本を除くすべての大国は何十年も前に核武装に舵を取ったのだから。しかも、往年の大国ではあるにせよ現在は最早大国などではないフランス、また、これから大国にならんと欲しているインドのような国、はたまた、どのような意味でも大国などではない北朝鮮も核武装を行った。パキスタンは核を掌中にしており、その核兵器たるや一晩にしてアル・カイダ-が盤踞する国や北朝鮮に運び込まれるかもしれない。而して、その北朝鮮と言えば、そのありようはとても正気の沙汰とは思えない状況を呈していて、その「親愛なる指導者」は最初にゴルフをした折に5つのホールインワンを決め、あるいは、6本のオペラを書き上げたと北朝鮮当局自らが公表するありさまなのだから。よって、日本が(核保有国に)仲間入りするのではないかという疑いを我々は今においてもまだ払拭しきれないのだ。

日本は強力な経済力と安定した民主主義体制、および、控えめで自己主張すること稀な外交政策を保有している点で国際社会の模範というだけでなく、英国の次に指折られるべきアメリカの最重要かつ最も信頼のおける同盟国である。地味ではあるが成功裏に終わった最近のアメリカ外交の成果の一つは日本との一層の連携の強化である。日本政府はアメリカのミサイル防衛構想の開発と配備に参画したし、また、アメリカにとって頭の痛い台湾問題についても日本はアメリカ側につく旗幟を鮮明にした。それは、もし万が一紛争が生じた場合でもアメリカとの団結を維持することを日本が誓約したということなのだ。


The immediate effect of Japan's considering going nuclear would be to concentrate China's mind on denuclearizing North Korea. China calculates that North Korea is a convenient buffer between it and a dynamic, capitalist South Korea bolstered by American troops. China is quite content with a client regime that is a thorn in our side, keeping us tied down while it pursues its ambitions in the rest of Asia. Pyongyang's nukes, after all, are pointed not west but east.

Japan's threatening to go nuclear would alter that calculation. It might even persuade China to squeeze Kim Jong Il as a way to prevent Japan from going nuclear. The Japan card remains the only one that carries even the remote possibility of reversing North Korea's nuclear program.


日本が核武装を考慮するとした場合、その端的な効果は支那に北朝鮮の非核化を真剣に考慮させることである。支那は、活発な資本主義国にしてアメリカの軍隊が支えている韓国と自国との間の緩衝材として北朝鮮を計算に入れまたそのようにこの属国を利用している。アメリカ側に刺さった棘に他ならないこの属国に支那は満足している。なにせ、アメリカ側がこの棘にかかわり合わざるを得ないようにしむけながら、(我が方が北朝鮮問題に足を取られている)その間、支那はアジアの他の地域でその野心を存分に満たすことができるのだから。詰まるところ、北朝鮮の核は西方ではなく東側に照準をあわせている。

日本が核開発に着手するという脅威は支那のこの計算を御破算にするだろう。その脅威は支那をして、日本が核開発を断念する方向で行動するよう金正日氏に圧力をかけるものになるかもしれない。日本カード(the Japan card)は、北朝鮮の核開発を覆す可能性をわずかながらとはいえ保っている唯一の手段なのである。



Japan's response to the North Korean threat has been very strong and very insistent on serious sanctions. This is, of course, out of self-interest, not altruism. But that is the point. Japan's natural interests parallel America's in the Pacific Rim -- maintaining military and political stability, peacefully containing an inexorably expanding China, opposing the gangster regime in Pyongyang, and spreading the liberal democratic model throughout Asia.

Why are we so intent on denying this stable, reliable, democratic ally the means to help us shoulder the burden in a world where so many other allies -- the inveterately appeasing South Koreans most notoriously -- insist on the free ride? [By Charles Krauthammer, October 20, 2006]


北朝鮮の脅威に対して厳しい制裁を求める日本の反応は極めて強烈かつ強固なものだった。もちろん、その反応は利他的なものではなく利己的な関心から発している。けれども、それこそが肝要な点なのだ。こと太平洋地域における限り、どの国であれもし自国が日本の立場にあればそれの実現を希求するに違いない日本の当然の利益はアメリカのそれと共通なのだから。すなわち、両国は、軍事的と政治的な安定の維持、限度というものを知らないかのように拡張しようとする支那を平和的に包囲し押さえ込むこと、平壌に盤踞するならず者国家に対抗すること、そして、自由民主主義に適う政治体制をアジア全体にくまなく行き渡らせることに日米両国は共通の利害を持っている。

ならば、我々(アメリカ)は、この安定し信頼するにたる民主的な同盟国が国際社会で我々が荷なっている重荷を分有するための手段を持つことをどうして拒否しようとしているのだろうか。その国際社会とはいえば、(我々が重荷を荷なっている状況への)ただ乗りを恥じようともしない同盟国が、もちろん、その最たるものはあの(対北朝鮮の)弱腰政策の常習者として悪名高い韓国なのだけれども、そのようなさもしい同盟国が溢れているというのに。




#welovegoo



最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。