'''nana-san's image in KABU's mind'''
本稿はブログ友のnanaさん、福島県浪江町で<2011年3月11日午後2時46分>に遭難され、「原発避難者」として現在は北関東の某県に移られたnanaさんの「怒りの転記記事」のKABUによる「怒りの転々記記事」です。尚、転記元に紹介されている評論はweb版の『現代ビジネス』にアップロードされた伊藤博俊氏のもの(↓)です。
・伊藤博俊氏の評論
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20120105-00000001-gendaibiz-pol
而して、nanaさんの、そして、もう一人の「原発避難者」のブログ友、福島県南相馬市(←弊ブログでは、福島県相馬・双葉地区のことを「アイアン地方」と呼ぶこともあります。)で東日本大震災に被災されたアイアンさんの「叫びと思念」に関しては下記を是非ご一読ください。お薦めします。
・転記転載☆福島県浪江町-取材放送のお知らせ
http://blogs.yahoo.co.jp/fukufukimama/64099018.html
・東日本大震災が<浸透>していく情景:牛乳屋さんの訃報
http://blog.goo.ne.jp/kabu2kaiba/e/350bdd7be5ffc51d4fe489c061953f7e
== 現代ビジネス・伊藤博俊氏の評論 ==
放射性物質汚染対策特別措置法(特措法)が、1月1日に施行され、東京電力福島第一原発事故で発生した放射能汚染土壌の除染活動が本格化する。
除染活動は、福島復興の第一歩である。そして原発事故は東電に第一義的責任があるとはいえ、国の原子力政策の一端を押し付けたのだから国も“同罪”であり、特措法で住民を強制避難させた警戒区域や計画的避難区域を、「除染特別地域」として国が直轄で除染するのは当然のことだろう。
だが、この除染作業は、すべての住民に帰還を促すものではない。除染には限りがないし、どんなに人手と最新の除染技術を投入しても、住環境を整えられない地区もある。
それを見越して、細野豪志原発相、枝野幸男経済産業相、平野達男復興相の3閣僚が、12月18日、福島市を訪れて、佐藤雄平福島県知事らに、避難地域の見直しと帰宅困難地域の設定を伝えた。
*** 住民ではなく国家にとってのメリット ***
原発事故後、政府は機械的に「同心円避難」を促し、20キロ圏内を警戒区域、20キロから30キロを避難に備える緊急時避難準備区域とした。その後、風向きによって汚染度が高い地区を計画的避難区域として避難を促した。
その区分を、地上から高さ1メートルの放射線量の年間換算で、50ミリシーベルト以上の帰還困難区域、20ミリシーベルトから50ミリシーベルトまでの居住制限区域、20ミリシーベルト未満の避難指示解除準備区域の三つに組み直した。
区分けの再編は、野田佳彦首相が12月16日に行った「事故収束宣言」を受けて行われたものだけに、一般には、正常化(避難住民の帰還)へ向けた動きということになろう。だが、その裏にある民主党政権の思惑は、「福島を除染ゴミと使用済み核の最終処分場に」というものではないだろうか。
そう思うのは、菅直人政権の頃から政府が、「住環境に戻れない地区がある」というのを自覚、その汚染の激しい地区の将来的な国有化と、そこを核汚染物質の処理場とする案を密かに温めていたからだ。
私は、このコラムの5月19日付けで「試算では費用1兆4100億円 菅政権が言えない『原発被災地の国有化』というタブー」という記事を書いた。「放射線量が高く、土壌汚染が進み、子供を屋外で遊ばせることができない環境の土地は、国が買い上げるしかない」という政府関係者の声を紹介、そこには①国の責任の明確化、②被災者の前向きな希望、③エネルギー政策への有効活用、という三つのメリットがあることを指摘した。
当時、松本健一内閣官房参与が、「原発周辺には20年は住めない」という「菅首相発言」を伝え、菅首相が烈火のごとく怒り、訂正したことがあるが、その真偽はともあれ「将来的に住めない土地」が発生するのは、誰しもわかっていた。
12月18日の帰還困難区域の設定は、事故から9カ月が経過、「もう戻れない」という“諦め”が住民に芽生えたことを織り込んでのものである。
そのうえで、「エネルギー政策への有効活用」というメリットの追求も始めた。もちろん住民にとってではなく、国家にとってのメリットである。そこには、国有化した土地を除染で発生した汚染土壌などの中間貯蔵施設として利用したいという民主党政権の思惑がある。
*** 先送りしてきた使用済み核燃料の処理 ***
すでに、12月28日、福島県を訪れた細野豪志原発・環境相と高山智司政務官が、「双葉郡内での貯蔵期間30年以内の中間貯蔵施設の設置」を要請した。「30年以内」は、政権交代しても守る約束というのだが、当事者の大半がどうなっているかわからない約束など、到底、当てにならない。
原発は、「科学技術の永続的発展」をもとに推進されてきた。その技術への盲信が原子力村の「安全神話」につながり、それが今回の地震や津波を「想定外」にした。要は、自分の代では責任を取りたくないという意味での先送り。あれだけの大惨事を経て、日本の政官界の“性根”は変わらない。
その先送りの最たるものが、使用済み核燃料の処理だろう。
核廃棄物の処理場が日本にはない。「トイレのないマンション」といわれるゆえんで、どの原発も使用済み核燃料を原発内のプールに溜め込んで、冷やし続けている。
将来、この使用済み核燃料は青森県六ケ所村の再処理工場に持ち込まれ、取り出されたプルトニウムで高速増殖炉を稼働させ、残りをガラスで固めて高レベル放射能廃棄物とし、これを最終処分場で数万年かけて冷やすことになっている。(中略)
*** 応募自治体がひとつもない実情 ***
最終処分場探しを新たに行うのは、不可能と言っていい。(中略)再処理工場と各原発に溜めこまれた使用済み核燃料は、すでに満杯に近く、いつどんな不測の事態が発生するとも限らない。民主党政権も電力業界も、「国有化した福島原発周辺地、なかでも廃炉となる福島第二原発とその周辺地が最終処分場に相応しい」という“本音”を隠し持っている。
こちらが表面化するのは、汚染土壌などの「中間貯蔵施設」という名の最終処分場より時間がかかるだろう。福島県民の激しい反発も予想される。しかし、どこかの時点で、民主党政権は理解を求めざるを得ない。
そのために、時間をかけカネを投じて容認させる――。
その発想は、原発建設の時と同じであり、それが原発行政を継続する政権の“悲しき宿命”なのである。
(元記事が転記する評論はここまで。尚、転記文中の「太字」は
nanaさんによる強調箇所。以下nanaさんのコメント)
== nanaさんのコメント ==
政府の本音といって、間違いないと思いますよ、私は
わかっていても だれもくちにしなかっただけのことかと・・
避難者が、〔政府に〕生殺し状態で放置されてるのも
帰れないんだ・・とあきらめの念が出てくるのを待ってい
るからだ。と、私は思います。
年よりはもちろんだけど
死ぬときは、うまれそだった場所で死にたい
なんていう中高生に対して
政治やさんの要人としてではなく、
大人として、(たぶん)人の子の親として
どう考えているのか、聞いてみたいんですが、私。
(2012/1/5(木) 午後 3:32)
http://blogs.yahoo.co.jp/nana7pannda8/38979320.html
== KABUの解題、若しくは、感想 ==
б(≧◇≦)ノ ・・・・・・ ・・・・・・
↑
あまりの怒りと共感に声がワープしてM78星雲に飛んだ図
(ノ-_-)ノ ~┻━┻・..。
尚、原発問題を巡るKABUの基本的な考えについては
下記拙稿をご参照いただければ嬉しいです。
・放射能の恐怖から解脱して可及的速やかに<原発立国>に回帰せよ!
http://blogs.yahoo.co.jp/kabu2kaiba/65344571.html
・放射能と国家-脱原発論は<権力の万能感>と戯れる、民主主義の敵である
http://blog.goo.ne.jp/kabu2kaiba/e/fd01017dc60f3ef702569bbf8d2134d2
・民主主義の意味と限界-脱原発論と原発論の脱構築
http://ameblo.jp/kabu2kaiba/entry-11138964915.html
・事故を乗り越え福島とともに進む☆原発推進は日本の<天命>である
http://blogs.yahoo.co.jp/kabu2kaiba/65365217.html
福島原発事故が惹起した放射線被爆などは全く問題にする必要のない程度の<危険性>しかありません。そう私は考えています。けれども、それが<危険>かどうかは別にして、<危険である>という前提で法整備もなされ、行政の実務も運用さてきた。このことは、それが放射線被曝を巡る科学的な危険性論からはいかに馬鹿げたことであれ尊重されなければならない。
つまり、「止まれ」の交通信号や「郵便ポスト」の色が赤色である必然性はないけれど、社会的にそれが、赤なら赤に決まっていることには意味がある。このような、()あるルール内容に本来は必然性はないけれど、()なんらかのルールが社会的に決まっていることには、()これまた社会的に意味があるタイプの問題を「調整問題」と言います。而して、放射線被曝の許容値(就中、低線量・積年・平準の被爆に関する法的な上限設定)は、典型的な「調整問題」であろうと思います。
蓋し、ならば、福島原発事故を受けて政府が行うべきは、
(甲)放射線被曝許容値を(少なくとも事故時には)100倍から200倍引き上げること、あるいは、(乙)既存の許容値を前提に可能な対処メニューとそれにり生起する事態の(例えば、GDPの20%低下および福島県・宮城県の無人化等々の)シミュレーションを国民に開示すること、若しくは、(丙)これら(甲)(乙)の両方であったと。
政府がやるべきことは実にシンプルかつ明瞭であった。と、そう私は思います。いずれにせよ、少なくとも、国会と皇居、防衛・財務・経産・環境・総務・外務の主要官庁は福島県アイアン地方に、少なくとも、向こう30年間は<遷都>すべきとも。
而して、原発問題に対する民主党政権の対処が、破廉恥なほど犯罪的なほど拙劣で無惨だったのは、この問題が「調整問題」にすぎない/「調整問題」ではあるという問題の本質に目を瞑り、既存の平時の原発事故処理スキームで対処し続けたこと、鴨。
畢竟、「政治主導」なるものを掲げた民主党政権は自民党政権よりも、おそらく、支那の共産党政権よりも遙かに「官僚的な政権」であった。と、そう私は考えます。
(ノ-_-)ノ ~┻━┻・..。
本稿はブログ友のnanaさん、福島県浪江町で<2011年3月11日午後2時46分>に遭難され、「原発避難者」として現在は北関東の某県に移られたnanaさんの「怒りの転記記事」のKABUによる「怒りの転々記記事」です。尚、転記元に紹介されている評論はweb版の『現代ビジネス』にアップロードされた伊藤博俊氏のもの(↓)です。
・伊藤博俊氏の評論
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20120105-00000001-gendaibiz-pol
而して、nanaさんの、そして、もう一人の「原発避難者」のブログ友、福島県南相馬市(←弊ブログでは、福島県相馬・双葉地区のことを「アイアン地方」と呼ぶこともあります。)で東日本大震災に被災されたアイアンさんの「叫びと思念」に関しては下記を是非ご一読ください。お薦めします。
・転記転載☆福島県浪江町-取材放送のお知らせ
http://blogs.yahoo.co.jp/fukufukimama/64099018.html
・東日本大震災が<浸透>していく情景:牛乳屋さんの訃報
http://blog.goo.ne.jp/kabu2kaiba/e/350bdd7be5ffc51d4fe489c061953f7e
== 現代ビジネス・伊藤博俊氏の評論 ==
放射性物質汚染対策特別措置法(特措法)が、1月1日に施行され、東京電力福島第一原発事故で発生した放射能汚染土壌の除染活動が本格化する。
除染活動は、福島復興の第一歩である。そして原発事故は東電に第一義的責任があるとはいえ、国の原子力政策の一端を押し付けたのだから国も“同罪”であり、特措法で住民を強制避難させた警戒区域や計画的避難区域を、「除染特別地域」として国が直轄で除染するのは当然のことだろう。
だが、この除染作業は、すべての住民に帰還を促すものではない。除染には限りがないし、どんなに人手と最新の除染技術を投入しても、住環境を整えられない地区もある。
それを見越して、細野豪志原発相、枝野幸男経済産業相、平野達男復興相の3閣僚が、12月18日、福島市を訪れて、佐藤雄平福島県知事らに、避難地域の見直しと帰宅困難地域の設定を伝えた。
*** 住民ではなく国家にとってのメリット ***
原発事故後、政府は機械的に「同心円避難」を促し、20キロ圏内を警戒区域、20キロから30キロを避難に備える緊急時避難準備区域とした。その後、風向きによって汚染度が高い地区を計画的避難区域として避難を促した。
その区分を、地上から高さ1メートルの放射線量の年間換算で、50ミリシーベルト以上の帰還困難区域、20ミリシーベルトから50ミリシーベルトまでの居住制限区域、20ミリシーベルト未満の避難指示解除準備区域の三つに組み直した。
区分けの再編は、野田佳彦首相が12月16日に行った「事故収束宣言」を受けて行われたものだけに、一般には、正常化(避難住民の帰還)へ向けた動きということになろう。だが、その裏にある民主党政権の思惑は、「福島を除染ゴミと使用済み核の最終処分場に」というものではないだろうか。
そう思うのは、菅直人政権の頃から政府が、「住環境に戻れない地区がある」というのを自覚、その汚染の激しい地区の将来的な国有化と、そこを核汚染物質の処理場とする案を密かに温めていたからだ。
私は、このコラムの5月19日付けで「試算では費用1兆4100億円 菅政権が言えない『原発被災地の国有化』というタブー」という記事を書いた。「放射線量が高く、土壌汚染が進み、子供を屋外で遊ばせることができない環境の土地は、国が買い上げるしかない」という政府関係者の声を紹介、そこには①国の責任の明確化、②被災者の前向きな希望、③エネルギー政策への有効活用、という三つのメリットがあることを指摘した。
当時、松本健一内閣官房参与が、「原発周辺には20年は住めない」という「菅首相発言」を伝え、菅首相が烈火のごとく怒り、訂正したことがあるが、その真偽はともあれ「将来的に住めない土地」が発生するのは、誰しもわかっていた。
12月18日の帰還困難区域の設定は、事故から9カ月が経過、「もう戻れない」という“諦め”が住民に芽生えたことを織り込んでのものである。
そのうえで、「エネルギー政策への有効活用」というメリットの追求も始めた。もちろん住民にとってではなく、国家にとってのメリットである。そこには、国有化した土地を除染で発生した汚染土壌などの中間貯蔵施設として利用したいという民主党政権の思惑がある。
*** 先送りしてきた使用済み核燃料の処理 ***
すでに、12月28日、福島県を訪れた細野豪志原発・環境相と高山智司政務官が、「双葉郡内での貯蔵期間30年以内の中間貯蔵施設の設置」を要請した。「30年以内」は、政権交代しても守る約束というのだが、当事者の大半がどうなっているかわからない約束など、到底、当てにならない。
原発は、「科学技術の永続的発展」をもとに推進されてきた。その技術への盲信が原子力村の「安全神話」につながり、それが今回の地震や津波を「想定外」にした。要は、自分の代では責任を取りたくないという意味での先送り。あれだけの大惨事を経て、日本の政官界の“性根”は変わらない。
その先送りの最たるものが、使用済み核燃料の処理だろう。
核廃棄物の処理場が日本にはない。「トイレのないマンション」といわれるゆえんで、どの原発も使用済み核燃料を原発内のプールに溜め込んで、冷やし続けている。
将来、この使用済み核燃料は青森県六ケ所村の再処理工場に持ち込まれ、取り出されたプルトニウムで高速増殖炉を稼働させ、残りをガラスで固めて高レベル放射能廃棄物とし、これを最終処分場で数万年かけて冷やすことになっている。(中略)
*** 応募自治体がひとつもない実情 ***
最終処分場探しを新たに行うのは、不可能と言っていい。(中略)再処理工場と各原発に溜めこまれた使用済み核燃料は、すでに満杯に近く、いつどんな不測の事態が発生するとも限らない。民主党政権も電力業界も、「国有化した福島原発周辺地、なかでも廃炉となる福島第二原発とその周辺地が最終処分場に相応しい」という“本音”を隠し持っている。
こちらが表面化するのは、汚染土壌などの「中間貯蔵施設」という名の最終処分場より時間がかかるだろう。福島県民の激しい反発も予想される。しかし、どこかの時点で、民主党政権は理解を求めざるを得ない。
そのために、時間をかけカネを投じて容認させる――。
その発想は、原発建設の時と同じであり、それが原発行政を継続する政権の“悲しき宿命”なのである。
(元記事が転記する評論はここまで。尚、転記文中の「太字」は
nanaさんによる強調箇所。以下nanaさんのコメント)
== nanaさんのコメント ==
政府の本音といって、間違いないと思いますよ、私は
わかっていても だれもくちにしなかっただけのことかと・・
避難者が、〔政府に〕生殺し状態で放置されてるのも
帰れないんだ・・とあきらめの念が出てくるのを待ってい
るからだ。と、私は思います。
年よりはもちろんだけど
死ぬときは、うまれそだった場所で死にたい
なんていう中高生に対して
政治やさんの要人としてではなく、
大人として、(たぶん)人の子の親として
どう考えているのか、聞いてみたいんですが、私。
(2012/1/5(木) 午後 3:32)
http://blogs.yahoo.co.jp/nana7pannda8/38979320.html
== KABUの解題、若しくは、感想 ==
б(≧◇≦)ノ ・・・・・・ ・・・・・・
↑
あまりの怒りと共感に声がワープしてM78星雲に飛んだ図
(ノ-_-)ノ ~┻━┻・..。
尚、原発問題を巡るKABUの基本的な考えについては
下記拙稿をご参照いただければ嬉しいです。
・放射能の恐怖から解脱して可及的速やかに<原発立国>に回帰せよ!
http://blogs.yahoo.co.jp/kabu2kaiba/65344571.html
・放射能と国家-脱原発論は<権力の万能感>と戯れる、民主主義の敵である
http://blog.goo.ne.jp/kabu2kaiba/e/fd01017dc60f3ef702569bbf8d2134d2
・民主主義の意味と限界-脱原発論と原発論の脱構築
http://ameblo.jp/kabu2kaiba/entry-11138964915.html
・事故を乗り越え福島とともに進む☆原発推進は日本の<天命>である
http://blogs.yahoo.co.jp/kabu2kaiba/65365217.html
福島原発事故が惹起した放射線被爆などは全く問題にする必要のない程度の<危険性>しかありません。そう私は考えています。けれども、それが<危険>かどうかは別にして、<危険である>という前提で法整備もなされ、行政の実務も運用さてきた。このことは、それが放射線被曝を巡る科学的な危険性論からはいかに馬鹿げたことであれ尊重されなければならない。
つまり、「止まれ」の交通信号や「郵便ポスト」の色が赤色である必然性はないけれど、社会的にそれが、赤なら赤に決まっていることには意味がある。このような、()あるルール内容に本来は必然性はないけれど、()なんらかのルールが社会的に決まっていることには、()これまた社会的に意味があるタイプの問題を「調整問題」と言います。而して、放射線被曝の許容値(就中、低線量・積年・平準の被爆に関する法的な上限設定)は、典型的な「調整問題」であろうと思います。
蓋し、ならば、福島原発事故を受けて政府が行うべきは、
(甲)放射線被曝許容値を(少なくとも事故時には)100倍から200倍引き上げること、あるいは、(乙)既存の許容値を前提に可能な対処メニューとそれにり生起する事態の(例えば、GDPの20%低下および福島県・宮城県の無人化等々の)シミュレーションを国民に開示すること、若しくは、(丙)これら(甲)(乙)の両方であったと。
政府がやるべきことは実にシンプルかつ明瞭であった。と、そう私は思います。いずれにせよ、少なくとも、国会と皇居、防衛・財務・経産・環境・総務・外務の主要官庁は福島県アイアン地方に、少なくとも、向こう30年間は<遷都>すべきとも。
而して、原発問題に対する民主党政権の対処が、破廉恥なほど犯罪的なほど拙劣で無惨だったのは、この問題が「調整問題」にすぎない/「調整問題」ではあるという問題の本質に目を瞑り、既存の平時の原発事故処理スキームで対処し続けたこと、鴨。
畢竟、「政治主導」なるものを掲げた民主党政権は自民党政権よりも、おそらく、支那の共産党政権よりも遙かに「官僚的な政権」であった。と、そう私は考えます。
(ノ-_-)ノ ~┻━┻・..。
経済産業省は核燃料政策から全面撤退して、残りは全てIAEAに丸投げ。日本政府として事故を一切償わない。これ以上確実で皆の理解を得やすい責任の取り方は無いでしょう
国が行うべきはこれまでと同じ被爆者の治療だけ。医療福祉すら危うい現状だけど…