2018年10月25日 17時07分32秒
>開発されるべき日本人の能力とは
>どのようなものでしょうか?
わたしは広い意味の教育業界で30年間働いてきました。そして、真顔で公共のBLOGにこう書いて後悔も赤面もしない。わたしは「日本人の能力開発にこだわる」、と。それは、現在の日本人の能力に不満と不安を感じているから。蓋し、この不満と不安は、大学院留学カウンセラーと企業人材開発コンサルタントとして3,000人以上の方の相談に直接当たらせていただいた足掛け20年の実体験から来ているの、鴨。
・草稿・科挙としての留学の意義と無意味
https://blog.goo.ne.jp/kabu2kaiba/e/3d2bc3378bcef0da078a1b30c9681d79
わたしが直接に米英の大学院留学カウンセリングをさせていただいた日本を代表する企業や中央官庁からの留学派遣候補の方々は、同世代の日本人の中では間違いなく優秀であるはず(?)の経歴の方々でした。しかし、正直に言って彼女や彼、彼等の少なからずは、留学後―学位やニューヨーク州の弁護士資格取得の後でもある種の能力の点では「世界に出しては恥ずかしい」人々だった。
これは残念な告白。実に、残念な告白ではありますが、
必ずしも、これは印象的批判ではないと思います。
なぜならば、その「ある種の能力」とは、「価値判断をともなうdecision making において自分や自分の属する組織の主張の変遷をロジカルに他者に説明できない」という、かなりクリアカットな特徴を持つ「恥ずかしさ」であり、それは、戦後民主主義の呪縛から脱出できたとか、西欧風の文化帝国主義リベラリズムを払拭できたとか、あるいは、英語やフランス語ができるとか重回帰分析やゲーム理論が駆使できることでは全然治癒されないタイプのものだから。
>何を改善するのか?
>何ができれば恥ずかしくないというのか?
>どう改善すればよいのか?
ポイントは、月並みなものばかり
(1)日本人らしい価値観と文化を保有しつつ、自己の立場を事実や根拠をあげながらロジカルに説明できる能力の開発
(2)自分や自分の属する組織の主張の変化を明晰な価値体系の中にビジュアルに再配置する、または価値体系自体の変化を平明に説明できる理解力と表現力の開発
これらの両者であるとわたしは考えています。而して、実際に改善され開発されるべきスキルと知識は、国語力と論理的思考能力を前提とした上での、(a)コミュニケーション能力、(b)分析力、(c)判断力、(d)交渉力、(e)教養(日本人らしく、かつ、世界の人々から尊敬を受けるような教養)に更に細分化できるかもしれない。と、これまた月並み。
・書評:日本人の知らない日本語(海野凪子・蛇蔵)
https://blog.goo.ne.jp/kabu2kaiba/e/04ef12bcccb7b2ca55a14f392ef89859
ロールモデルとして幾人かプロミネントフィギュアーを挙げるとすれば、大久保利通公に伊藤博文と山県有朋の両元老、桂太郎首相や原敬首相。平成の御代では安倍晋三首相や麻生太郎首相。諸外国に例を取れば、鉄血宰相・ビスマルク閣下や鉄の女サッチャー閣下、加之、敵ながらわたしが尊敬してやまない支那の鄧小平先生などがそれらの資質を備えた人物と言える、鴨。
▼開発されるべき日本人の具体的能力
・コミュニケーション能力
・分析力
・判断力
・交渉力
・教養
換言すれば、あの完全無欠のアイドルサイボーグ弥勒菩薩さんがそうなりつつあるように「元AKB48の」ではなくて「渡辺麻友」として世間と世界で評価されるようになること。すなわち、「文部科学省の事務次官」とか「東京大学の憲法担当の教授」であるとか、あるいは、ニューヨークで認められたとかハーバード大学をクンマ・スム・ラウデ(学年最優秀)で卒業したとかで認められるのではなくて、「渡辺麻友」や「松井玲奈」という自分や自分の作品の固有名詞で世界に通用する日本人が一人でも多く育っていかなければ日本の将来は暗いだろうということです。
思うに、<黒澤明>は海外で認められて初めて「日本の黒澤」になったが、<スピルバーグ>はアメリカで認められることで同時に「世界のスピルバーグ」になったのではなかったかという反省。
けれども、そのような人物や作品は「恥ずかしくない日本人」が増えない限り、――韓国が国際法を理解できるまともな国になるよりは早いとしても――100年河清を待つことくらいにはなりかねないと危惧している。
而して、いずれにせよ、わたしの経験からは、この能力開発は留学研修や企業内人材研修だけでは不可能というのが結論です。少なくとも、「恥ずかしい日本人」と「恥ずかしくない日本人」を隔てる知識とスキルに関しては、小学校・中学校、AKB48グループを含む地域や家庭での教育の重要さに比べれば米英大学や大学院留学、社会や会社で身につけられるものなど<太平洋に風呂桶一杯>もないだろうし、<ユニバーサルスタジオジャパンのキャンパスに針一本>もないかもしれないという認識。
蓋し、教育は一国の大業でありましょうし、畢竟、家庭と地域とAKB48グループは人間性構築の最も重要な環境でないはずがないという認識もまた。
・ピグライフは勝れものの「マネージメントスキル開発ツール」かも
https://blog.goo.ne.jp/kabu2kaiba/e/ee74458c5f6769163b91f13e9a13d8f4
安倍自民党内閣が練り上げた「第三の開国」に道を開こうとしている現在。2018年、平成の最後の晩秋にある日本。現在日本では米英のMBAを中心として、米欧の大学院卒業者は日本社会の中でそう珍しい存在ではなくなってきています。ある意味、大学院留学経験者が保持する日本社会へのインパクトは過去との比較においては漸次減少してきているとさえ言える、鴨。而して、諦観というか達観しているKABU先生曰く、
「留学後活躍している人は留学しなくとも活躍できたような人だよね」、「留学で人生一発逆転したように見えるケースも、キャリアチェンジが難しい(難かしかった、)日本の労働力市場の特性に起因しているだけじゃないかな。つまり、キャリアをリセットする儀式として――旧陸海軍を含む、否、旧陸海軍を筆頭に――日本の官公庁やビジネスの社会では留学が有効だったに過ぎないってこと」。
蓋し、「留学先で獲得できる人脈を除けば、語学力も含め留学してもビジネスを遂行する能力において人間そう大きく変わることはない。だから、留学をキャリアアップに結び付けられた人というのは<有能な人>ではなくて<賢い人>なんじゃない。例えば、留学でビジネススキームのヒントを掴めた人:留学後も能力開発を持続しなきゃ大変だと覚悟を決められた人:逆に、俺/わたし馬鹿ではないけどそう飛び抜けて優秀でもないのよくわかったから、留学後は、専門的な仕事やクリエーティブなタスクは、<俺が俺が><わたしがわたしが>と自分で抱え込むんじゃなくて、能力の高い他の人材に任せた方がいいよね、「女は度胸―男は愛嬌が肝要!」という悟りをを得たような人。そんな気がするんだな」、と。
なら、留学に日本人の能力開発をそうは期待できないとすると、
どう「第三の開国」に日本は立ち向かう?
これは多くの方々が述べられていることだけれども、わたしは、<知ってる-知らない>という2進法的な理解ができる情報は、今後も発展するであろうインフォメーションテクノロジーによって益々サイバースペースの中だけでやり取りされ処理されるようになるだろう。而して、その情報の市場価格も益々ゼロに近づくと予想しています。
他方、ネットワーク化の深化とともに付加価値の高い情報は(ネットワークの中でその「市場価値や情報の権威」がスク-リングされた上ではあるけれど、)、人間と人間との間をマンツーマン、かつ、フェースツーフェイスで伝わるものに限定されていくのではないか。芸術しかり恋愛しかり、そして、教育もまたしかりであると思う。蓋し、AKB48グループの現在の凋落ぶりと、誰しもが感じているこれからこその、その「第三章」の可能性はこの潮流の予兆なの、鴨。
・渡辺明永世竜王誕生に思う「定跡」と「人格」の弁証法的交錯
https://blog.goo.ne.jp/kabu2kaiba/e/44cbf1da714c88c6eac20e0e80837281
・衛星放送型通信教育☆サテライトの思想的可能性
http://ameblo.jp/kabu2kaiba/entry-11181538604.html
・アイドルは科学者である・・・「渡辺麻友」は賢いのか可愛いのか、両方か?
https://blog.goo.ne.jp/kabu2kaiba/e/1ae6adc4303ebd0c3c14aa40faa2a0e8
ならば、これからの開国の時代に拮抗できる「自己か自己の作品の固有名詞で世界で勝負できる日本人」、そこまではいかずとも「世界に出しても恥ずかしくない日本人」を一人でも多く育成する教育制度とは――「自虐史観」と戦後民主主義の微睡みから覚醒した上で――、
(甲)日本人らしい価値観と文化の価値を体得させる教育であり
(乙)米英の保守主義と英米法の知識を血肉となし標準装備した上での、コミュニケーション能力、分析力、判断力、交渉力、教養の大切さを理解させ、それらの土台と成る基礎基本を十分に子供達に身につけさせる教育。而して、更には、
(丙)学力で勝負するタイプの子供たちには、コミュニケーション能力、分析力、判断力、交渉力、教養自体さえも遠慮なく惜しみなく与える教育である。すなわち、<AKB48>的の教育的実践に他ならない。
畢竟、戦後民主主義の悪しき<平等妄想>に毒された教育観を打破し、子供達の習熟度と適性に従い国際競争力を持ちうる人材を選別育成しながら、可能な限り多くの子供達に基礎的な学力と日本人としてのプライドを与えるような上記の如き新しい教育制度が現在の日本に必要なものではなかろうか。そして、このような教育制度と整合的な教育観を、学校現場を含む地域と家庭が共有することが日本の将来のためには是非とも必要なことを私は信じています。
先日、――卒業してまだ10ヵ月足らずというのに、最早、「元AKB48」という肩書きが不要になってきた感を覚えた――渡辺麻友さんの着実な前進ぶりに勇気づけられ触発された走り書き。竜頭蛇尾ながらこの記事はここまで。
▼Ameba14周年記念スタンプのプレゼント頂きました❗
・・・憲法の改正に向けて頑張りましょう❗
https://ameblo.jp/kabu2kaiba/entry-12414473901.html
▽まだまだ前進しまゆゆ!
https://ameblo.jp/sanfreccarp/entry-12414282390.html
▽すべての道はまゆゆに通ず
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