ここ2週間ほど自前記事の更新が滞っていました。そろりそろりと復帰します。まずは軽めの話題、久しぶりに受けたTOEIC公開試験の雑感から。これ本当に「後悔試験」になりました。会場は、小田急線本厚木にある秀英予備校厚木校。新百合ヶ丘駅から小田急線で24分、ドアツードアでも40分足らず。意気揚々と小田急新百合ヶ丘を出撃です。
今回のテスト結果は恐らくここ5-6年で最悪、ひょっとしたら、久しぶりの800点台もあり得るできばえ(汗)。実際、素点=正解数はListeningもReadingも90問前後くらいか。ならば、その可能性は大。そうなれば、「英語教育屋」の看板を外さざるを得ない、鴨。
もちろん、私のTOEIC受験目的は問題傾向把握と受験者群の年齢・性別の分布や表情の観察(出来栄えや試験に臨む真剣さの把握)であり、別に、私くらいになれば(?)TOEICのスコアが何点であれ「職」や「出世」に影響はない。けれど、やはり、沽券にかかわる事態です。
でも壊滅的なスコアが後悔の理由ではないのです。ではどうして「後悔試験」かと言えば、「英語教育屋たるものTOEICくらいは都度受験せなあかんねん」と日頃、周りの若い衆に言っている自分の言葉が<天唾=ブーメラン>になり炸裂したから。勘が戻らないのですよね。やはり、どんな試験でも頻繁に受験していなければこのような事態は起こりうる。畢竟、実戦に優る訓練なし、です。
英語教育屋たるもの、TOEICくらいは都度受験せよ!
実戦に優る訓練はない!
TOEIC学習者は毎回でも公開試験を受験すべし!
KABUの<本職>はどちらかと言えば、TOEFL・GMAT・GRE・LSAT・SATという米国留学関連の「英語力/学業遂行の適性」判定テストと親しいのですが、思うところがあって、TOEICも2003年の6月から2006年11月まで毎回欠かさず公開試験を受けていました。而して、今回は公開試験としては実に2年半ぶりの受験。で、見事に「後悔」試験になってしまった。
蓋し、<実践知の構築>とはすべからくインプットとアウトプットの表裏一体の結合。何を言いたいかと言えば、知識ももちろん学力ではあるがその知識を適宜運用できるスキルも学力の裏面ということ。
教育心理学のイロハでしょうが、学習とは、知識を「記憶→定着→血肉化」する営み。つまり、「短期記憶」から、「思い出そうと思えば思い出せる長期記憶」に、そして、「長期記憶」から「必要な時に必要な知識が意識にのぼる知識の血肉化」に至るのが学習のプロセスと言えるでしょう。そのような「血肉化した知識」こそ<実践知>の名に値する。
ならば、膨大な英単語や語法や文法事項、英語の音韻と音声の特徴を記憶・体得することはもちろん学習なのですが、他方、それらが本当に<実践知>の名に値する域に達しているかどうかはそれらがきちんとアウトプットできるかどうかによって決まる。そして、重要なことは、極論すればこの学力の表裏は(無関係ではないけれど)別の技量に属するということです。而して、この経緯は、司法試験や就職活動で課される小論文、あるいは、大学・大学院入試の小論文の対策を考えれば自明なことではないしょうか。蓋し、知っていることと知っていることを公共空間に表現できることは全く別のスキルであり、それら両者は各々<実践知>の不可欠な構成要素なのだと思います。
<実践知>とは「インプット-アウトプット」の結合だ!
TOEICに引きつけて敷衍すれば、リーディングの三パートの時間配分とその配分を実行できるタイムマネージメント能力は「インプット-アウトプット」の技量の基本中の基本でしょう。
ちなみに、一般的にはリーディングセクションの適正な時間配分はパート5・6・7を各々15分・6分・54分とする識者が多いです。例えば、中村澄子『1日1分レッスン! 新TOEIC Test』(祥伝社黄金文庫・2007年10月, p.113)。ただ、あくまでも自分の英語能力の水準と特性、それこそ正に、「インプット-アウトプット」の総合力としての自分の英語力から合理的な時間配分はオーダーメイドで割り出すべきだと思います(ちなみに、KABUの場合には、10分・5分・50分+喫煙タイム)。
別の例で敷衍すれば、TOEICパート3-4やパート7で課題文の意味を適宜/素早く、そして、完璧に理解できたとしても、その課題文に対する設問文の理解に手間取るようでは高得点は望めないだろうということ。
例えば、『TOEICテスト新公式問題集Vol.2』(Test1-Q156)の設問文
What information are customers asked to have available
if they have questions about their orders?
要は、(疑問詞を含む疑問文である)特殊疑問文のその疑問詞が、実際は、疑問文の中の従属節の一要素にすぎないケースが血肉化されているかどうか。重ねて例文を挙げておけば、
『TOEICテスト新公式問題集Vol.3』(Test1-Q50, 57, 58)の設問文
What does the women say will happen tomorrow?
What does the man suggest the woman do next?
What does the man tell the woman she will need?
これらについて反復練習を積み重ねて、(感覚的には海馬と前頭葉を「頭越」にして)耳と目と手が極自然にその「設問文の文字列・音韻列」に反応する域まで達しているのでなければ、TOEICの高得点は望めないし、まして、異文化が鬩ぎ合うインターナショナルなビジネスや政治の実戦で勝ち抜く(to win a place)ことは難しいと思います。蓋し、上の例文を、
What does the women say will happen tomorrow?
↑
The women says(that)X will happen tomorrow.
What does the man suggest the woman do next?
↑
The man suggests(that)the woman(should)do X next.
What does the man tell the woman she will need?
↑
The man tells the woman(that)she will need X.
そして、
What information are customers asked to have available
if they have questions about their orders?
↑
Customers are asked to have X available
if they have questions about their orders.
というように、英文の構造をきちんと理解できることは「インプット」において重要ですが、最初の設問文をそのままの形で速く正確に理解できるのでなければ、その英語力は「インプットーアウトプット」が渾然一体融合しているとは言えない。而して、そのような「インプットーアウトプット」との渾然一体の境地の獲得と維持のためには、少なくとも、TOEICなら毎回公開試験を受験するくらいでなければならないと思います。
英語とは別の喩えで<復習>しておきましょう。例えば、プロ将棋の世界では、当代最強と位置づけられる名人・竜王・A級クラスの10数名の棋士と、それ以外の棋士の「情報差=インプットの差」はほとんどないと言われています。ならば、その両群を隔てるものは、実戦局面で「最善手を制限時間内に凄まじいプレッシャーの中で選べる確率=アウトプットの技量」であり、遡れば、それは局面が表している情報をより深くより速くより正確に理解する「インプット-アウトプット」の能力の差であろうと想像します。
実際、その最強の棋士の中でも谷川浩司九段の寄せの技量と羽生善治名人の局面を打開するスキルは突出していたと思いますが、この両永世名人資格者の技量こそ、<実践知>としての「インプット-アウトプット」の具体的なイメージなのかもしれません。
蓋し、世の中には二日酔いでも新型インフルエンザでも、前の晩に彼氏さんに別れ話を言われても、どんな状態でもTOEICで990点のフルスコアを必ず取る方もおられる。これは、その方の「インプット-アウトプット」の英語力が、TOEICの出題範囲と難易度の分布が形成する「英語知識のマトリックス平面」を(それを内部に完全に包みつつ、かつ)遥かに超えて広がっているからだと思います。要は、それは、谷川九段や羽生名人が二日酔いでも新型インフルエンザでもどんな状態でもアマチュアの県代表クラスには絶対に負けることがないだろうことと同じです。と、そう思い自分の未熟さを痛感した<9・13>のTOEIC「公開-後悔」試験。秀英予備校厚木校を後にするときそう痛感しました。
で、その秀英予備校の対面には!
はい。懐かしい、リンガーハット! しかも今、ブログ仲間でも評判のリンガーハットがあるではないですか(下記halhalさんの記事参照)。ということで、この後悔を血肉化するためにも、TOEIC公開試験日恒例の遅い昼食はリンガーハットでいただくことにしました。まあ、休日にプライベートでTOEICを受けた自分へのご褒美に290円の小ビールもつけて、
チャンポン450円+小ビール290円=740円!
ヽ(^o^)丿
・halhalさんの記事
http://blogs.yahoo.co.jp/hal_hal_hall/30542860.html
実は、リンガーハットのチャンポンって、私の郷里、福岡県大牟田市あたりの昔のラーメンなんですよね。リンガーハットのチャンポンは本場長崎のチャンポンに近いから、そして、大牟田は有明海を隔てて、長崎の食文化がダイレクトに入ってくる所だから、今の「ラーメン」が全国区のディッシュの呼称になるかならないかの頃、おそらく終戦直後に今の「チャンポン」が<ラーメン>として大牟田に入って来たの、鴨。
ややこしい話ですが、私が大学進学のために京都に来た時には、「都会では<ラーメン>を「チャンポン」と言い、<支那蕎麦>を「ラーメン」と呼ぶのか」と思ったくらいですから。尚、もちろん今では大牟田にも今の「ラーメン」もあります。というか、「大牟田ラーメン」は廣島にも東京の用賀にも有名なお店がありますけれどもね。
ということで、後悔の血肉化も終了。而して、自民党にも、是非、<8・30>の敗戦をよく総括して、その後悔を血肉化してもらいたいものです。
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