英語と書評 de 海馬之玄関

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建国記念日に朝日新聞の宣伝文を読んでみる

2006年02月11日 06時11分45秒 | 日々感じたこととか

朝日新聞の広告を最近よく目にします。これです。

言葉は身勝手で、感情的で、残酷で、
ときに無力だ。
それでも私たちは信じている、
言葉のチカラを。
ジャーナリスト宣言。朝日新聞


昔、「どんな上の句をもってきても、下につけられる句を作ってくれ」と言われた細川幽斎は、「・・・それにつけても金のほしさよ」はどうですかと言ったらしいですが、この朝日新聞のキャッチコピーもなかなかではないでしょうか。何を言いたいのか? それは、このコピーの中の「言葉」をたいがいのものにしてもそれなりに味わえるということ。試してみましょう。

国連は身勝手で、感情的で、残酷で、ときに無力だ。
それでも私たちは信じている。国連のチカラを。
ジャーナリスト宣言。朝日新聞

女性は身勝手で、感情的で、残酷で、ときに無力だ。
それでも私たちは信じている。女性のチカラを。
ジャーナリスト宣言。朝日新聞

政治は身勝手で、感情的で、残酷で、ときに無力だ。
それでも私たちは信じている。政治のチカラを。
ジャーナリスト宣言。朝日新聞

ドコモの携帯電話は身勝手で、感情的で、残酷で、ときに無力だ。
それでも私たちは信じている。ドコモの携帯電話のチカラを。
ジャーナリスト宣言。朝日新聞

緑黄色野菜は身勝手で、感情的で、残酷で、ときに無力だ。
それでも私たちは信じている。緑黄色野菜のチカラを。
ジャーナリスト宣言。朝日新聞

エクセルの表計算は身勝手で、感情的で、残酷で、ときに無力だ。
それでも私たちは信じている。エクセルの表計算のチカラを。
ジャーナリスト宣言。朝日新聞

外国人講師は身勝手で、感情的で、残酷で、ときに無力だ。
それでも私たちは信じている。外国人講師のチカラを。
ジャーナリスト宣言。朝日新聞


試してガッテン? 幽斎翁ほど上品ではないけれど、なかなかだと思いませんか。つまりそれは、このようなキャッチコピーはどこまでも「正しい」のかもしれないけれど、それは逆に、何も言っていないに等しいということなのではないか。



それは、「人間は死ぬものだ」とか「誠実が一番だよ」という、おそらく、絶対に正しい命題はすべての事柄と矛盾しないが、さりとて、何か現実具体的な方針を下す上での参考にはあまりならないのと通じているのかもしれません。簡単に言えば、「下手な考え休むに似たり」ということ。

それに比べ、『小泉内閣メールマガジン』(221号・平成18年2月9日)に掲載されていた、私と寛子ちゃんの郷里・福岡県の星、九州の星、麻生太郎外相の次の<言葉>は正しくもなく「身勝手で、感情的で、残酷」かもしれないが「無力」ではないと思う。私はこの<言葉>を目にして「言葉のチカラ」を信じたいと思いました。蓋し、言葉は政治であり政治とは言葉なのでしょう。

● ニッポンを幸せにする外交(外務大臣 麻生太郎)
外務大臣になって心がけていることは、外交とは、日本国民の幸せのためにするんだぞ、ということです。当たり前だとお思いでしょうが、ここは大事なところです。

外交とは相手あっての話なんですが、日本のためにする仕事なんです。日本人が世界で幸せに誇りをもって生きていけるようにするのが外交なんだということは、常に自分に言い聞かせておかなければなりません。

例えば最近「ODA・情けは他人のためならず」と題してスピーチをしました。一見他国のために見える対外経済協力にしても、他国のためであると同時に、長い算盤を弾いてみたら、回り回って最終的には日本の利益を図る仕事に違いありません。そこらを、今、機会を捉えて強調しています。

もう1つは、日本の考えをはっきり世の中に言っていこう、ということです。

外交で使う「武器」は、一にも二にも「言葉」です。日本の外交も、この言葉というものを更に磨いて、内外でしっかり日本外交を理解してもらおうと、思っています。外国の方たちに日本の意思を分かってもらうのはもちろん、国民の皆さんにもよく理解してもらわなくてはなりません。それを土台にして初めて、ぶれの少ない外交というものを進めていけるからです。(後略)



正しいだろうが無内容な朝日新聞のキャッチコピーと正しくないかもしれないがしみじみ納得のできる麻生太郎氏の文章を読んだ建国記念日の朝だった。

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