2020-11-11 07:47:43
おそれ入谷の鬼子母神? 女流作家による花のお江戸の街を舞台にした「捕物帖」と「人情話」とともに、最近のマイブームの英国史。そのからみで久しぶりにある書物を読み返していて驚愕してしまいました。「150年も前に朝日新聞の破綻が言い当てられている」、と。
>The English Constitution (revised edition; 1867, 1872)
>by Walter Bagehot
ちなみに、本書『The English Constitution:イギリス憲政論 』が出版されたのは、正に、明治維新(the Meiji Restoration)の年。そして、読み返している(read it again, 「reread」はこの場合は❎)第二版は1872年に世に出たのですけれど、ちょうどその時、――津田梅子先生も太平洋を渡ってアメリカまで同行された――あの岩倉使節団はアメリカを離れ大西洋を進んで英国に滞在していた。
蓋し、岩倉使節団の副使のひとりとして、――若き日にロンドンでフィッシュアンドチプスとビールですごされたであろう――伊藤博文公も、AKB48の薩摩の花魁じゃなかった薩摩のお局さま、今の柏木由紀さんとあんまりかわらない30歳の働き盛り直前、ならば、バジョットとウエストミンスター新宮殿(Palace of Westminster↖あのビックベン横の「英国の国会議事堂」の正式名称)あたりで談笑していた、鴨。そんな150年前のブリテン島の時空から届いたバジョットのメッセージ❤ それ愉快だった、鴨。
要は、手前かってな「寛容」なるものと「多様性」を
他者に強要できると思い込むその傲慢さ。それを
世界と世間ではリベラリズムあるいは文化帝国主義
と言うのですよ、朝日新聞さん。
はあー、「話し合いで解決?」。その、解決が
すむまではどうするの? そのコストはどうするの?
逸失利益はどうするの? 解決の判定者は誰なの?
はぁー❗ あほか❗
コンビニ店舗でも英会話教室でも1日あけてたら
減価償却も含め家賃・広告宣伝費・人件費等々
ルーティンコストなんぼかかると
思ってんねん❗
・崖っぷちなのは「リベラルメディア」の方ですよ・・・だって、市民から乖離してますもの
https://blog.goo.ne.jp/kabu2kaiba/e/27975b947f029db3fda770ca3dd36388
・[再掲]前川喜平「愛国心はならず者の最後の拠り所」・・・So what?
https://blog.goo.ne.jp/kabu2kaiba/e/e27280f033ee9633c5dca8ab6953706f
・【再掲】宇野重規・「民主主義とは何か?」(講談社現代新書)↖スカスカのParisグルメ案内❎
https://blog.goo.ne.jp/kabu2kaiba/e/5f407c897dadf9e5aacf43d88fa4bd91
・日本社会の「右傾化」を嘆き憤るリベラル派の怠慢と傲岸
--マーケットの変化には商品の変更でしょ
https://blog.goo.ne.jp/kabu2kaiba/e/5dda58e6b05976d6658553df6d20742f
・朝日新聞の英文記事「GSOMIA破棄は日本が悪い」とな?
嘘つきというより忠義者なの、鴨。
クライアントの特定アジア3国、就中、韓国への❗
https://blog.goo.ne.jp/kabu2kaiba/e/dc0ff1a7666a3a567c5d282730da401e
そして、
・[もう一度]憲法における「法の支配」の意味と意義
https://blog.goo.ne.jp/kabu2kaiba/e/f58d7887310d1a4ab95f909423748331
・完版:保守派のための海馬之玄関ブログ<自家製・近代史年表>みたいなもの
https://blog.goo.ne.jp/kabu2kaiba/e/a3221c77ea0add17edf737d21088cf96
・[再掲]法哲学の入門書紹介 でも、少し古いよ(笑)
https://blog.goo.ne.jp/kabu2kaiba/e/e33c41e2859ae8cad1c064531f0e4ab9
・書評☆古木宜志子「津田梅子」
https://blog.goo.ne.jp/kabu2kaiba/e/b321120a98e4219e5e52525d85d35097
(*^o^)/\(^-^*)
津田梅子先生じゃなかった
NMB48OGの贔屓の安田桃寧さん❤
こちらも梅子先生ではなくて、HKT48の贔屓の田中美久さん🌹
🐙民主主義--「民主主義」の顕教的意味
https://blog.goo.ne.jp/kabu2kaiba/e/ad2605087e97efb8c6dec93b37372f5e
🐙民主主義--「民主主義」の密教的意味
https://blog.goo.ne.jp/kabu2kaiba/e/fbe55731e6cb57f570920668aae514a9
🐙瓦解する天賦人権論-立憲主義の<脱構築>、あるいは、
<言語ゲーム>としての立憲主義(1)~(9)
http://blog.goo.ne.jp/kabu2kaiba/e/0c66f5166d705ebd3348bc5a3b9d3a79
津田梅子先生❤
・・・People wonder that so literary a people as the Americans ーー a people who read more than any people who ever lived, who read so many newspapers ーー should have such bad newspapers.
The papers are not so good as the English, because they have not the same motive to be good as the English papers.・・・
Nobody cares for a debate in Congress which “comes to nothing,”
and no one reads long articles which have no influence on events.
The Americans glance at the heads of news, and through the paper. They do not enter upon discussion. They do not think of entering upon a discussion which would be useless.・・・
(No.Ⅰ. The Cabinet, pp.87-88)
・・・読書家であることでは古今東西今のどの国の人々にも負けない、そして、実際に日頃から実に多くの数紙もの新聞に目を通しておられるアメリカ国民。そんな読み書きの技量に秀でておられるアメリカ国民がなぜあのような朝日新聞の如く酷い新聞に文句をつけられないのだろう。と、世界の人々は日頃からそれを訝しく思っている。
ことほど左様に、アメリカで発行されている新聞ときたらそれはそれは朝日新聞なみに酷いものでイギリスの新聞とは比べようもない。蓋し、平成から令和の日本と同様に、アメリカではイギリスと違って、新聞社がその生き残りのためにも、また、その当該の社会に対する自紙の影響力を維持増強するためにも新聞紙面自体の内容を良くしなければならないという動機がそれほど強くないから、鴨。・・・
蓋し、簡単なことだ。平成と令和の日本のTVのワイドショーよろしく、そこでの議論が論者各自の想像や要求の言いっぱなしで、結局のところなんの成果ももたらさず漸次立ち消えになっていく、そんなアメリカ連邦議会における議論など誰も真面目に相手にすることはないだろうし、まして、現下の諸問題の解決にまったくなんの影響も及ぼさない、非論理的な詩的言語で織り成された、根拠薄弱なくせに独善的で教条主義的の空理空論でしかない朝日新聞の社説の如き長文記事なんぞ読む人がいるはずはないのだから。
而して、アメリカの人々は、新聞を読む際にはニュースのヘッドラインをちらりと見てそれでおしまいにされる。記事が展開しているだろう理路に彼等が立ち入ることはまずないということ。朝日新聞の社説のように有害ではないにせよ、朝日新聞の社説と同様、無益かつ無意味で無内容ではあろ議論などに立ち入ろうなどとアメリカの人々は毫も考えていないのである。・・・
イギリス英語の入門書紹介――役に立つのにお洒落で楽しい「イギリス英語」の招待状のようなもの
https://blog.goo.ne.jp/kabu2kaiba/e/2387050ede4ca0a2947e1c5783157128
【令和2年―日本版 by KABU】
・・・People wonder that so literary a people as the Japanese ーー a people who read more than any people who ever lived, who read so many newspapers ーー should have such bad newspapers.
The papers, say Asahi and Mainichi, and so on, are not so good as the English, because they have not the same motive to be good as the English papers.・・・
Nobody cares for a debate in the Diet which “comes to nothing,”
and no one reads long articles which have no influence on events.
The Japanese do not even glance at the heads of news, and through the paper. They do not enter upon discussion. They do not think of entering upon a discussion which would be definitely useless. They say to themselves not to waste time reading Japanese newspapers any more.・・・
この引用箇所の前後で、――立法府での議論が政治に直結しないがゆえに無責任で無内容な、日本のワイドショーでの発言のように「受け狙いの皮相」なものになる傾向が顕著である等々の理由から――バジョットは、立法府と執行府が分断されているアメリカの大統領制(a presidential system / government)よりも、行政府が寧ろ立法府の委員会と言ってもよいイギリスの議員内閣制(a cabinet system / government, a parliamentary cabinet system)がより優れた統治機構ではなかろうか、という愛国心溢れる主張を展開しています(ちなみに、アメリカ連邦憲法の採る連邦政府における「権力分立」は「立法・執行・司法」のそれであり、厳密に言えば、所謂「行政権」は連邦議会と大統領が分有しています)。
バジョットが、しかし、その慧眼と洞察が150年の時空を超えて――1867年という本書『The English Constitution 』と同じ年に出版された『資本論』が現在ではリサイクルトイレットペーパーの材料でしかない現実に比べて――ヨーロッパ大陸流の文化帝国主義でしかなかったリベラリズムの退場を背景にして、世界的に再評価されているのは、蓋し、当然といえる、鴨。
・読まずにすませたい保守派のための<マルクス>要点便覧
-あるいは、マルクスの可能性の残余
https://blog.goo.ne.jp/kabu2kaiba/e/385e8454014b1afa814463b1f7ba0448
なぜならば、例えば、この「議員内閣制>大統領制」の主張においても、バジョットは、【柏木】制度の優劣の比較はその各々の政治社会に蓄積している、あるいは、自生的な文化や伝統を捨象するならば無意味であると明記しており、【由紀】所謂「普通選挙制度」導入によって――本書『The English Constitution』は、その「The Reform Act:第二回選挙法改正」(1867)を受けて上梓されたのですけれども❗――、所謂「大衆社会」の到来とその弊害を150年前に的確に予想しているのですから。
尚、アメリカの新聞の駄目さに関して
私見を補足させていただきます。
【安田】アメリカは――その知性や教養の高低に関わらず、要は、そのアメリカ市民がハーバードやプリンストンで博士号を取得されていようが、州立短大たるコミュニティーカレッジを中退されていようが、――その方が、自活しておられ、加之、自分のコミュニティーの正規のメンバーである限り、空理空論の抽象論を振りかざす、欧州大陸風のインテリさんが大嫌いという傾向があると思います。要は、健全なる地に足の着いた反知性主義がアメリカとイギリスの思想的基盤なの、鴨とも。よって、タイムズのイギリス社会における機能や信用や権威とは違って、ニューヨークタイムズなりワシントンポストなりのインテリ御用達のプレスのアメリカや英国における影響力はもともとそう大ききはないと言えるの、鴨です。
As Europeans go, the English 【the British】are not intellectual. They have a horror of abstract thought 【and beautiful Korean-like idol-san】, they feel no need for any philosophy or systematic “world - view.”
(England Your England)
(英国人は知性的の国民ではないって? それがどうしました。うちら、【もうこの世のものとは思えないほど美人さんの韓国のアイドルさん見たら引いてしまうのとパラレルに、】厳めしくも内容スカスカの朝日新聞の社説を連想させる欧州の空理空論聞いてると寒気がしますねん。)
イギリス英語の入門書紹介――役に立つのにお洒落で楽しい「イギリス英語」の招待状のようなもの
https://blog.goo.ne.jp/kabu2kaiba/e/2387050ede4ca0a2947e1c5783157128
取り扱い注意❗ 混ぜるな危険? ❤アメリカ合衆国憲法❤の目次的紹介(↖海馬之玄関ブログ内限定)
https://blog.goo.ne.jp/kabu2kaiba/e/c4ebce035be3e025d326ba8924485f33
[再掲]移民の国アメリカが移民を排斥することは矛盾だという論理の論理の破綻について
https://blog.goo.ne.jp/kabu2kaiba/e/27d29dae4fc8adc5fe0dfd63ef98e786
【桃寧】アメリカは――連邦政府が漸次州政府の権限を侵食してきたとはいえ、当たり前のことですが、連邦憲法の文面からも❗――「連邦国家」なのですよね。なにが言いたいのか。はい、例えば、日本でTVのワイドショーで取り上げられる話題の過半は、アメリカのTVで――ケーブルがメインとはいえ、アメリカのTVで――放送されるニュースの大半は、自分の州かお隣の州くらいの範囲のものに限られるということ。
そう、ミネソタ州ならミネソタ州とウィスコンシン州、たまに、イリノイ州が出てくるくらいの世間界隈の感覚。よって、アメリカには、地域ネタもカバーしている全国紙というものは建国以来存在しない。ならば、専ら全国紙を念頭においてする英米の新聞の比較はそう大きな意味はない、鴨。ただ、逆に言えば、バジョットの150年前の指摘は令和の日本の新聞には無慈悲なほど当てはまる。と、そうわたしは考えます。
ちょびっと蛇足。本書『The English Constitution』と言えば、その評価を決したものは有名な「憲法の内容の二分論」。すなわち、憲法に編み上げられている諸制度は「威厳-威信」と「実行-効率」という二つの部分に分けて考えるべきであるという認識でしょう。
そう、それは、――不埒にも祖国が普仏戦争の敗北直後の混迷にあるときを狙って、朝日新聞や立憲民主党の如きさもしい、都会のパリに住むホワイトカラーでインテリのリベラル派という不逞の輩が引き起こしたあの「パリコミューン」という犯罪的騒乱を、不倶戴天の敵国プロイセンから支援を引き出すという優れた外交能力でもって見事に<秒殺的に鎮圧>した、――フランス第三共和制の創業者のひとりティエールの決め台詞として有名な「国王は君臨すれども統治せず:The Queen reigns, but does not govern」という「立憲君主制:a constitutional monarchy」理解に連なる認識。
In such constitutions there are two parts ・・・first, those which excite and preserve the reverence of the population ー the dignified parts, if I may so call them; and next, the efficient parts ー those by which it, in fact, works and rules.
(ibid., p.70)
The use of the Queen, in a dignified capacity, is incalculable. Without her in England, the present English Government would fail and pass away.
(No.Ⅱ. The Monarchy, p.99)
イギリス【あるいはアメリカおよび日本の】憲法は二つの部分から成り立っている。すなわち、運命共同体としての国家にその臣民が寄せる崇敬の感情を喚起してその国家に対して臣民が抱く誇りと敬愛の情を保持する、謂わば「威厳の部面」が一つ。而して、今一つは、憲法がそれらによって実際に効力を帯び憲法に基づく支配が可能になっている「効率の部面」がそれである。
威厳の効能領域において女王【あるいは天皇】の帯びる効用の大きさは計りしれない。女王陛下【あるいは天皇陛下】を欠いたとすれば、現にあるイギリス政府なるものは【あるいは日本国政府なるものは】、忽ち、役立たずの粗大ゴミになってしまい、そして、消滅するだろう。
バジョットのこの「憲法規範の二分論」。蓋し、それは、――日本では、ほとんどの憲法研究者を称する論者が、①不勉強なのか、または、②Agatha Christie『オリエント急行殺人事件:Murder on the Orient Express』 (1934)のトリックのように、「知っているのに皆で口裏をあわせて知らないふりしているのか」、あるいは、③その両方なのでしょうか、不思議なことに日本語でされる議論では認めようとしない、――現在の憲法基礎論における世界的にみて標準的な認識と整合的なの、鴨。
すなわち、
【田中】天賦人権なるものが普遍的であるという根拠は存在しないこと、例えば、ジョン・ロールズの世迷い言は現実の「公平としての正義」なるものの分配とリンクするものではないファンタジーにすぎないこと
【美久】日本国は現行の占領憲法においても紛うかたなく「立憲君主制」であること、換言すれば、「天皇制」と「国民主権」は毫も矛盾しない、あるいは、「共和制」と「君主制」は矛盾しないこと
(要は、『史記』の十二諸侯年表の冒頭にある「共和」(↖周の厲王が逃亡してから宣王が即位するまでの期間、紀元前841年から紀元前828年の「年号」)からの類推で、「共和制≒君主不在の政治社会とその憲法制度」と理解されるのは論者の勝手だけれども、フランス語経由ラテン語起源の「republic」の訳語として「共和制」を捉える場合には、「共和制」と「君主の有無」は無関係ということ。
実際に、あのナポレオン・ボナパルトは、その皇帝ナポレオンとしての戴冠の際に「余は、フランス共和国の皇帝である。余は、フランス共和国の領土を外敵から守り、信仰の自由、政治的および市民的自由の保障等々、革命の成果を断固守護する」とのたまわれたのですから)。
そう、例えば、「東京大学系の憲法論」の元祖、あの宮沢俊義さんも「国家が法人であり、君主はその機関であるという考え方は、英米法にはあまりないようですが、フランス、ドイツでは一般的な考え方で、【二次にわたる「天皇機関説論争」の際には】日本でも法律家の間では常識になっていました。そういう考え方が学問的に正しいかどうかは別として・・・」(『昭和思想史への証言』(毎日新聞・1968年3月),p.138)と述べられているように、日本のリベラル派の口にする類いの「立憲主義」なりはそれほど根拠のあるものではもともとないのでしょうから。
・<再論>天皇制と国民主権は矛盾するか
https://blog.goo.ne.jp/kabu2kaiba/e/990999e92cd899aef981c6dafa0ba0ef
・樋口陽一の文化帝国主義的憲法論の杜撰と僭越
https://blog.goo.ne.jp/kabu2kaiba/e/75d33f6bb999e22cf4234345aa9b5f3d
・海馬之斬鉄剣:朝日新聞の素人憲法論批判
――改憲のための改憲、所謂「改憲の自己目的化」は立憲主義と矛盾するか(余滴)
https://blog.goo.ne.jp/kabu2kaiba/e/fd238dd718305d091de43c72383b86ce
( ^-^)ノ∠※。.:*:・'°☆
これら【田中】【美久】のことを、150年前のブリテン島から時空を超えて
バジョットはテレパシーで確認のために送ってくださっているの、鴨。
と、蛇足ながそう思いました。
・いろんな意味で結構根深い日本語の韓国起源説
https://blog.goo.ne.jp/kabu2kaiba/e/d8a7ec627fab192570817c9c7038e195
畢竟、「国際社会」なるものに関してもリベラル派がしばしば(念仏のように?)口にする所謂「多様性」なるものの価値や素晴らしさというもの。蓋し、それらの価値や素晴らしさを保守派も必ずしも否定はしないでしょう。
わが国も、古来、数多の「帰化人」の方々を<新しい仲間>として受け入れてきたし、日本の文化伝統なるものの多くは彼等とのコラボレーションの果実であることを否定するような向きは「保守」などではなく、単なる「無知」なのだと思います。
・風景が<伝統>に分節される構図-靖国神社は日本の<伝統>か?
https://blog.goo.ne.jp/kabu2kaiba/e/87aa6b70f00b7bded5b801f2facda5e3
・【再掲】「歴史とは何か」のE.H.カー先生はとっくに見抜いていた?
「個人の尊厳」なるものを国民国家の基底に据えるリベラル派は<北斗の拳>だった
https://blog.goo.ne.jp/kabu2kaiba/e/8e875a70b322737b617c3b6ca282d104
しかし、「多様性」なるものを具現する道のりやスタイルは、リベラル派がしばしばそう口にするように、別に、すべての国が「その市民社会を<地球市民的>なる西欧大陸インテリ流の無国籍の色合いに染める」ものばかりではないのではなかろうか。個々の国家が、各々、独自の文化と伝統を競いあうことによって、世界の総体としては百花繚乱・千紫万紅の<コラージュ>状況を現出する道のりもありはしないか。
而して、保守主義に親和性のある「国際社会」の――現在の国際法の基盤となっている法の共同体という意味での「国際社会」に親しい――「多様性」は間違いなく後者のスタイルであろうと思います。