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[もう一度]B29とバブルと地方の再生

2020年08月06日 15時13分52秒 | 雑記帳

 

 

●はじめに
このエントリー記事の原点は、元々、平成16年(2004年)の夏、郷里・福岡県大牟田市に帰省したおりこのブログの本家サイトの掲示板に書きなぐった思いです。その後、推敲加筆を加えこれまた本家サイトの「エッセーコーナー」にアップロードしたものがこの記事の原典。再録の再録(2004➡2007➡松井玲奈姫の玲奈じゃなかった令和2年のコロナくんの夏)。実は、「バブル」の風景にその後の「ポストバブル」の焼け野原の光景が織り込まれていたと、後知恵ながら確信するから。

而して、玲奈姫じゃなかった令和2年の夏。そう、(H)コロナくんとの平和的共存関係の構築、(K)韓国との国交断交、並びに、(T)この秋の解散総選挙を経て、(48)匍匐前進ながらも安倍総理がいよいよ憲法の改正に向かわれるこの秋(とき)、正直、あの悪夢の民主党政権のときにこのコロナくんのこの事態が起きなくてよかった。と、幾ばくかの感慨を込めて再録させていただきます。

 ・もう一度➡立憲民主党さん朝日新聞さん一言いっていいですか? 

 コロナが落ち着くまで黙ってろ❗

 https://blog.goo.ne.jp/kabu2kaiba/e/73178c8504b40650cf67b5e02065f8bf

 

kitty【海馬之玄関関連記事】kitty

・再掲―追補:保守派のための「立憲主義」の要点整理

 https://blog.goo.ne.jp/kabu2kaiba/e/127e0b96f96455aa1be69af27e8b4118

・海馬之斬鉄剣:朝日新聞の素人憲法論を一刀両断
 ――改憲のための改憲、所謂「改憲の自己目的化」は立憲主義と矛盾するか(上)(下)
 http://blog.goo.ne.jp/kabu2kaiba/e/e372d22758b73b9f66f9e94aa94f6e48

・海馬之斬鉄剣:朝日新聞の素人憲法論批判
 ――改憲のための改憲、所謂「改憲の自己目的化」は立憲主義と矛盾するか(余滴)
 http://blog.goo.ne.jp/kabu2kaiba/e/fd238dd718305d091de43c72383b86ce

そして、

・まずは「加憲」でいいのではないですか――改憲派こそ「憲法」に期待しすぎるのやめませよう

 https://blog.goo.ne.jp/kabu2kaiba/e/9333930d645cf9bb127ad33d72915dd7

・日本の憲法学者は憲法改正論議のリングから放逐せよ❗
 https://blog.goo.ne.jp/kabu2kaiba/e/090ba545dd647c5cedfa603fffd497d8

・<改訂版>自薦記事一覧:保守主義の憲法論と社会思想
 -憲法学の再構築と占領憲法の破棄・改正を求めて
 https://blog.goo.ne.jp/kabu2kaiba/e/5f7bef87927eae129943ca8b5bb16a26

 


omutasakaemachi

 

2007年9月17日



■B29とバブルと地方の再生
今【2004年の夏、2001年生まれのHKT48の田中美久さんが3歳になられる少し前。その今同様に天使のように可愛くヒグマより狂暴だっただろうbabyみくりんのゆりかごまで車で半時間以内の➡】、郷里の福岡県大牟田市に帰省している。故郷はいいよ。「国破れて山河あり」ではないけれど、山河海浜の風光だけでなく太陽の日差しも湿度もちょうど体に心地よい。実際、私は、カリフォルニアの青い海と青い空が大嫌いだ。四季がない。湿気が乏しい。もちろん、私とて蒸し暑いのは嫌いだし、夏の東京や京都に住んでいるときは「この蒸し暑さは勘弁してよ」と思う。しかし、カリフォルニアの一年中馬鹿みたいに明るく清々しい環境に二週間も滞在していると自分が馬鹿になってしまう気がする。その点、故郷はいい。太陽の日差しも湿度も気温も総てが私には心地よく感じられるからね。

 


故郷は心地よい。この郷里に生まれて良かった日本人に生まれて良かったと思う。しかし、しかしね。アメリカに比べればまだまだだが、日本もモビリティーの高い社会になってきており、今の小学生のほとんどが就職して社会に出るだろう15年後には、京浜・京葉・中京・阪神の各メトロポリス以外のエリアに<自分の故郷>と呼べるコミュニティーを持つ日本人の割合は一層減ると思う。子供達だけでなくその親の世代も、これからの15年間で太平洋ベルト工業地帯とその近郊エリアに漸次移動するだろうから。実際、1ヶ月前の平成16年7月3日には売上不振により大牟田唯一のデパートが完全に倒産したし、我々の世代が高校を卒業した1978年からの26年間でこの地方都市の人口は20%以上減ったもんな。寂しいね。

今回の帰省の最大のイベントは高校の同窓会出席だ。前身の旧制中学との合同同窓会。今年、平成16年は私の学年が当番の年で、同じく旧制中学の当番年の先輩方と運営準備にあたっている。1,000人近い卒業生と元の恩師達が集う予定であり、今や人口13万人の地方都市のバンケットプランとしては結構ビッグなイベントだよ。高校の同窓生でもある寛子ちゃんと私自身は九州を離れており何もお手伝いできていないのだが、郷里在住の同期の仲間が凄く頑張っているのを見聞きすると感謝の気持ちでいっぱいである。

さて、本題。私の故郷・福岡県大牟田市はかって三井三池炭鉱を擁する総合化学工業都市であり、大東亜戦争では1944年-1945年にかけて都合5~6回の空襲を経験している。特に、1945年6月の2次に渡る空襲は激烈で各々100機を越えるB29の大編隊によるものだった。この実質2晩の空襲によって誇張ではなく当時東洋最大規模で間違いなく東洋第一のレヴェルを誇った大牟田の工場施設、ならびに、三井の城下町たる大牟田市街は文字通り灰燼に帰した。大牟田が被ったと同様の被害は、しかし、室蘭も木更津も呉も被っているし、東京・大阪は言うまでもなかろう。否、現在の京浜・京葉・中京・阪神の各メトロポリスエリアはほとんど例外なくB17やB29の大編隊による空襲を数次に渡り被った。況や、廣島・長崎においておや。ふみゅー。私は何が言いたいのか? 

大牟田も長崎も広島も東京もB29によって壊滅的な破壊を受けた。が、しかし、その後15年足らずで復興したし、それよりも早く終戦後10年以内にはコミュニティーとして再生を果たしたということ。然るに、石炭から石油にシフトするエネルギー政策の転換や京浜・京葉・中京・阪神エリアへの産業の集中、はたまた、経済活動の東京一極集中という社会的変革の前には、我が郷里大牟田を含む地方の産業やコミュニティーは成すすべもなく解体させられている。否、それは地方だけの傾向ではない。断じてそうではない。実際、東京の神田や深川を想起してみなさいって。あるいは、神楽坂を歩いてみられたら解ると思いますよ。

B29が焼き尽くした神田も深川も、GHQによる占領が終わるか終わらないうちにほどなく、<江戸っ子の末裔>や<辰巳芸者の子孫達>が戦地や疎開先から戻ってきてコミュニティーは再建され復活した。しかし、神田も深川も、そして、山の手線内でほとんど唯一B29による戦災を逃れた神楽坂もバブル期に地上げを被りそのコミュニティーは解体させられたのだ。畢竟、経済のグローバル化の進行はB29よりも猛し、である。

 


>竹槍でB29は落とせない?
>そうでもなかったの、鴨。

B29の空襲は「こちら側がボコボコにやられたワンサイドゲーム」では必ずしもなく、そう、例えば、主な出撃基地のマリアナの部隊では27000ソーテイ(機体×出撃の数)に対して400機を失っています。特に、日本本土を攻撃した米陸軍第20空軍は、B-29、485機を失っています。而して、1945年8月15日までに延べ33000機(ソーテイ)のB29が約380の爆撃ミッションを行ったけれど、その間、512機のB29が失われ、乗員の戦死者は3000名弱(ちなみに、ブリテン島から爆撃に出撃したアメリカのB17とB24は、ドイツの降伏までに4100名の乗員を失っています。その距離、800キロ-1100キロ。東京から山口、長崎、熊本程度。がんばって、鹿児島?)。この生還率については撃墜されたものより帰路洋上に落下したものが多いとされている。

Never in the field of human conflict was so much owed
by so many to so few.

(人類の戦いの歴史において、今に至るまで、かくも大きな恩恵を、かくも多くの人々が、而して、かくも限られた少数の人々からほどこされたことはかってありませんでした。――違いますか? ならば、国王陛下の英国空軍に栄えあれ❗ by  W. Churchill )


蓋し、これはひとえに「竹やりでB29を落とす!」という人々のいる地域に向けて、かつ、長時間かけて往復する--読者のあなた、あのー、今でも、乗客としてもですよ「グアム-成田」往復は辛くないですか?--プレッシャーがB29の乗員に課した疲労のためと私は考ています。つまり、マクロ的には「竹やりでB29を落とす!」は効果がなかったわけではないということ。

 


経済のグローバル化はGHQよりも猛し、産業構造の転換は核兵器よりも猛し、バブルはB29よりも猛し。而して、国際的な経済競争は戦争よりも猛し、即ち、平和は戦争より猛しである。これらの経緯を直視しない国際関係論や地方再生論は、畢竟、大東亜戦争後に跳梁跋扈し社会思想における言説についてはおよそ人類が考えつく限りのあらゆる<知的不誠実さの博覧会場>となった戦後民主主義の空想的平和論とその実効性と妥当性において大差ないであろう。蓋し、「バブルはB29よりも猛し」という命題からコミュニティー再生に関する方向性を導き出せるのではないか。即ち、

(1)コミュニティーは土地を基盤にする以上に、そこを<郷里>と感じる人々の心性に基盤を置いている

(2)コミュニティーは一時的にはそのコミュニティーメンバーの多くがその土地を離れたとしても持続可能ではあるものの、コミュニティーメンバーの多くが当該の土地において社会生活を伴わない状態の持続は早晩コミュニティーを解体させる

(3)何故ならば、コミュニティーの中核的の基盤たるコミュニティーメンバーの心性がコミュニティーから離脱するから

(4)ならば、コミュニティー再生の鍵はコミュニティーの基盤たる土地を何らかの媒体にした<社会生活>を如何に実現するかという1点にかかっている


バブル期の地上げで多くの<江戸っ子の末裔>は神田を離れ吉祥寺や三鷹あるいは世田谷や杉並に移った。神田地区に残った恵まれた<江戸っ子の末裔>達は、自家の地所に5階建てなり10階建てのビルを建てそのペントハウスを住まいとされた。しかし、大地=ガイアとの交流を絶った人々によるコミュニティー再生は至難を極めている。春皐月の頃、年に一度の神田明神の祭りに集うだけの<江戸っ子の末裔>は最早江戸っ子の<末裔>にしか過ぎず、神田のコミュニティーメンバーではなくなるしかないだろう。失礼なもの言いに聞こえるとすれば私の本意ではないが、私は離島避難が数年に及んだ三宅島の人々が今後三宅島でコミュニティーを復活させるには大変な困難を乗り越えなければならないだろうと思っている。

ならば尚更、今回の帰省で私が楽しみにしている所の同窓会。そう、年に一度の出身高校の同窓会というイベント程度では解体しつつある地方都市のコミュニティー再生は難しいだろう。おそらく、コミュニティー再生をその達成すべき目標とした場合、そのようなイベントは、正に、蟷螂の斧であり非現実的な処方箋に過ぎないに違いない。うんにゃ、そんなことは誰もが解っている。少なくとも感じている。では、どうするか? 

・母校の福岡県立三池高校は少しだけど素敵に変わっていた
 http://blog.goo.ne.jp/kabu2kaiba/e/71f6ffa23e71684dd4624991f3ae3fcb

・福岡県大牟田市:松屋デパート「洋風かつ丼」復活が孕む思想的意味

 https://blog.goo.ne.jp/kabu2kaiba/e/9ffb70a94181ada4d3527ae2bc548d25

・地方再生と日本再生を郷里・大牟田で思う  

 https://ameblo.jp/kabu2kaiba/entry-11148540450.html

地方都市のコミュニティー再生をどうするか? コミュニティーが日本人である自分の自己同一性の契機でもあるとする考えが満更論理の飛躍でないとするならば、では、日本社会の再構築はいかにして推進されうるか? 蓋し、それは、経済活動を含んだ社会関係の再構築以外にはないのだと思う。畢竟、コミュニティーとは本来そのようなものなのだろうから。而して、経済活動を含む社会関係に担保された(悔しいけれど百歩も千歩も譲ってバーチャルな交流でもいいから。)、そのコミュニティーを<郷里>と感じる人々を拡大させることがコミュニティー再生の唯一実現可能な方途であると私は考える。本稿の結論は陳腐で具体案も皆無。また、コミュニティー再生のスケジュールもマイルストーンも欠如しており、羊頭狗肉ではないにしても、正に、泰山雷同&竜頭蛇尾。忸怩たる思いはあるが、それは、ぐっと呑込んで本稿はここまで。


omutashutterdori



●オロモルフ様のコメント(1)「Re:B29とバブルと地方の再生」

本筋を離れたレスですが・・・。
オロモルフの先祖は家康さんについて江戸入りした旗本で、東京の原宿で生まれ育って長く暮らしましたから、日頃痛感していたことをよくぞ言ってくださった、と思います。
現在、原宿の同じ小学校の同級生で原宿に残っているのは、お寺さんの息子一人だけです。バブルの前から開発がさかんでどんどんいなくなりましたが、バブルが最後のダメージでした。我が家は最後まで頑張っている方でしたが、バブル崩壊で相続税が払えず、ついに地方から来たヤリ手の人たちの手に土地も建物も渡ってしまいました。(全部売っても相続税が払えず、首つり寸前でした!)

だから、東京人は冷たい――という地方から来た人の非難を聞くたびに、むしょうに腹が立ちます。オロモルフの知っている東京人は、みんな追われてしまったのに!

(原宿は五月の空襲で全焼。疎開しなかった祖父は千駄ヶ谷まで逃げましたが、翌日逃げた場所にまた爆弾を落とされてついに焼死)

振り返ってみますと、戦前の雰囲気が色濃く残っていたのは、オリンピックの前まででした。


●KABUのレス「喧騒もやがて哀しき神田祭り」

>オロモルフさま
レス有難うございます。ご自身のお話をうかがい、皆様にお伝えしたかったことが伝わっているんだと感じました。小さくはあるがくっきりとした満足感。私が「B29とバブルと地方の再生」で論じたモティーフを掴んだのは、もちろん、その前提には郷里大牟田の衰微があるものの、このモティーフの直接の源泉は神田で足掛け8年間働いているころ神田のお祭に連年参加させていただいた経験に発しています。

1980年代末、本来の町内住民だけではなく昼間町内のオフィスで働いている<よそ者=田舎者>にもお神輿を担いでもらおう。そういう神田祭り復興/再活性化の流れの中で私も参加させていただいた。そこで感じた。そこで聞いた。神田のお祭りがいかにして空洞化してきたか、「本来の町内住民」がどれほど今町内に住んでいてお祭りにどんなかかわり方しかできないのかを(誰だって、本来の町内住民だけで神田明神に向け宮出し宮入ができるなら、よそ者=田舎者には頼まない!)。お祭りの当日、都営新宿線でJRで、浅草で東武鉄道とリンクしている営団銀座線で、どれくらい多くの、「本来の町内住民」とその孫やひ孫達がその母親や祖母に手を引かれ都下地域や埼玉エリアから駆けつけてこられたか、そして、その父親達や祖父達の多くが仕事や私事でお祭りに参加できない状態であるかを見て聞きました。

神田の現実は神田だけの現実にあらず、深川富岡八幡でも新橋烏森でも浅草三社でも新宿若松町でも、吉祥寺でも三鷹でも新小岩でも状況は大同小異。而して、この東京のコミュニティーの現状を見ると同じ視点で郷里大牟田のコミュニティーの現状を考えた。それが、畢竟、バブルはB29よりも猛し、の舞台裏です。今後とも宜しくお願いいたします。 


●オロモルフ様のコメント(2)「ああ15年!」

原宿の表参道は、戦前のオロモルフの遊び場で、トンボを追いかけていた場所ですが、数年前に用事があって行ったとき、ある店のご主人が、「私は昔からここに住んでいる」と話してくれたので、戦前からだろうと思ってすっかり嬉しくなり、「いつごろから?」と聞きましたら、胸をはって、「15年も前からだ」と答えたので、がっくり!


(2007年9月17日:yahoo版にアップロード)

 

 

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