英語と書評 de 海馬之玄関

KABU家のブログです
*コメントレスは当分ブログ友以外
原則免除にさせてください。

民主党の狂気と純情☆鳩山New York Times寄稿論稿紹介(壱)

2009年08月29日 07時35分43秒 | 日々感じたこととか

      【神奈川9区:中山展宏】



鳩山由紀夫民主党代表が” the monthly Japanese journal Voice”の9月号に寄せられた論稿の要約版がNew York Timesに掲載されました。これは、鳩山氏の「政治哲学ー経済哲学」、そして、鳩山氏の考える今後の日本が取るべき国際政治におけるスタンスにつきそのエッセンスを吐露したもの。私は、この記事”A New Path for Japan”「日本の進む新しい道」(August 26, 2009)を一読して、その尋常ならざる危険性に戦慄さえ覚えた(原文は下記URL参照)。

・A New Path for Japan (By YUKIO HATOYAMA)
 http://www.nytimes.com/2009/08/27/opinion/27iht-edhatoyama.html

蓋し、鳩山論稿には「支那とアメリカとの間のバランサーを目指す」と公言して国を機能不全に陥らしめた韓国の盧武鉉前大統領並みの国際関係の無知。世界金融危機が資本主義の更なる強化拡大深化に向けての一段階であることを理解せず、資本主義がその思想的・制度的限界に逢着したと看做す、(マルクスの「科学的社会主義」の地平さえ踏み外す、所謂「空想的社会主義」の潮流にその座を占める)日本のプロ市民並みの蒙昧。そして、地球環境の問題や所謂「格差」の問題の解決、更には、あろうことか、地域コミュニティの再生さえも国家権力の運用によって解決可能と考える、(人類史上、社会主義の頭目として誰しも想起するヒトラーやスターリンやルーズベルトをも赤面させるほどの)憲法9条教や憲法無効論の信徒並みの憲法や国家権力に対する万能感が綴られている。そう私には理解されました。

畢竟、鳩山論稿は、国家権力を槓桿とすることによって自由・平等・友愛の実現を期す、ロベスピエール並みの権力主義の顕現であり、それは、「リベラルの純情を被った狂気の権力論」と呼ぶべきものである。他方、鳩山論稿は「同盟国アメリカを裏切り、反日大国にして世界最大の「人権抑圧国家―環境破壊国家-侵略国家」たる支那に日本を従属させる方途」を明確に提唱したものに他ならない。而して、鳩山氏の純情なる「政治哲学―経済哲学―国際政治認識」が民主党の多数意見であるかどうかに関しては些か議論の余地があるとしても、(明日、2009年8月30日の総選挙の結果如何に関わらず)鳩山氏の狂気が日本の今後の政治に少なくない影響を与えることは確実でしょう。

ならば、我々保守改革派はこの鳩山論稿の危険性と狂気を睨み、一層、保守主義の真髄と政策を拳拳服膺すべきである。①アメリカとの同盟関係を基軸として、特定アジア、就中、支那とは「政凍経冷」の<不愉快な平和的共存>を志向する、②経済においては厳格な競争のルールとセーフティネットの恒常的整備を前提に、資本主義的な自由競争と自己責任の原則の貫徹を好ましいと考える、而して、③愛国心教育と地域コミュニティの再生を基盤とする、すなわち、日本の文化・伝統・歴史を自己のアイデンティティの核心とする日本人(および、そのような日本人の価値観と行動規範がこの国のスタンダードであることを了解する外国人たる日本市民)を主体とする、国家権力の権力作用ではなく伝統と慣習に従い国家社会の統合と社会秩序の維持を好ましいと考える我々保守改革派にとって鳩山民主党は批判・殲滅の対象でしかありえない。そう私は考えます。これが<8・30>まであと一日の今、本稿をアップロードする所以です。

ことほど左様に、鳩山民主党の政策や理念は荒唐無稽であり危険である。けれども、私は()有権者が愚かだから民主党が優勢である、()反日メディアの偏向報道のゆえに民主党が優勢であるとは考えません。もちろん、()の「反日メディアの偏向報道」は凄まじいものがる。けれども、私はそれが現下の情勢の原因とは考えない。なぜならば、「反日メディアの偏向報道」などは今に始まったことではないのですから。

蓋し、現下の自民党の苦境の所以は「長年の国民の不満に対するケアが不足していたことにあり、それが麻生政権に「ツケ」として回ってきた」ものと考えます。そして、所謂「格差社会論」(例えば、橘木俊詔)が実証データ的に批判に耐えられない水準の「オモイツキ」にすぎなかったこと、まして、「希望格差社会論」や「不平等社会論」(例えば、山田昌弘・佐藤俊樹)なるものが実証データからは全く成り立たない憲法無効論並みの「戯言」であったことは、前者に関しては大竹文雄『日本の不平等』(日本経済新聞社・2005年5月)が指摘しており、後者に関しては、その唱道者の佐藤俊樹氏ご自身も認めている現在、白黒はっきり言えば、「長年の国民の不満」とは政策を巡るものではなく政治のやり方に関するものであることも確実ではないかと私は考えています。だからこそ、党内の政策の一致度合を見れば「政党の呈をなしていない民主党」に対する不安よりも、鳩山(弟)氏の日本郵政を巡るエキセントリックな言動や総裁選挙前倒しのために議員総会開催を要求した麻生降ろしの動きに具現した「組織の呈をなしていない自民党」に対する有権者・国民の不満が炸裂したのだとも。

いずれにせよ、一昨年の<7・29>の参議院選挙の惨敗と今回の<8・30>総選挙によって、完全に「55年体制」そして「40年体制」には幕が下ろされるのでしょう。政策を度外視して行なわれたこれらの選挙の後には、政策とイデオロギーを巡る<戦い>が4年後の衆参同時選挙まで続くのかも。この事態は日本にとっては不幸ですが、保守の二大政党制を求める保守改革派としてはそれはまたやりがいのある事態でもある。要は、望む所だ。

尚、私の考える保守改革派の「政治哲学ー経済哲学」、および、特定アジア、就中、支那理解に関しては下記拙稿をご参照いただければ嬉しいです。ナポレオン曰く、「戦いの帰趨は最後の5分間で決まる」。而して、今からでも一人でも多くの保守改革派の同志を当選させるべく微力を尽すのみ。

而して、

б(≧◇≦)ノ ・・・頑張れ日本!
б(≧◇≦)ノ ・・・麻生総理断乎支持! 
б(≧◇≦)ノ ・・・保守改革派は団結せよ!
б(≧◇≦)ノ ・・・頑張りましょう。
б(≧◇≦)ノ ・・・共に闘わん!



【参考記事】

・保守主義-保守主義の憲法観
  http://ameblo.jp/kabu2kaiba/entry-11144611678.html

・保守主義の再定義(上)~(下)
  http://ameblo.jp/kabu2kaiba/entry-11145893374.html

・戦後民主主義的国家論の打破
  ☆国民国家と民族国家の二項対立的図式を嗤う(上)~(下)
  http://blogs.yahoo.co.jp/kabu2kaiba/65344522.html

 

・民主主義とはなんじゃらほい
 http://blogs.yahoo.co.jp/kabu2kaiba/65344550.html

・民主主義--「民主主義」の顕教的意味
 http://blogs.yahoo.co.jp/kabu2kaiba/65226712.html 

・民主主義--「民主主義」の密教的意味
 http://blogs.yahoo.co.jp/kabu2kaiba/65226739.html


・人権と民主主義は国境を越えるか(上)(下)
 http://kabu2kaiba.blog119.fc2.com/blog-entry-393.html

・憲法とは何か? 古事記と藤原京と憲法 (上)~(下)
 http://blogs.yahoo.co.jp/kabu2kaiba/65231299.html

・憲法無効論の破綻とその政治的な利用価値(上)~(下)
 http://ameblo.jp/kabu2kaiba/entry-11396110559.html

・<中国>という現象☆中華主義とナショナリズム(上)(下)
  http://ameblo.jp/kabu2kaiba/entry-11153763008.html

 
・アメリカ経済の再生-オバマは小泉純一郎になれるか(上)~(下)
 http://blog.goo.ne.jp/kabu2kaiba/e/49f774795d29bed3de49416228c523be

・<格差社会>を乗り越えずして成長なし☆格差拡大は小泉政権の失政に非ず
 http://blog.goo.ne.jp/kabu2kaiba/e/5cc04193a0873f15cdf2a975eaabcea9

・書評☆吉川徹「学歴分断社会」
 http://blogs.yahoo.co.jp/kabu2kaiba/65244869.html

・読まずにすませたい保守派のための<マルクス>要点便覧
  -あるいは、マルクスの可能性の残余(1)~(8)
 http://ameblo.jp/kabu2kaiba/entry-11139986000.html




In the post-Cold War period, Japan has been continually buffeted by the winds of market fundamentalism in a U.S.-led movement that is more usually called globalization. In the fundamentalist pursuit of capitalism people are treated not as an end but as a means. Consequently, human dignity is lost.

How can we put an end to unrestrained market fundamentalism and financial capitalism, that are void of morals or moderation, in order to protect the finances and livelihoods of our citizens? That is the issue we are now facing.

In these times, we must return to the idea of fraternity — as in the French slogan “liberté, égalité, fraternité” — as a force for moderating the danger inherent within freedom.

Fraternity as I mean it can be described as a principle that aims to adjust to the excesses of the current globalized brand of capitalism and accommodate the local economic practices that have been fostered through our traditions.


冷戦構造の終結以降、日本は恒常的に、アメリカを発信地とする市場原理主義の動向、あるいは、一般的にはグローバリズムと呼ばれる動向に揺さぶられてきました。資本主義の貫徹を求める市場原理主義の遂行の中で、人々は目的ではなく手段として取り扱われることになり、而して、人間の尊厳が失われました。 

ならば、いかにすれば、謂わば放し飼い状態の市場原理主義と金融資本主義を我々は終らせることができるのか、道徳と節度ある慎みを放逐したそれら市場原理主義と金融資本主義から金融制度と市民の生計を守るためにそれらをいかにすれば終らせることができるのか。これが現在、我々が直面している課題であろうと思います。

畢竟、今こそ我々は友愛の理念に立ち戻るべきときではないのか。自由に不可避的に内在する危険性を緩和する力としての、而して、フランスの思潮の中で語られた標語、「自由・平等・友愛」の中にその位置を占める友愛の理念に立ち戻るべきときではないのでしょうか。

私が申し上げている友愛とは グローバル化した現下の資本主義の行き過ぎを是正するための、そして、我々の伝統を通して育まれた地方の経済活動を【国や世界の経済活動と】適合可能にするための原理と言ってもよいと思います。

<続く>






☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★
かなり真面目にブログランキングに挑戦中です。
よろしければ下記(↓)のボタンのクリックをお願いします。 

ブログランキング・にほんブログ村へ 海外ニュース部門エントリー中です♪

☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★



最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。