英語と書評 de 海馬之玄関

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民主党の狂気と純情☆鳩山New York Times寄稿論稿紹介(弐)

2009年08月29日 12時02分13秒 | 日々感じたこととか


Fraternity as I mean it can be described as a principle that aims to adjust to the excesses of the current globalized brand of capitalism and accommodate the local economic practices that have been fostered through our traditions.

The recent economic crisis resulted from a way of thinking based on the idea that American-style free-market economics represents a universal and ideal economic order, and that all countries should modify the traditions and regulations governing their economies in line with global (or rather American) standards.

In Japan, opinion was divided on how far the trend toward globalization should go. Some advocated the active embrace of globalism and leaving everything up to the dictates of the market. Others favored a more reticent approach, believing that efforts should be made to expand the social safety net and protect our traditional economic activities. Since the administration of Prime Minister Junichiro Koizumi (2001-2006), the Liberal Democratic Party has stressed the former, while we in the Democratic Party of Japan have tended toward the latter position.


私が申し上げている友愛とは グローバル化した現下の資本主義の行き過ぎを是正するための、そして、我々の伝統を通して育まれた地方の経済活動を【国や世界の経済活動と】適合可能にするための原理と言ってもよいと思います。

最近の経済危機は、アメリカ流の自由市場経済こそ普遍的で理想的な経済秩序を体現したものであり、而して、すべての国はその経済活動を制御している伝統や規制をグローバルなスタンダード(あるいは、アメリカ流のスタンダード)と整合的な形態に修正しなければならないという主張に起因するものなのです。

日本においては、グローバリゼーションに向かう趨勢をいかなる範囲と程度受け入れるべきかという点で意見は分かれていました。グローバリズムを熱烈に信奉して、あらゆる事柄を市場の意向に任せるべきだと主張する一群の人々がいた。他方、その傍らには、社会のセーフティネットの拡充の努力と我々の伝統的な経済活動を保護する努力がなされるべきだと考え、グローバリズムの受容に関してはより控えめな立場を好ましいとする人々もいました。小泉純一郎首相の政権(2001年-2006年)以来、自民党は前者の立場に軸足を置いてきたのであり、而して、我々民主党に集う者は後者の立場を取ってきたと言えると思います。


The economic order in any country is built up over long years and reflects the influence of traditions, habits and national lifestyles. But globalism has progressed without any regard for non-economic values, or for environmental issues or problems of resource restriction.

If we look back on the changes in Japanese society since the end of the Cold War, I believe it is no exaggeration to say that the global economy has damaged traditional economic activities and destroyed local communities.


どのような国でもその経済秩序は長い歳月の中で形成されてきたものであり、而して、経済の秩序には伝統や習慣、あるいは、その国特有のライフスタイルが流れ込んでおり反映している。しかし、グローバリズムは、経済的に量ることの難しい価値、あるいは、環境を巡る事象や資源制約の問題などを一顧だすることもなく拡大強化されてきています。

冷戦終結以降の日本社会における変化を振り返るとき、グローバル経済が伝統的な経済の活動にダメージを与え、地方のコミュニティを破壊してしまったといっても過言ではないのではないか、とそう私は信じるのであります。


In terms of market theory, people are simply personnel expenses. But in the real world people support the fabric of the local community and are the physical embodiment of its lifestyle, traditions and culture. An individual gains respect as a person by acquiring a job and a role within the local community and being able to maintain his family’s livelihood.

Under the principle of fraternity, we would not implement policies that leave areas relating to human lives and safety — such as agriculture, the environment and medicine — to the mercy of globalism.

Our responsibility as politicians is to refocus our attention on those non-economic values that have been thrown aside by the march of globalism. We must work on policies that regenerate the ties that bring people together, that take greater account of nature and the environment, that rebuild welfare and medical systems, that provide better education and child-rearing support, and that address wealth disparities.


市場を中心に据える経済理論の観点からは、人々は単に人にかかわる費用項目にすぎません。しかし、現実の生きられてある生活世界において、人々は地方のコミュニティの骨格を支え、そのようなコミュニティに固有のライフスタイル、伝統や文化をその身体において体現している存在なのであります。諸個人は、地方のコミュニティの内において職と社会的な役割を得ることによって、そして、彼等の家族の生計を維持することによって、一個の人間として尊敬を勝ち取る存在なのです。

友愛の原理の下では、農業、あるいは、環境や医療といった人間の生命や安全に関わる領域をグローバリズムの裁量に任せるような政策はけして行うことはないはずです。

政治家としての我々の責任は、グローバリズムの進軍によって脇に追いやられてしまったこれらの経済の観点からは量れない価値に対して再度我々の関心を向けることでありましょう。人々の結びつきを再生する政策、自然と環境により大きな価値を認める政策、福祉と医療のシステムを再構築する政策、よりよい教育と子育支援を提供する政策、そして、富の不均衡の是正に立ちむかう政策。これらの政策に我々は継続的に取り組んでいかなければならない。と、そう私は考えています。


Another national goal that emerges from the concept of fraternity is the creation of an East Asian community. Of course, the Japan-U.S. security pact will continue to be the cornerstone of Japanese diplomatic policy.

But at the same time, we must not forget our identity as a nation located in Asia. I believe that the East Asian region, which is showing increasing vitality, must be recognized as Japan’s basic sphere of being. So we must continue to build frameworks for stable economic cooperation and security across the region.


友愛の概念から導き出されるもう一つの国家的な目的は、東アジア共同体の創建です。もちろん、日米安全保障体制は日本外交の基底であり続けることは間違いないでしょう。

しかし、同時に、我々は、アジアの国民国家たる自らのアイデンティティを忘れるべきではない。蓋し、その活力を益々増大させつつある東アジア地域こそ日本が第一次的に存在している地域であることを我々は認識すべきなのである。と、そう私は考えるのです。而して、我々はこの地域における経済の安定的な協調と安全保障の枠組みを構築する努力を継続しなければならないのです。


<続く>



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