英語と書評 de 海馬之玄関

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野中元幹事長の麻生太郎幹事長批判

2007年09月22日 12時55分39秒 | 日々感じたこととか

自民党総裁選を巡り、政界を引退したはずの<ご隠居>が豪快な「オウンゴール」を決めてくださった。元自民党幹事長の野中広務氏による麻生太郎幹事長批判のことです。サッカーに喩えれば、自民党総裁選で麻生幹事長と一騎打ちを演じている福田康夫元官房長官の陣営では、後半もあと15分を切り5対1で勝っているというのにやらずもがなの嫌な1点を相手に与えてしまったというところでしょう。

それにしても、政界引退から久しく勘が鈍られたためか、野中翁ご自身、「発言者・野中広務」という記号がどんな効果を世間に及ぼすのかを慮ることができなかったのでしょうか。以下、麻生ローゼン閣下に対する野中批判を伝える報道の引用。

●麻生氏の総裁選出馬を批判=野中元自民党幹事長
野中広務元自民党幹事長は21日のTBS番組の収録で、麻生太郎幹事長が自民党総裁選に立候補したことについて「(安倍晋三首相の辞意を)知りながら3
日間も隠し、自分が首相になろうとクーデターみたいなことを考えるのは政治家として絶対に許せない」と批判した。

また、野中氏は麻生氏に関し「平等社会なんて言っているが、3段ぐらい上から下を見下ろすような、言葉に責任を持てない男だ」と酷評。「幹事長として(首相退陣の)責任を感じてもらわなければならない」と述べた。

一方、野中氏は、自身が所属していた津島派の現状に関しても「自分だけがプリンスだと思っている額賀福志郎財務相が立候補し(ようとしたが)、恐らく足元で20人(の推薦人)も集まらないから、誰かに顔を立ててもらって名誉ある撤退をしたんだろう」と語った。(時事通信社:9月21日 21:01配信)


 
「幹事長として(首相退陣の)責任を感じてもらわなければならない」とは、野中翁の愛弟子・古賀誠自民党元幹事長の9月13日の発言、「麻生太郎幹事長は安倍政権に対する政治責任がある」と一糸乱れぬシンクロ振りですが、しかし、麻生幹事長が負うべき「責任」とは一体どんな内容で、それはどんな根拠から言えることなのでしょうか。まさか、ある政権が総辞職した場合には現政権の要職にある者は次の総理総裁を目指すべきではないとでも。そんなことはないでしょう。

そりゃー、財務大臣として消費税アップを牽引したが国民の支持を得られず、増税は頓挫、あわせて内閣も総辞職というケースや、幹事長として選挙を仕切りながら大敗を喫し、もって、内閣も総辞職するというケースならば、その財務大臣や幹事長がおめおめと次の総理総裁に手を挙げるというのは顰蹙もの。けれど、健康上の理由で総理総裁が「突然の辞任→内閣総辞職」する今回の場合、まして、その内閣が推進してきた北朝鮮強行路線と「戦後レジュームからの脱却」という方針になんら修正を加える必要はないと考える政権中枢の人物が、退陣する総理総裁の掲げた「改革の松明」を受け継ぐべく、次の総理総裁に名乗りを上げることは「責任感の欠如」ではなく、むしろ、彼や彼女の「強烈な責任感」を示すものだ。論理的に考えればそうならざるをえないと思います。


綺麗ごとは抜きにして、野中広務元幹事長の麻生太郎幹事長批判が出されたのは自民党総裁選を巡ってのこと。而して、自民党の総裁選は言うまでもなく(公職選挙法の適用を受けないことでも明らかなように)、一般の国民はその有権者ではない。ならば、野中広務元幹事長や古賀誠元幹事長の発言がどんなに論理的におかしかろうとも、それらの発言が(その発言が法令に違反しない限り)総裁選で彼等が支持する「福田康夫候補」に有利になるなら、彼等にとっては何を言おうが彼等の勝手ではありましょう。

けれども、野中翁の麻生太郎幹事長批判はやはりおかしい。「平等社会なんて言っているが、3段ぐらい上から下を見下ろすような、言葉に責任を持てない男だ」との酷評に関しては野中氏の主観の問題なので置いておき、また、「幹事長として首相退陣の責任を感じて総裁選への立候補は控えるべきだった」という主張が根拠薄弱なことはすでに言及しましたが、けれども、下記の二つの理由によって私は野中翁の発言は「可笑しく美味しい」ものだと思います。

(甲)麻生幹事長がクーデターを企てたとする根拠がない
(乙)「野中広務」が麻生氏を批判したという情報はそれだけで「麻生太郎」に有利に働く


なお、前者の(甲)「麻生幹事長がクーデターを企てたとする根拠がない」に関しては、次の拙稿をご一読いただければ嬉しいです。以下、後者(乙)「「野中広務」が麻生氏を批判したという情報はそれだけで「麻生太郎」に有利に働く」と私が考える理由を述べ、もって、今次の野中翁の麻生太郎幹事長批判が、福田康夫元官房長官陣営の「オウンゴール」であり、我々、麻生ローゼン閣下支持者にとっては「美味しい」発言である理由を説明したいと思います。

・安倍首相退陣を巡る「クーデター説」と「麻生路線への怒り説」
 http://blog.goo.ne.jp/kabu2kaiba/e/2bdb3167c5957025b234eb6ecfe13ad9

・首相の退陣表明の意味するもの☆国民は安倍さんに見捨てられた   
 http://blogs.yahoo.co.jp/kabu2kaiba/49500701.html



●「KY」(空気を読めよ)野中広務元幹事長!
冒頭にも書きましたように、私は麻生ローゼン閣下を支持する者として、実は、この「麻生氏の総裁選出馬を批判=野中元自民党幹事長」のニュースを歓迎しました。正に、美味しい発言です。その理由は簡単明瞭。

「野中氏が麻生氏を批判しているのなら、麻生氏の言い分が正しいに違いない。そして、野中氏がそこまで言うのなら、福田氏を選ぶことは北朝鮮や支那を喜ばせるだけで日本の国益を損なうことになるのだろうし、福田康夫候補と麻生太郎候補とでは麻生氏の方が日本にとってよい選択に違いない」
と、このニュースに接した多くの国民と過半の自民党議員が感じたであろうからです。

記号論のジャーゴンを比喩に使わせていただければ、野中氏の麻生批判の言説は、その表向きの意味は「麻生ではなく福田を総理総裁に選ぶべきだ」というものでしょうが、その言説が日本国や永田町というコンテクストで帯びる裏の意味は「福田ではなく麻生を総理総裁に選ぶべきだ」というものになる。表向きの明示的な意味であるディノテーションと言外に託された暗示的な意味としてのコノテーションの落差がここに炸裂している。そういうことです。

誰だって、動物学やバードウォッチングの話をしている時に「ハト」や「タカ」という言葉がでれば、それは、特定の動物としての鳩や鷹のことをイメージするでしょう。けれども、憲法9条や国際政治の話題で盛り上がっている際に「ハト」や「タカ」という言葉が出れば、それは「対外協調路線」と「対外強硬路線」の政策の違いや、各々の政策を主張する論者やグループのことをイメージするに違いありません。ことほど左様に、ある言葉はそれが語られるコンテクストに従い多様な意味を重層的に持っているのです。同様に、ここでは「野中広務」という記号がディノテーションとコノテーションの落差を引き起こすと私は考えるのです。

而して、「前向きに善処します」「総合的に判断して皆様の納得のいく解決をはかるべく鋭意努力いたします」等々。通常、政治家や(日本の)官僚はこのディノテーションとコノテーションを使い分けることがその仕事の本質と言っていいくらいだと思いますが(泣笑)、勘が鈍ったためか野中翁は、ご自分の口から出る言説が日本社会や自民党国会議員のコミュニティーでいかなるコノテーションを帯びるのかに対する配慮を怠ったのではないでしょうか。


蓋し、平成の大宰相・小泉純一郎前首相の就任以来、足掛け6年半、その間、参議院選挙が3回、衆議院選挙が2回。この5回の選挙で勝ちあがった自民党議員は、一応、「野中広務」に代表される旧田中-竹下派に対する批判を述べて選挙戦を勝ち上がってきたのです。また、野中翁ご自身の戦争体験に基づくとされている護憲論の是非は置いておくとしても、(まず、人道支援ありき、まず、国交回復交渉ありきとしか受け取ることが難しい、)日本の主権と国益をないがしろにするものとしか思えない野中元幹事長の対北朝鮮政策を忘れるほど日本国民は記憶力が弱いわけではない思います。

これは、推測ですが、おそらく福田候補は当初の予想よりも麻生候補との差を広げられておらず、その焦りからこのような自殺点ものの発言を野中氏はされたのかもしれない。あるいは、総裁選後の自陣(=古賀誠一派)に対してより満足のいく論功行賞にありつくのために、自身の発言のコノテーションが些か福田候補が不利に働くことを承知の上で、自分と自陣の存在をアピールしたものか、あるいは、その両方がこの「美味しい野中自民党元幹事長による麻生幹事長批判」が出された背景ではないかと私は推察しています。


いずれにせよ、野中翁ご本人は「野中広務」というキャラクターや記号がどんだけ国民に不人気なのかわかっていないらしい。それは、多くの女性から「生理的に受け付けない」と言われる山崎拓氏、同様に、多くの男性から「生理的に受け付けない」と言われる国賊・加藤紘一氏と同じかそれ以上に、あくまでもマクロ的にですが、野中氏は嫌われている。ゆえに、野中翁が「白」と言えば「黒」、「黒」と言えば「白」と国民も自民党国会議員の過半も感じていると私は思っています。

つまり、野中氏が福田候補を支援すればするほと福田票は目減りし麻生票が上積みされる。これ、正直、国会議員票で100票は越えるかもしれないが150票は難しいというのが現状の麻生太郎幹事長を<勝手にブログで応援団>の我々保守改革派ブロガーにとっては干天の慈雨。また、それは世論調査の動向に影響を及ぼすでしょう。そして、今次の総裁選で麻生ローゼン閣下が残念ながら敗れたとしても、福田サイドも民主党サイドも無視できない結果を麻生氏が残せればそれは総裁選後の麻生氏の影響力を嫌が上でも高めるに決まっているから、野中元幹事長の「オウンゴール」は一粒で何度でも美味しいグリコのキャラメルよりも美味しい麻生タロサーへのプレゼントだった。蓋し、野中翁の麻生批判派はこの総裁選の帰趨にかかわらず大変ありがたいコノテーションの援護射撃だったと思います。



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