自民党総裁選が終った。我らが麻生太郎幹事長の想像を絶する大健闘でした。
結果の確認。
候補氏名:国会議員票:地方票 :合計
福田康夫:(254):(76):(330)
麻生太郎:(132):(65):(197)
国会議員票が132だぁー? あのー、麻生派は16人なんですけど。
これがどんだけ凄いことかは旧稿を参照いただきたい。
・自民党総裁選☆麻生太郎幹事長応援マニュアル(9月18日)
http://blogs.yahoo.co.jp/kabu2kaiba/49569897.html
要は、さっき、我らが麻生タロサー閣下が獲得した票数は、5日前の私の予想より35票。昨日の夕刻段階で、福田候補サイドの町村派選挙対策本部が漏らした予想(=最低60票、最大100票)の最大値より32票多かったのです。これがいかに凄い結果か。これが凄いのは、私の97という数字、そして、おそらく町村派選対本部の100という数字には、誰もが予想したであろう。
(イ)伊吹派の親・島村宜伸元農水相+中川昭一前政調会長の議員
(ロ)津島派の親・久間章生元防衛相の議員
(ハ)古賀派の嫌・古賀誠元幹事長+親・丹羽雄哉前総務会長の議員
(ニ)郵政造反復党組みの議員
(ホ)北朝鮮との交渉は「対話と圧力」の両方を重視する議員
の約50名はすでに織り込み済みだったことです。
よく、「乾いた雑巾を絞る」という表現がありますが、これら以外にどこから、35票や32票が湧いて出てきたのか。あのー、35票と言えば、山崎派(38票)丸ごと一派閥と同じ規模なんですよ。今の段階では軽々に想像は書くべきではありませんが、山勘としては、次の3パターンのいずれか、もしくは、その「合併症」でしょう。麻生ローゼン閣下の支持者としては「嬉しい合併症」とうべきか。而して、その3パターンとは、
(甲)すべて麻生氏に投票の麻生派、すべて福田氏に投票の谷垣派、人数が少なくて「雑巾を絞りようがない」高村派と二階派を除き、無所属を含む6派から(町村・津島・古賀・山崎・伊吹・無派閥)から3-6人ずつ麻生タロサーに流れた
(乙)北朝鮮政策で、特に「対話と圧力」の両方を重視する議員でない安倍首相を支持した議員の中で(例えば、小泉チルドレンの中で)、麻生支持票が統計的な確率より高い頻度で生じた。
(丙)無記名投票ならではなの偶然。よく、クラスで「冗談で学級委員を投票したら、とんでもない結果になることもあるでしょう」それと同じです。
しかし、(丙)はまずないと思います。国会議員とはいえ馬鹿にしてはいけない。選挙の結果でご飯を食べているという点では彼等は全員、「選挙のプロ」なんですから、「俺の一票くらい「福田→麻生」になっても大勢に影響ないって」なんて考える議員はまずいないからです。(甲)と(乙)の違いは定義自体曖昧ですが、もう少し情報を収集した上で再度この「ローゼン閣下の大善戦」という結果を俎上に乗せてみたいと思います。
とにかく、麻生太郎幹事長の132票には凄い意味がある。
この、132票、否、197票は福田政権に対する充分な牽制になる。
よくやった、麻生ローゼン閣下!
偉いぞ、麻生タロサー閣下!
日本将棋連盟の米長邦夫会長は、<運をつかむための米長理論>を提唱しておられる。それは、「自分にとって消化試合でも相手にとって重要な対局のときは相手を全力で負かす」というもの。要は、今回は麻生ローゼン閣下は、総裁選への出馬を決めた段階で、
・「派閥の談合で新総裁が決まる自民党」とのラベルを世間から貼られるのを回避でき、(総裁が欠けた後、党 No.1の)幹事長としての責務を果たした
・次次期(最早、今日から次期)総裁の最右翼の地位を確保できた
ならば、麻生氏にはそう我武者羅に頑張っても(手抜きとは言わないが)スケジュールどおり坦々と戦っても結果は同じであった。けれども、まさかの国会議員票132。トータルで197票。これは我武者羅に、火事場の馬鹿力も発揮した結果としか考えられない。麻生太郎ローゼン閣下は、今日の総裁選で「運」もつかんだね。そう思いました。
保守改革派は、これから半年、あるいは、3年。その「戦後レジュームからの脱却」の歩みを停滞させることは間違いないでしょう。けれど、安倍晋三氏がいないから、麻生太郎氏が総理総裁になれなかったから保守改革派が停滞するなどの、<他力本願>自体が土台、甘いです。私はそう思います。
なーに、大東亜戦争終結後のこの社会で跳梁跋扈し猖獗を極めた戦後民主主義が支配した戦後の悪夢のような55年間(終戦から平成の大宰相・小泉純一郎元首相が就任するまでの、1945-2001の55年間)に比べれば福田政権など天国の2軒隣と同じですよ。そういうことで、活躍できないときの心の持ちようを教える名句を紹介。あの元女流名人との不倫騒動で勇名を馳せた将棋の中原誠永世名人の句。
風車 風が来るまで昼寝かな (中原 誠)
とにかく、麻生太郎幹事長、お疲れ様でした。
これからこそ、共に闘わん!!
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結果の確認。
候補氏名:国会議員票:地方票 :合計
福田康夫:(254):(76):(330)
麻生太郎:(132):(65):(197)
国会議員票が132だぁー? あのー、麻生派は16人なんですけど。
これがどんだけ凄いことかは旧稿を参照いただきたい。
・自民党総裁選☆麻生太郎幹事長応援マニュアル(9月18日)
http://blogs.yahoo.co.jp/kabu2kaiba/49569897.html
要は、さっき、我らが麻生タロサー閣下が獲得した票数は、5日前の私の予想より35票。昨日の夕刻段階で、福田候補サイドの町村派選挙対策本部が漏らした予想(=最低60票、最大100票)の最大値より32票多かったのです。これがいかに凄い結果か。これが凄いのは、私の97という数字、そして、おそらく町村派選対本部の100という数字には、誰もが予想したであろう。
(イ)伊吹派の親・島村宜伸元農水相+中川昭一前政調会長の議員
(ロ)津島派の親・久間章生元防衛相の議員
(ハ)古賀派の嫌・古賀誠元幹事長+親・丹羽雄哉前総務会長の議員
(ニ)郵政造反復党組みの議員
(ホ)北朝鮮との交渉は「対話と圧力」の両方を重視する議員
の約50名はすでに織り込み済みだったことです。
よく、「乾いた雑巾を絞る」という表現がありますが、これら以外にどこから、35票や32票が湧いて出てきたのか。あのー、35票と言えば、山崎派(38票)丸ごと一派閥と同じ規模なんですよ。今の段階では軽々に想像は書くべきではありませんが、山勘としては、次の3パターンのいずれか、もしくは、その「合併症」でしょう。麻生ローゼン閣下の支持者としては「嬉しい合併症」とうべきか。而して、その3パターンとは、
(甲)すべて麻生氏に投票の麻生派、すべて福田氏に投票の谷垣派、人数が少なくて「雑巾を絞りようがない」高村派と二階派を除き、無所属を含む6派から(町村・津島・古賀・山崎・伊吹・無派閥)から3-6人ずつ麻生タロサーに流れた
(乙)北朝鮮政策で、特に「対話と圧力」の両方を重視する議員でない安倍首相を支持した議員の中で(例えば、小泉チルドレンの中で)、麻生支持票が統計的な確率より高い頻度で生じた。
(丙)無記名投票ならではなの偶然。よく、クラスで「冗談で学級委員を投票したら、とんでもない結果になることもあるでしょう」それと同じです。
しかし、(丙)はまずないと思います。国会議員とはいえ馬鹿にしてはいけない。選挙の結果でご飯を食べているという点では彼等は全員、「選挙のプロ」なんですから、「俺の一票くらい「福田→麻生」になっても大勢に影響ないって」なんて考える議員はまずいないからです。(甲)と(乙)の違いは定義自体曖昧ですが、もう少し情報を収集した上で再度この「ローゼン閣下の大善戦」という結果を俎上に乗せてみたいと思います。
とにかく、麻生太郎幹事長の132票には凄い意味がある。
この、132票、否、197票は福田政権に対する充分な牽制になる。
よくやった、麻生ローゼン閣下!
偉いぞ、麻生タロサー閣下!
日本将棋連盟の米長邦夫会長は、<運をつかむための米長理論>を提唱しておられる。それは、「自分にとって消化試合でも相手にとって重要な対局のときは相手を全力で負かす」というもの。要は、今回は麻生ローゼン閣下は、総裁選への出馬を決めた段階で、
・「派閥の談合で新総裁が決まる自民党」とのラベルを世間から貼られるのを回避でき、(総裁が欠けた後、党 No.1の)幹事長としての責務を果たした
・次次期(最早、今日から次期)総裁の最右翼の地位を確保できた
ならば、麻生氏にはそう我武者羅に頑張っても(手抜きとは言わないが)スケジュールどおり坦々と戦っても結果は同じであった。けれども、まさかの国会議員票132。トータルで197票。これは我武者羅に、火事場の馬鹿力も発揮した結果としか考えられない。麻生太郎ローゼン閣下は、今日の総裁選で「運」もつかんだね。そう思いました。
保守改革派は、これから半年、あるいは、3年。その「戦後レジュームからの脱却」の歩みを停滞させることは間違いないでしょう。けれど、安倍晋三氏がいないから、麻生太郎氏が総理総裁になれなかったから保守改革派が停滞するなどの、<他力本願>自体が土台、甘いです。私はそう思います。
なーに、大東亜戦争終結後のこの社会で跳梁跋扈し猖獗を極めた戦後民主主義が支配した戦後の悪夢のような55年間(終戦から平成の大宰相・小泉純一郎元首相が就任するまでの、1945-2001の55年間)に比べれば福田政権など天国の2軒隣と同じですよ。そういうことで、活躍できないときの心の持ちようを教える名句を紹介。あの元女流名人との不倫騒動で勇名を馳せた将棋の中原誠永世名人の句。
風車 風が来るまで昼寝かな (中原 誠)
とにかく、麻生太郎幹事長、お疲れ様でした。
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