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ピグライフは勝れものの「マネージメントスキル開発ツール」かも(下)

2012年12月08日 09時16分52秒 | 表現とメディアの話題


◆ピグライフとマネージメントスキル

前節で述べた「高い自由度」という性質がピグライフに認められるとして、よって、ピグライフが楽しいシュミレーションゲームであることは間違いないとして、しかし、そのことと、ピグライフを「勝れもののマネージメントスキル開発ツール」規定する私の認識がどう結びつくというのか。最終節の主題はこの1点です。

而して、ポイントは「e-learningを含む広い意味のソーシャルゲームにとって「高い自由度」ということが何を意味するか」、換言すれば、①「何に関してユーザーの選択肢が豊富なのか、つまり、何に関してユーザーの選択権限がより広範囲に認められるのか」、および、②「選択肢が豊富で決定権限が広範であることがユーザーにとってどのような効果・効能をもたらすか」ということ。私は①は次の二つだと考えています。

(Ⅰ)目標設定の自由度
(Ⅱ)手段選択の自由度






仮想空間とはいえ目が廻るような高層ビルや目もも眩まんばかりの荘厳な大聖堂を建てるのも自由、仲間よりも早く上のレベルに「昇進」することを励みにするのも自由、ゲーム内ゲームとしてのイベントで誰よりも早いクリアに専心するのも自由、あるいは、「なにか新しいことを始めたくて、そいでもって地方に住む子育て世代の仲間とつながれるようなら嬉しい」と気の合うピグ友を増やし交流するのも自由。それがピグライフでありピグワールド。

普通、例えば、所謂「対戦型ゲーム」でも諸々の「ロールプレイングゲーム」でも、戦略や戦術こそユーザーの選択にある程度任せられてはいても、「ゲームの目的設定」自体がユーザーに委ねられている例はそう多くはないです。ここで重要なことは、この「ゲームの目的設定」の「ゲームの目的」とは、例えば、『モンスターハンター』で強敵を倒してストレス解消できたとか、学校・職場でそのゲームが流行っているから仲間はずれになりたくないとか、要するに、ゲームのパフォーマンスとは取りあえず無関係な利得ではなく、ゲームの結果とゲームのプロセスに関して直接得られる利得ということです。



自由とマネージメントの関係。ピグライフ/ピグワールドでは、①個人的諸条件(自分がゲームに打ち興じれる総時間数や時間帯等)はもとより、②システムに付随する諸条件(単位時間あたりのアクション回数の上限やイベントの納期等々、ゲームを構成するルールや画面操作の仕様の如き制約)も含め、与えられた条件を踏まえた上でユーザー自身が自分の目的と目標を自己責任の原則に則って各ユーザーが設定しなければなりません。

而して、与えられた条件を踏まえた上で自分自身で目的と目標を設定する技術。蓋し、これこそマネージメントスキルの核心であろうと私は考えます。

そして、もし、このマネージメント理解がそう間違ってはいないとすれば、ピグライフはその送り手であるサイバーエージェント社の意図やユーザーの意識とは無関係に、極めて有効なマネージメントスキル開発プログラムになっているのではないか。この認識こそ本稿の中心的の問題意識なのです。

ちなみに、「マネージメントスキル開発プログラム」に「極めて有効」という限定修飾語句がつくにつては前述のピグライフの<世界>を覆う「可愛さ」が与して力あるに違いない。このことは看過されるべきではないです。だって、ピグライフの世界は「可愛い」のですもの。こんだけ可愛ければ誰しも続けようというもの。そして、「良い研修プログラム」の必要条件は努力をユーザーが継続させ易いかどうかであることは、少しでも教育や研修のビジネスに携わった経験のある向きには常識ではないでしょうか。ならば、「可愛さ」と「マネージメントスキル開発プログラムである性質」は、やはり、ピグライフのWセンター的な二つ一組の大黒柱と言える。と、そう私は考えます。





ここで些か横道にそれますが言及しておきたいことがあります。ピグライフが「極めて有効なマネージメントスキル開発ツール」である栄光の縁の下にはもう一人の力持ちがいる、と。それはピグライフ/ピグワールドの通常クエスト。

公文式よろしくスモールステップ方式で進む(登録直後から始まるチュートリアルクエストを含む)この通常クエストは秀逸。それはアメリカのロースクールのケーススタディーメソッドとエッセンスを共有する勝れものです。

1970年代半ばからの10年余り、日本の刑法学会では「体系的思考 vs 問題的思考」ということがしばしば話題に上っていました。これ震源地は東大教授同士の肌合いの違い。すなわち、ドイツ流の体系的整合性を重んじる団藤重光先生の学風を、アメリカ流で具体的な紛争解決の妥当性を優先する平野龍一さんが批判したというだけのもの。しかし、実際、刑法だけではなく民法の領域でも憲法についても英米には「体系書」なるものはほぼないと言ってよいです。具体的な法的紛争の類型毎に、逆に、法的紛争処理の技法の類型毎に制定法から判例から学説論文から統計資料に至るまでを「旅行カバン」にぎゅうーっと押し込んだようなものをメインの「基本書」にしてアメリカのロースクールの学生達は学んでいますから。

何を私は言いたいのか。それは、知識は体系として見ようとすれば体系化された知識として捉えられる。また、錯綜した物事を整理整頓して前頭葉に収納する上で体系や体系化は思考の経済の観点からは大いに意味がある。けれど、知識がなによりまず「使える知識」でなければならない分野では、体系化のための体系や体系のための体系化の様相を呈するようになればそれは有害無益ということ、鴨。



而して、ピグライフの通常クエストは、順次その課題をクリアしていけば誰もが、ピグライフを堪能するのにまずは充分な知識、謂わば「ピグライフスキル」を獲得できていけるように設計されている。蓋し、世にピグライフの「攻略本」なるものが見当たらず、まして、EXCELやACCESSのガイドブックのような「入門書的体系書」や「体系書的入門書」などほとんど見かけないのは(前者に関しては、上述の如く攻略すべき目標自体がユーザー毎に違うからですが、後者に関しては)、実際にピグライフを始めてみればピグライフのガイダンス(チュートリアルクエスト)と通常のクエストの流れの中で必要な基礎的なスキルは誰しも自ずと身にけているからに違いないと思います。

而して、ピグライフのガイダンスと通常のクエストがピグライフの<世界>の敷居を低くするものであるとすれば、蓋し、それは同時に、ピグライフが「極めて有効なマネージメントスキル開発ツール」になることを縁の下で支える渋い脇役に他ならないだろう。私はそう考えます。閑話休題。





以上の考察を整理します。蓋し、(Ⅰ)「目標設定の自由度」は、ピグライフに対して「マネージメントスキル開発ツール」という性質をダイレクトに付与する。けれども、それが「勝れもののマネージメントスキル開発ツール」になるについては「可愛さ」の要素、ならびに、(Ⅱ)「手段選択の自由度」の一斑をなすピグライフのPC操作・画面操作の容易さが重要な役割を果たしているの、鴨。要は、(Ⅱ)「手段選択の自由度」が、(Ⅰ)極めて高い「目標設定の自由度」を可能にしている、と。

あまり愉快な例ではありませんけれど、2009年8月の総選挙で「目標を自由に設定」した民主党のマニフェストが、その目標を実現する手段がそれほど自由ではなかったこともあり民主党政権が破綻したように、目標が自由に設定できるということは、それが実現可能/実現が容易であって始めて意味を持つものでしょうから。蓋し、民主党政権の人々がピグライフをやっていたら民主党政権はもう少しはまともなものになった、鴨です。いずれにせよ、シンプルなマウスの操作の積み重ねでたいていのことはできてしまう、ピグライフ/ピグワールドのそのユーザーフレンドリーネスは感動ものです。

けれども、大急ぎで付け加えることがある。それは、本稿で言う(Ⅱ)「手段選択の自由度」は単にPC操作や画面操作の容易さということだけではないということ。自分のイメージのお庭や街を実現するための手段が豊富であり、ユーザーは自分の美意識と豊富なその手段間のコストパフォーマンスを睨みながら、(あくまでも、「同種同型のプログラムに比べれば」の話しにすぎませんが、比較的に)自由に一連の手段の順列組み合わせを選択できるということ。これが(Ⅱ)「手段選択の自由度」という言葉で私が言いたかったことです。そして、最適手段の選択、諸手段の最適な順列・組み合わせの発見もまたマネージメントスキルの不可欠な一分であることは言うまでもないことではないでしょうか。






目的設定のトレーニング、および、最適手段の選択のトレーニングの両者にましてピグライフがマネージメントスキル開発にとって有用だと思われることがあります。それは、ピグライフの<世界>で戯れるに際して、就中、各ゲームのイベントに参加するに際しては、ピグライフのシステムは、

ユーザーに対して(a)タイムマネージメントスキル、ならびに、(b)プロジェクトプランニングの前提としてのアナリティカルリーズニングスキル(要は、諸々の事象を幾つかのビジネスファクターに仕分けする技術。例えば、眼前の事柄を、予想・目的・前提・前提の構成要素や前提に付随する要素、および、目的と無関係な要素という五つのカテゴリーに仕分けして、いつまでに何を実現するのかを決める技術)、そして、(c)工程設計と工程の進捗管理を行うプロジェクトプランニングスキル、更には、(d)セルフマネージメントスキルとその開発を要求して来ることです。



ピグライフに引きつけてこのことを敷衍します。ピグライフ/ピグワールドではほとんどすべてのアクションは(それこそ、作物の収穫や畑の開墾も、料理も裁縫も工作も、要は、種まき以外のほぼすべてのアクションは)そのユーザーのレベルに応じてあらかじめ決められている「回数の範囲=スタミナ値の限度」でしか行えません。他方、一度消費したスタミナは5分毎に1単位ずつ回復する。

ところで一日は24時間・1440分。つまり、不眠不休飲まず食わずで頑張ったとしても一日で取りうるアクションは288回が限界。畢竟、資本主義の精神、よって、マネージメントの神髄が「Time is money」だとすれば、最大288回というこの有限なる資源配分の実践はマネージメントスキルの血肉化と同値と言えるでしょう。更に、288回を上限とするこの資源配分の実践的トレーニングが、リアルの時間のセルフマネージメントをもユーザーに求めるものであることを想起するとき、ピグライフ/ピグワールドとマネージメントスキルの関係は最早疑いようもない。と、そう私は考えます。

これら(a)タイムマネージメントスキル、(b)アナリティカルリーズニングスキル、(c)プロジェクトプランニングスキル、(d)セルフマネージメントスキルを、(高度の自由が彩るピグライフ/ピグワールドの<文化>を苗床に育まれた)目標設定スキルが基盤として支えるマネージメントスキルの体系というピグライフ/ピグワールドのイメージ。


蓋し、このイメージがそう無根拠なものではないとするならば、ピグライフは間違いなくマネージメントスキル開発プログラムでもあるでしょう。そして、人間が自己実現と自己の能力開発が確かに進んでいることを確信したときには喜びを感じる存在であるとすれば、「可愛さ」の要素が「楽しさ」を補強していたのとパラレルに、謂わば二本立てで、「可愛さ」の要素と共に「マネージメントスキル開発」の契機もまたピグライフユーザーに「楽しさ」をもたらしている。と、そう私は考えます。而して、これが「ピグライフは勝れもののマネージメントスキル開発ツール」という私の認識の構図なのです。いずれにせよ、間違いなくピグライフ/ピグワールドは楽しいですよ。









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