英語と書評 de 海馬之玄関

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内田樹<靖国考>を補助線にして考えるグローバル化する時代の天皇制の意義(下)

2009年12月31日 16時00分01秒 | 日々感じたこととか

 


■内田<靖国考>の要旨
内田さんの論旨は明快です。すなわち、
(α)構造改革は国民の階級分化をもたらす

(β)階級分化に付随する社会不安を防ぎ、外交において日本がリーダーシップを取れるためには、国民の一体感と国論の統一が不可欠である

(γ)構造改革を推し進め、不可避的な国民の分裂を惹起しながら、国民の一体感を獲得するには天皇カードは有効である

(δ)しかし、国民の階級分化は、為政者の予想を越えるスピードで進行しており、構造改革と国民の一体感の同時達成とかは夢物語、画餅になりかねない

(ε)今後の近い将来、専門知識を持つ労働者/熟練労働者が不足する事態が惹起することは確実な情勢であり、その場合、アジア諸国から大量の専門/熟練労働者が日本で働くこと、そして、移民として日本社会の正規のメンバーになる事態もまた不可避だろう。その時には、優秀な一部の日本人>アジアからの専門/熟練労働者>優秀でない日本の労働者(特に、今の若いもん)、という社会の階層ピラミッドが現出するであろう

(ζ)優秀な一部の日本人>アジアからの専門/熟練労働者>優秀でない日本の労働者という階層ピラミッドが招来された場合、最下層の優秀でない日本の労働者は、ナショナリズムの苗床になり、その苗床の結集軸が<天皇制>であることもほとんど確実である

(η)天皇制を結集軸とした日本型ナショナリズムが、狂信的なテロリズムに変容するのは、これまたホトンド確実である

(θ)狂信的なテロリズムを防ぐことが、構造改革より国民の一体感演出より、日本の国際的な威信回復より重要であり、急務である

内田<靖国考>の要旨を以上のように整理することが許されるならば、私は(α)~(γ)には特に異論がありません。また、この8年半の事態の推移を見ても(ε)~(η)も妥当であり、今後もおそらく内田さんの予想の通り事態は推移するのではないかと考えます。異論があるのは事実の予想に関しての(δ)と政策の優先順位に関わる(θ)です。すなわち、私の異論は以下の3点。

(1)構造改革の招来する階級分化は固定したものなのだろうか? 
(2)国民の一体感の回復という主題はテロリズムの蔓延の阻止よりも優先順位の低い政治テーマなのか?
(3)アジア諸国からの移民を国民や市民として新たに抱えることになる近い将来の<多民族国家日本>において、国民の一体感の「回復=創出」に向けて何を今、我々はやっておくべきなのか?


■グローバル化と構造改革がもたらす階級分化は固定したものか
構造改革が社会の粒状化(格差拡大と諸個人の分断)を惹起するものであることはまちがいない。しかし、この分化される階級は固定的なものでしょうか。一度や二度の失敗が、ある個人の生涯に渡る下層階級への所属を決定するような、更には、格差の世代間での固定化を構造改革は不可避的にもたらすと言えるでしょうか。

蓋し、マーケットが必要を認めない人間や組織は淘汰される。企業は倒産し、マーケットから退散させられ会社法人組織は解散させられるでしょう。しかし、人は会社が倒産した後も生きていかねばならないし家族を養わねばならない。ここに企業法人と自然人の差異がある。他方、日本が国際競争力を維持し発展させていくためには産業構造と雇用スタイルの変革は不可避でしょう。

生産諸力も生産諸関係も変容を迫られている。グローバル化の昂進を鑑みれば、より生産性が高く、より国際競争力のある産業と企業に人と資金が投入されるべきことは自明なのです。産業と企業の両面で労働力と資本のミスマッチを改善しなければ、日本は国際競争力を失うということ。ならば、構造改革後の日本はある意味では、敗者復活と階層間移動が現在よりもフェア-により頻繁に行われる社会になる可能性もなくはない。少なくとも、そうならなければ日本は継続的にグローバルコンペティションの中で生き残れないとは言えると思います。すなわち、

・構造改革は、人と物と金というビジネスの総ての側面でのミスマッチの解消を目指す
・構造改革の結果、マーケットが必要を認めない企業法人は解散する
・構造改革の結果、生産性が低く、比較優位性の乏しい産業分野や企業で働いていた労働者は、生産性が高く、比較優位性を持つ産業や企業にシフトせざるを得ない。雇用者たる企業が倒産したからといって、「人間=労働力」は生きていくことを止めるわけにはいかないから
・ならば、構造改革は、中長期的には、敗者復活と階層間移動の余地を今の日本よりもはるかに保証するフェア-な社会をもたらすこともできはしないか
・規制緩和&撤廃と社会保障の充実は、構造改革推進の車の両輪である。この両輪のバランスを取ることが構造改革の成否を分けるのであって、構造改革自体を階級と階層を固定する不条理で不正義なものとは考えるべきではない
・そして、社会保障の諸施策の中でも、セーフティネットの整備とともに教育の充実は衣食住の保証の次に重要な課題である。なぜならば、敗者が復活する上で必要不可欠なものは自己の労働力商品としての市場価値を高め、新しく企業を起こし、イノヴェーションを敢行するのに不可欠な知識と経験であると考えるから



■国民の一体感の回復という政治テーマの優先順位
国民の一体感の回復というテーマはあらゆる政治の最優先の機能ではないでしょうか。ホッブスが喝破した如く「最悪の秩序も無秩序に優る」のでしょうから。そして、秩序とはある支配の正統性と正当性から演繹される規範と価値の体系に他ならず、国民の一体感は国法秩序の不可欠な前提条件であろうと思います。而して、恐らく、「狂信的ナショナリズムに基づくテロリズムこそは、私たちがどんな代価を払っても回避しなければならないものである」、と語られる内田さんもこの認識に関して異論はないのではないかと推察します。

内田さんと私見を分かつものは、国民の一体感を回復するために天皇制カードを切ることと、それを何時切るべきかを巡る認識の差異だと思います。結論を前倒して言えば、私は、国民の一体感を、謂わば「多段式ロケット」のように連続する、または、重層的なイデオロギー政策によって実現することが現在の日本には必要ではないかと考えています。そして、その第一段目が、天皇であり日の丸であり君が代、すなわち、自虐史観の打破であり教育勅語の復活であり憲法改正であることは政策実現コストと実現可能性から見て当然ではないかと思っています。

尚、私の考える、「多段式ロケット」方式のイデオロギー政策とは、例えば、次のようなものです(二段目以降は、その内容の是非ではなく、重層的なイデオロギー政策のモデルとしてご理解ください)。

・天皇制カードによる日本国民の一体感の回復
・汎神論的な、八百万の神々が住みたもう皇孫統べる豊葦原之瑞穂国という神道的イデオロギーによる既存の日本国民と外国からの新しい日本社会のメンバーの社会統合
・多様なライフスタイルを容認し、多様な価値観や文化的な背景を持つ者が、社会の正規のメンバーとしてこの社会のメンバーであることにプライドを持てる、英米流の保守主義からの日本国と日本国民のアイデンティティーの再構築

これら一連の<政治的な神話>に神通力を与えるものこそ社会秩序の安定でしょう。「衣食足りて礼節を知る」です。逆から言えば「貧すれば鈍す」です。構造改革が不可避な現在、我々は、淡々と「多段式ロケット」型のイデオロギー施策を実行する中で、国際競争力を維持向上させ、可及的速やかに日本を敗者復活が比較的容易にできる社会に変えていくことが為政者には求められているのでないか。ならば、8年半前の8月、蓋し、小泉元首相は8月15日にこそ靖国神社に参拝すべきであったと今でも私は思うのです。


■国民の一体感創出に向けての現下の施策
アジア諸国からの優秀な専門/熟練労働者が数十万~数百万人規模で日本社会の正規のメンバーとなった場合、日本国民の一体感の結集軸は、平田教学流の皇国史観からダイレクトに演繹される天皇制ではもはやなくなるでしょう。

数十万~数百万人の規模でアジア諸国から新しい日本社会のメンバーが移籍してくるその状況下では、最終的には、グローバル化に拮抗し得る、すなわち、世界水準の思想的なコンペティションに耐えうる水準のイデオロギーが構築されなければならない(前節でスケッチしたイデオロギー施策の第3段目を私はここで想定しています)。而して、その新しいイデオロギーが構築されるまでの間、旧来と新規のメンバーを共に包摂できる、けれども、既存の日本人がまだまだ圧倒的多数である状況を睨んで、(前節で述べたイデオロギー施策の第2段階目の如き)既存の日本の伝統的イデオロギーとより親和的な中継ぎ投手的なイデオロギーの構築が不可避であろうと思うのです。それは、第1段階とも第3段階とも親近性のあるものであり、蓋し、汎神論的な神道は、正に、その要求に十分応えうるものではないか。と、そう私は考えます。

このようなイデオロギー施策は実現可能か。私は可能と考えます。蓋し、明治維新の際、天皇制イデオロギーは1~2世代でこの社会の実定的なイデオロギーの座を勝ち取ったではないですか。他方、2009年現在の高校生や大学生の持つ実定的なイデオロギーは恐らく携帯電話の普及、ルースソックスと茶髪とブーツの流行をメルクマールとすれば、およそ、1993年~1994年に成立し始めたと言えると思うのですが、もし、この想定がそう間違っていないとすれば、高々、10年で1世代のライフスタイル、すなわち、イデオロギーとしての物の見方が変容したのですから。

問題は、内田さんが危惧される如く第1段目でしょう。確かに、第1段目で生じる天皇制ナショナリズムに群がる(憲法無効論を唱える様な国粋馬鹿右翼の如き)バカな日本人の若年労働者が引き起こすテロリズムの危険性は、内田さんが指摘されるように大きな問題でしょう。これについては、私は、第1段目のイデオロギー施策がもたらす日本の国際競争力の向上により乗り切るしかないと考えます。「金持ち喧嘩せず」の理です。而して、次のフェーズにできるだけ早く駆け込む。グローバル化の昂進と構造改革が不可避な2009年の現在、この作戦しか日本には残されていないと思うからです。蓋し、こう考えるについては、他の選択肢の有無と日本の現在の若者の労働力商品としての市場価値に関して、私は多分、内田さんより楽観的なのではなくより悲観的なのだと思います。

では、その想定される状況下で、テロリズムの蔓延阻止と、国民の一体感の演出のために今なすべきことは何か。月並みではあるけれど、それはこの国を競争と機会においてフェア-な国にすることに尽きる。それが、外国から来る新しい日本市民に、皇孫統べる豊葦原之瑞穂国の一員になったこと、すなわち、日本人としてのプライドを持ってもらえるような国にこの国を再構築することの基盤整備である。而して、そのためにも構造改革が肝要であり、重層的なイデオロギー政策が不可欠なのではないか。私はそう考えています。尚、外国人問題を巡る私の基本的な考えについては下記拙稿をご参照いただければ嬉しいです。

・外国人がいっぱい
 http://kabu2kaiba.blog119.fc2.com/blog-entry-198.html

・揺らぎの中の企業文化-日本的経営と組織は国境の消失する時代に拮抗しうるか
 http://kabu2kaiba.blog119.fc2.com/blog-entry-199.html

・国籍法違憲判決が問う<国民概念>の実相と再生
 http://blog.goo.ne.jp/kabu2kaiba/e/79e96f5731f73ca460fc2f635fdb2711

 

 

 


 



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