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既卒者雇用企業に奨励金★民主党政権は社会主義政権である

2010年08月31日 20時41分46秒 | 日々感じたこととか

政府は、就職先が決まらないまま大学を卒業した、卒業後3年以内までの既卒者を雇用した企業に助成金を出す制度を設けるそうです。蓋し、これは部分的にせよ、企業の人件費を国が負担するものに他ならず(それは、WTOが規制の対象としている「農業補助金」等と同じく、「非関税障壁」として諸外国から物言いをつけられかねない施策であり)、それは、現行憲法に謳われている自由主義と資本主義と矛盾する姑息な内閣支持率対策と言えるのではないでしょうか。





まずは報道紹介。


◎3年以内既卒者雇用に奨励金 政府が緊急対策発表

政府は30日午前、新卒者らの雇用に関する緊急対策を発表した。インターンシップ(職場実習)や卒業後3年以内の既卒者のトライアル雇用(試験的採用)を現状の3倍、2.4万人に増やすため、卒業後3年以内の既卒者の正規雇用や試験的採用をする企業に奨励金を出すことなどが柱。・・・卒業後3年以内の既卒者を新卒枠で採用するよう経済団体に要請することも盛り込んでいる。

(毎日新聞:2010年8月31日)    



数年前にある大手教育機関の面接担当者を務めた際、私は新卒応募者全員を漏れなく平等に不採用にしたい衝動に駆られたことがありますが、企業は求職者が雇うに値する能力がないと考えるから雇用しないのです。畢竟、現在でも24時間戦えるガッツと日々成長できる素直さ、そして、礼儀作法と(新人に要求される範囲での)具体的かつ豊富な知識を備えた人材ならどこでも採用します。

而して、求職者の能力を判断する企業の判断の前提は、温室効果ガスの25%削減の宣言、あるいは、膨大な赤字国債増発に象徴される民主党支配の続く日本自体に対する不安でしょう。ならば、多くの企業が可及的速やかに海外に脱出したいと考えている現下の段階で、既卒者雇用企業への奨励金制度などは、日本企業の競争力向上の自己努力を税金を使って妨害するものに他ならず、結局、それは財政を更に悪化させた上に中長期的には雇用を一層減らす愚策ではないかと思います。

加えて、インターンシップやトライアル雇用の効果も未知数。蓋し、どのような職業でも、そこで働く方は数年をかけてその業務に対応できる<身体>を作りあげるものだから。

例えば、私の知人に高卒で「○|○|」(←マルイ!)に就職して、最初の5年間、靴売り場の売り子さんをしていた方がおられる。優秀だった彼女はその後、希望していた憧れのバイヤー部署に転属になり内勤になった。そして、3ヵ月後過労で入院。何故か。はい。彼女は5年かけて(最初は辛くて毎夜、寮で泣いていたそうですが)「立ちっぱ」業務に対応できる<身体>に自分を作り変えていたということ。だから、傍から見れば楽な内勤のデスクワークが彼女の<身体>には拷問のように堪えたのです。    


ならば、その業務に対応できる<身体>を作り上げるのに数年単位の時間が必要なことを度外視したインターンシップやトライアル雇用は、幾つかの業務を体験してはいるものの、それらのどれにも対応できない<身体>の持ち主を量産しかねない制度、鴨。蓋し、ポストと人材をとにかく数量的にマッチングさせればよいと考えるのは、文字通り、官僚の机上の空論、社会主義の計画経済ばりの空論なの、鴨。と、そう私は考えます。

ことほど左様に、これら程度のことにも考えが及ばない民主党政権は無能である。而して、それは無能だけでなく社会主義政権ではないのか。『共産党宣言』(1848年)の有名な次のリストを読み返して私はそう感じました。


プロレタリアートは、その政治的支配力を使って、ブルジョワジーから次第にすべての資本を奪い、すべての生産用具を国家に、すなわち支配階級として組織されたプロレタリアートの手に集中し、そして生産力の量をできるだけ急速に増大させるであろう。・・・

そこに至る手段や方策は、もちろん、それぞれ国が異なれば異なるものとなろう。
とは言え、最先進の国々では次の方策はかなり一般的に適用されるだろう。

01)土地所有制度の廃止とすべての地代の公共目的での運用
02)強度の累進課税
03)相続制度の廃止
04)すべての国外脱出者と反逆者の財産没収
05)国からの資本および排他的独占権を持つ国立銀行による信用の国家への集中
06)通信輸送手段の国家への集中
07)国有工場および国有の生産用具の増加。国または地域全体を睨んだ共通で公の計画に基づく耕作地開墾推進とすべての土壤の改善
08)すべての人に対する労働の平等な義務化。産業軍の編成、就中、農業のための産業軍の編成
09)農業と工業の結合。より適切な人口分布を全国的に実現することによる都市と農村との格差の段階的な除去
10)すべての児童に対する公教育の無償化。現在の形態においてなされる児童の工場労働の廃止。産学の連携、すなわち、教育セクターの活動と産業セクターの活動との結合、等。

これらの発展の進行にともない、階級の区分は消滅し、すべての生産活動が全国レベルで結合された広範な協同体の手の中に集中されてくると、公的権力はその「政治的-権力的」な性格を失うだろう。・・・而して、諸階級の存在と階級間の対立を内包した古いブルジョワ社会に代わって、我々は協同体、すなわち、各人の自由な発展がすべての人の自由な発展の条件となっているような協同体を持つことになるに違いない。 

(KABU訳『共産党宣言』第2章末尾:岩波文庫版pp.68-69)   


民主党政権が推進している①子供手当や高校実質無償化(10)、あるいは、②農家への戸別所得補償(07・09)だけでなく、例えば、民主党応援団の識者が繰り返し主張している③「累進課税の強化」や「相続税率の引き上げ」(02・03および実質的に01)、更には、民主党応援団の総本山とも言うべき連合が執拗に要求している、④公的セクター存立の堅持(06・07)、そして、⑤連合加盟労組組合員に対する怠ける権利の平等な保障(08)等々を想起するとき、引用したテクストは、その文中の「プロレタリアート」「民主党政権」と読み替えれば日本社会の現下の動向と整合的であろうと思います。160年以上前に欧州で書かれたこのテクストを現在の民主党政権の施策の工程表としても読むことが可能ということです。

160歳どころか200歳の方も戸籍上は生存しているとされてきたことが露見して、官公労組合員の杜撰さが露呈した昨今ではありますが、1989年-1991年、ソ連と東欧の崩壊によって社会主義の不可能性が明白になって久しい現在、マルクス-エンゲルスが160年前に掲げた工程表を実行しようとしている民主党政権は歴史から学ぶ能力のない社会主義政権である。そう断じても満更間違いではないのかもしれません。尚、マルクス主義に関する私の基本的な理解については下記拙稿をご参照ください。

・読まずにすませたい保守派のための<マルクス>要点便覧(1)~(8)
 http://blogs.yahoo.co.jp/kabu2kaiba/57528728.html





マルクスの経済理論は、それが、「労働価値説」という<釣り針>と一緒に英国の古典派経済学を飲み込んだ段階で、要は、その初手の段階から<北斗の拳>だった。畢竟、論理的には、「限界効用」のアイデアを契機に再構築された新古典派(総合の)経済学にマルクス経済理論は粉砕され、他方、歴史的には、上に引用した「社会主義への工程表」をほぼ忠実に実行したソ連と東欧諸国が破綻したことで「資本主義 vs 社会主義」の勝負は資本主義の勝利で終わった。

社会主義の不可能さは、しかし、上に引用した『共産党宣言』のテクストで既に明らかだったの、鴨。蓋し、マルクス経済理論のみならずマルクス主義もその初手から<北斗の拳>だったの、鴨。

すなわち、「各人の自由な発展がすべての人の自由な発展の条件となっているような協同体が、しかも、全国レベルで結合された広範な協同体がすべての生産活動をその手の中に集中する」ことと「公的権力はその「政治的-権力的」な性格を失う」ことは矛盾するだろうということ   


簡単な話です。例えば、「私はそのような協同体には加わりたくない/協同体の意向に従いたくない」という、ヤクザや起業家、出家志望者や分離独立運動家、あるいは、過度な怠け者や過度な働き者はこの協同体の中でどう扱われるのか。而して、「権力=他者の行動を、実力と公の権威の結合によって左右できる地位や勢力」と定義すれば、左翼の論者が語るように、「権力=支配階級が被支配階級を抑圧する社会的仕組み」であり、よって、「階級がなくなれば階級間対立もなくなり権力も国家も死滅する」という自己論理内完結型の目論見とは異なり、「各人の自由な発展がすべての人の自由な発展の条件となっているような協同体」においても、それら異分子を協同体の意志に従わしめる<権力>は残らざるを得ないだろうということ。蓋し、ソヴィエト・ロシアとは、正に、そのような<権力>が猛威を振るった社会ではなかったのでしょうか。

而して、ここで、「社会主義の高次の段階たる共産主義社会では、各人の意向と協同体の意向が異なることはあり得ない」という左翼の論者からの、前提と結論が同語反復的な言い訳が来る、鴨。

蓋し、世界同時革命や革命の輸出は考えないとしても、また、天変地異や戦争により協同体が機能不全に陥る事態は無視するとしても、一国規模の人間集団でどのようにしてすべてのメンバーが満足する生産と消費の内容をタイムリーに確定できると言うのか。各人が「自分の希望や状態=自由な発展の目標や成果」と判断するための情報に不足も非対称性も生じないとなぜ言い切れるのか、あるいは、情報を理解する各人の能力差をどう止揚するというのか。而して、これらテクニカルな問題に加えて、「その希望や状態が自分も含めすべての協同体メンバーの自由な発展であるか否かを、誰がどのような根拠で測定し確定できるというのか」という本質的な問題をこの言い訳は孕んでおり、よって、言い訳は成立しないのです。尚、この本質的な問題に関しては取りあえず下記拙稿とその続編をご参照ください。

・風景が<伝統>に分節される構図-靖国神社は日本の<伝統>か?
 http://blogs.yahoo.co.jp/kabu2kaiba/59836133.html


畢竟、ハイエクは『集権的経済計画』(1935年)や『隷属への道』(1944年)そして『自由の条件』(1960年)等々で、「設計主義的合理主義」でしかない社会主義は必ず「強制と計画-計画の強制と強制的な計画」が蔓延る官僚支配の権威主義的社会をもたらすと正確に予想しました。而して、ハイエクの予想を反芻しながら現下の民主党政権がこの社会に及ぼしている実害を見るとき、既卒求職者も日本企業も政府に頼ることなく自力更生するに如くはない、蓋し、既卒者採用奨励金など求職者と求人企業の双方にとって<毒饅頭>でしかないと、そう私は考えています。



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